娘たちの夏休みも最終盤。
私が小・中学生の頃なら、頭の良い友人宅を駆け回って夏休み帳(死語?)を写させてもらうようお願いしていた頃(笑)
それに比べると娘達の方が少しは良さそう。
夏休みの宿題の本来は、勉強習慣を身につけることが主眼なので、毎日やらずに最終日に行う時点で殆ど意味がない。
私に比べると毎日少しずつではあるが勉強している娘達を見て、自分の学生時代を反省する夏。
自由工作・研究も、最近はそれを支援するものが多数出ているが、一番大事なことは子どもたちが自分で取り組むテーマを考え、決定し、悩みながら試行錯誤することにあるので、極端なことを言えば作品そのものは別に必要ないのかも。
昨年までは、地元の建設組合が主催する親子木工教室で製作したものを宿題として提出していた。
今回三女はそれに頼らず、また、親の介入を自制したので、そこは素晴らしいと思った。
ただ、こういった夏休みの宿題自体の意義を問い直す動きがあるのも事実。
多様な家庭環境に対応するために、夏休み自体をもっと自由に過ごせるようになったほうが良いのかも。
あとは「夏休み」という長期休暇が、「自分(子ども)にとってどんな意味があったのか」を振り返る機会として捉えたりとか。だとすれば、「なにもできなかったよ」でも良いのかもしれない。
私自身はそうだったから(笑)
まぁ、ソフトボールと水泳は頑張ったかな。
そもそも、夏休みの最初から最後までちゃんと計画を立てて、そのとおりに過ごすなんて、普通はできないですよね。
本当は、せっかくの休みを生かして、普段は体験できないようなことをして欲しい。
ある教育関係の友人から聞いたのですが、例えば、米軍基地の周辺や新大久保や葛西などに行って異文化を肌で感じるとか、裁判所での裁判傍聴をするとか。
被告人がいて、裁判官が出てきて、形に決まった判決文を読む、そういうのを実際に見ることもいいのではと。
なるほどなぁ。
と色々考えてはいるのですが、結論としては、夏休みの最終日はディズニーランドへ行こうかという結論に至った我が家である(笑)