水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(15)あの世駅  <再掲>

2024年08月23日 00時00分00秒 | #小説

「急がないで、急がないで…。今日はあなたが最後です。あなたが乗るまで発車しませんから…」
 急いでいたホームの女は頷(うなず)き、ゆっくりと列車へ乗り込みました。
 私がこの駅に雇われて、そう…もう、かれこれ三年になります。この日も私は、あの世への最後の旅人が乗ると、発車の笛を吹きました。もちろん、あの世名簿を確認したあとです。この日は最後の一人を加え、計28名の旅人が乗りました。列車は静かに駅ホームを離れ、闇の彼方(かなた)へと消えていきました。ここは終着駅でもあり始発駅でもあります。午前0時の10分前には規則正しく到着し、日付が変わった0時には規則正しく発車するのでした。あの世から到着する列車には誰も乗っていません。誰も乗っていない列車とは言いましたが、それは無人という意味ではなく、実は人の目にそう見えるだけで、本当のところを申しますと、生まれる人の霊魂があの世からやって来るのでした。私にも何人の霊魂がやって来るのかは分かりません。そのあの世からの列車は日付が変わると同時にあの世へ向け、発車します。乗る人は死んだ霊魂で、駅の構内だけ生前の姿で乗車するのでした。
 私がこの駅に雇われたのは、ひょんなことでした。三年前、私は仕事にあぶれ、来る日も来る日もハローワークへ通っておりました。失業保険で受ける給付金の嫌味を係員に言われました。ハローワークへ通うのが嫌になっていたそんなある日、私の郵便受けに一通の黒い封書が届きました。差出人の名はなく、中を開けますと黒便箋に白文字で印字された短い文面が一枚、名簿が一枚、それに駅員証明書、駅員バッチなどが入っておりました。名簿とは、先ほど申しましたあの世名簿だったのです。その名簿は以後、毎日、ポストへ投げ込まれるようになりました。それと別便であの世駅員の制服、制帽、あの世筆、あの世懐中時計などが送られてきました。私は怖くなり、警察へ届けようとも思いました。しかし、よくよく考えますと、被害を受けたという訳でもありませんし、返って警官に怪しまれることも考えられます。それで断念することにしたのです。
 さて、文面にはあの世名簿の説明と駅員の身分、給与、駅の場所等が書かれておりました。仕事を探していた私でしたから、ちょうど渡りに舟のいい話だったのです。しかし昼間、下見に行った駅そのものは荒れ果てた野原で、地図では駅があるはずがない場所でした。深夜となり、私は半信半疑のまま制服制帽に身を窶(やつ)し、あの世名簿とあの世筆を持ち11時半過ぎにその野原へと向かいました。野原へ到着しますと、やはりただの野原です。性質(たち)の悪い悪戯(いたずら)に騙(だま)されたか…と、私は腹立たしくその場を去ろうとしました。そのとき突然、辺りに靄(もや)がたちこめ、幻の駅舎が現れたのです。私は恐る恐るその駅舎へと入っていきました。人は誰もいませんでした。駅舎には驚いたことに線路とホームまでありました。それまでただの野原でしたから、私は怖(こわ)くなっておりました。するとしばらくして、一人、また一人と、どこから現れたのか分かりませんが人が駅舎へと入ってきたのです。その人達は自分の名前を陰気に私に告げました。私は、書かれていたマニュアルどおり、あの世筆で名簿にチェックを入れ、改札口を通しました。やがて午後11時50分になり、列車が闇の彼方から到着しました。ドアがスゥ~っと開き、なにかが降りた気配がしました。そのあと、ホームの人々は列車へ乗り込みました。そして、最後の人が乗り込みますと、私はあの世懐中時計を見て時間を確認し、笛を吹いたのです。ドアが静かに閉まり無音で列車が動きだしました。そして列車は闇の彼方へと消えていったのでした。
 これが、お話しする私がこうなったすべての経緯(いきさつ)です。今日はこれで終わりです。後ろを振り返りますと、野原に出現したあの世駅はもう消えてありません。消えたのは、私が駅舎から出たすぐあとでした。私はこれから家へ帰り、ひとっ風呂浴びて軽い酒で眠ることにします。不思議なことに、少しも怖くありません。給与ですか? ははは…ごく僅(わず)かですが、生活に困らない程度の¥が?名義で振り込まれております。給与の文句はありませんが、一日、家を空(あ)けられないのが玉にきずかな…とは少し思えます。

               THE END


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