《霞飛び②》第二十回
一人になると、やはり気の所為(せい)のように左馬介には思えてきた。それでも、もう一度、確かめてから道場へ戻るか…と、左馬介はふたたび庵(いおり)の方へ近づくと、庭先へと迂回した。
木戸を開けて庭へ入ると、やはり、人の気配はしない。だが次の瞬間、左馬介の両眼へ飛び込んだのは、縁台に大きな老体を横たえ、背を上下させて眠る獅子童子の優雅な寝姿であった。両眼を閉じたふくよかな蕪(かぶら)顔は、左馬介の接近を意に介さぬげである。人の気配はしないが老猫は今、こうして存在する。いるということは、云わずと知れたことで、幻妙斎が近くにいるということに他ならない。だが、左馬介には人の気配が感じられないのだ。先生は己が身体より気配を消されているのではないか。気配を消すことなど、先生ならば容易(たやす)い筈だ…と、左馬介は巡った。板戸も開いていて、廊下を挟んで障子戸だけが閉ざされている。これも、よく考えれば怪(おか)しいのだ。不在ならば、板戸は閉まっているのが相場だからだ。それが開いている。そして、獅子童子は呑気に蕪顔宜しく寝入っている。左馬介は、障子戸の向うに幻妙斎がいるであろうことを確信した。足継ぎ石から廊下を這い、恐る恐る障子戸へ近づいた時だった。
「なんだ、誰かと思えば左馬介であったか…」
あんたはすごい! 水本爽涼
第十一回
早希ちゃんが作ってくれた昨夜の焼飯(チャーハン)もそうだったが、今朝のモーニングもまずまずの美味さで、スクランブル・エッグの味と柔らかさが絶妙だった。コーヒーを啜りながら考えたのは、みかんで話題となった水晶玉の男のことだった。気になり始めると止めどなく気になるのが私の性分で、先延ばしせず結論を求めたくなる。いったい、みかんに現れた男はどういう男なんだろうか。ただの占い師にしては些(いささ)か妙なところがある。というのも、商売道具の水晶玉をカウンターへ置いた時点で占うのなら話は分かるのだ。って云うか、まあ普通はそれが占いなのである。取り出した水晶玉を使わず、結果を先に告げるというのも解せないし、この次、店へ寄った時に訳を云おう、というのも気を持たせ、人を小馬鹿にした話だ。うさん臭い話はこの世に多々あり、その話に乗る、乗らないは、その人の気持ひとつだが、正直者を欺くようや輩(やから)は地獄へ落ちればいい…とは常々、私が思っていたところだ。無論、ママや早希ちゃんが話した男がそうだというのではない。第一、私はその年老いた紳士風の男に、一度も会ってはいないのだ。