夏の怪奇小説特集 水本爽涼
第二話 空蝉[うつせみ](2)
で、別段、犬を連れて散歩している訳ではありませんが、割合と早足でいつものコースを歩み続けたのでございます。そして昨日の場所に至ったのでありますが、なんと奇怪(きっかい)なことに、あの蝉は脱皮を終えた状態で神々(こうごう)しく未だ幹に留まっているではありませんか。
私は己が目を疑いましたが、やはり昨日と同様の白光を放って眩(まばゆ)かったのでございます。恐る恐る近づいてみますと、確かに現実に一匹の蝉が存在しております。なにげなく捕えようと致しますと、これも不思議な現象なのでございますが、パッと飛ぶと思いきや、スゥーっと消えたのでございます。そして暫(しばら)く致しますと、私の数メートル先に、ふたたび眩い光となって現れたとお思い下さいませ。
私は、怪しげな悪霊にでも誑(たぶら)かされたのでは…と、思ったのでございます。火の玉と人は申しますが、この場合はそんなヤワじゃあございませんで、もっと峻烈(しゅんれつ)な光を放ちつつ、そうですなあ、なんと申しますか…、恰(あたか)も大空にある太陽の輝きが森の中を、さ迷い飛ぶといった感じでして、勿論、太陽の光ほどは眩(まばゆ)くなかった訳でございますが、梢には蝉の抜け殻が、それもまた白い光を放って輝いておった、というようなことでございました。
私は、やおら、その蝉の抜け殻を採取いたしますと、一目散に家へ戻ったのでございます。 家に着きましても、この話を妻にする気力も失せておりまして、疲れからか、朝にもかかわらず寝入ってしまったのでございます。
暫(しばら)眠って起きますと、私はその蝉の抜け殻を、大事そうに自分の机の隅へ収納したのでございます。妻に見せれば得心して貰えるじゃないか…と、お思いの方もいらっしゃるとは存じますが、その時の私は、なにか見えざる力に影響されていたと申しますか、或いは大事な宝物を隠す幼子の心境でありましたものか…、孰(いず)れに致しましても、極秘裏に保存した訳でございます。
それからというもの、数日に一度、それを取り出して眺めるのが、私の至福のひと時となりました。その空蝉(うつせみ)の白光は、衰えることなく輝き続けたのでございます。
それからの我が家には、幸運としか云いようのない慶事が重なったのでございますが、最初のうちは、そういうこともあるのだろうと思っておった私でございますが、度(たび)重なりますと、流石に白光を放つ蝉の抜け殻の所為(せい)ではないかと思うようになったのでございます。
大学の教授に推挙されたのも、この頃でございました。私としては、やはりこの栄誉ともいうべき自体に、内心、有頂天になったことを記憶しております。
続