水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

忘れるユーモア短編集 (1)忘れる

2020年04月15日 00時00分00秒 | #小説

 人は物事の記憶を失(な)くし、忘れることがある。むろん、それは当然といえる生理的現象だが、忘れることが総(すべ)て悪かったりダメなのか? といえば、決してそうではない。悪い記憶を忘れることで、心の枷(かせ)や蟠(わだかま)りから人は解き放たれるのである。ただ、忘れたくないいい記憶も当然ある訳で、その場合は誰もが忘れたくないはずだろう。失恋の記憶は忘れることが心のいい妙薬になるだろうし、甘い初恋の思い出は、忘れることなくいつまでも心の奥底に刻(きざ)んでおきたいに違いない。
 さて、これから綴(つづ)るのは、ユーモアを交えた、どぉ~~でもいいような、そんなお話の数々である。^^
 よく晴れた初春の朝のとある町の公園である。一人の老人が立ち止まり、ポカァ~~ンと桜の木を見上げている。
「どうされました、大駆場(おおくば)さん? こんなところで…」
 訝(いぶか)しげに声をかけたのは、散歩仲間の最後(さいご)である。
「なんだ、最後さんでしたか。いやなに、桜が今年はいっこうに咲かないなぁ~と思いまして…。遅れてるんですかなぁ?」
「ははは…、何を言っておられるんです。この前、ドンチャン騒ぎのお花見をしたとこじゃありませんかっ! お忘れですかっ?」
「誰がっ!?」
「最後さんがっ!」
「誰とっ!?」
「私とっ!」
「いつっ!?」
「10日ほど前っ!」
「どこでっ!?」
「ここでっ!」
「んっな馬鹿なっ!!」
「忘れることもありましょうが、ここ最近の話ですからなっ! 一度、診(み)てもらわれた方が…」
「はあ、有難うございます。それにしても、妙だなぁ~」
「では…」
 大駆場は静かにそう告げると、ふたたび歩き出した。
 さて、ここで質問である。最後は、ごく最近の出来事を本当に忘れてしまった・・と皆さんはお考えだろうか? 正解を言えば、実はそうではなかったのである。忘れてしまっていたのは大駆場の方だった。大駆場は数年前のことを記憶していて、今年の開花を忘れていたのである。
 どうでもいい過去のことを憶(おぼ)えていて、肝心なこれから先のことを忘れるのは本当に困る・・というお話である。^^
 
                               


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