「パティシエになりたーい!」ブログ。

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夏の岐阜旅行~念願の鵜飼見物・4~

2012-09-18 23:29:12 | 旅行とお出かけのこと
19時45分、合図の花火が4発上がり、鵜飼開始(これが今夏初の生花火とか…どうなのそれ…。いや、見れてよかったけども…)。
6隻の鵜舟が上流から順番に川を下りてきます。うちらの乗っている観覧船は、その鵜舟を並走する形で川を下り、鵜飼の様子を見物することになります。(「狩り下り」というらしい)

うちらは3隻目の鵜舟について行くらしい。…見えてきたっ!

もう、真っ暗闇です。カメラだから(望遠のきかない私のデジカメ「時」ちゃんだから)こんな風になってるわけでもなく、肉眼でもこんな感じ。篝火の明るさがより、際立ちます。…いや、遠いのは確かにデジカメのせいだけど。

船頭さんは折に触れ、鵜飼についての説明をしてくれます。
篝火は魚を集めるためのものではなくて(…なんというか「結果的にそう」だからざっくりと説明って意味では合ってるんだけど)、本当は川底で寝ている鮎を驚かせるためのものなんだそうです。明かりに驚いて活発に動き出す鮎…のお腹の白い部分が篝火に照らされて光り、鵜はそれを目印にして鵜を獲るのだとか。

篝火に使っているのは松の割木。

火の粉がすごい飛びます!見てるだけで怖い!!でも綺麗!
鵜匠さんの伝統装束は、ちゃんとこの火の粉でやけどとかしないように作られているらしい。

当たり前ですが、目の前で行われているのは(ほぼ観光用とは言え)「漁」です。
あの、始まる前の岸での説明みたいに、「今これがこうで」みたいに逐一鵜匠さん達は説明できません。船頭さんも船を動かさなきゃいけないし。
あ、来た!火の粉スゲエ!鵜、がんばってる!あ、鵜を船にあげた!魚吐かせてる?見えん!……みたいな。非常にせわしない。
周りが真っ暗でなかなか写真が上手く撮れなくて、気持ちもやや焦り気味。何度か「もう写真は諦めて鵜をじっくり見つめた方がいいんじゃないか」とも思ったんですけど「でもどうにか撮らねば!数撃ちゃ当たる!!」って頑張ってしまいました。
ぶれまくりですが、許してください。これでもマシな方なんだ!

一隻の船に一人の鵜匠さんが乗り、10~12本の手縄を操ります。
鵜は鮎を追って動くので、多分何もしなかったらすぐ絡むんだろうけど…そこを絡まないようにうまく操ってるんですよね…。12本…すげえ…。うちなんか縄の先に鵜がいなくてもめちゃくちゃに絡ませそうなもんだけど(……)。

写真には見事に一羽も写ってませんが、肉眼ではちゃんと鵜の頭が出たり入ったりするのは見えました。

鮎を捕らえ、のどのところに飲み込み、また川に潜って鮎を探す鵜。
のどに鮎がいっぱいになると「もう無理」って感じで鵜が川に潜らなくなるそうです(なんかかわいいなw)。
そういう鵜がいたらすぐさま鵜匠さんは手縄で手繰り寄せ…

船の「吐け籠」の中に鮎を吐き出させます。

(見えますかね?鵜匠さんが鵜を右手でつかんでいます)
そしてまた鵜は川に戻り、鮎を探す…。一瞬です。ぼんやりしてたら見逃しまくり!

「長良川鵜飼」の鵜匠さんは6人。代々世襲制で、その家の「長男」が継ぐと決まっているそうです。

正式な職名は「宮内庁式部職鵜匠」。国家公務員、なんだそうです。
鵜飼の道具も、鵜飼そのものも、文化財として保護されていて…おかげで1300年の歴史を持つ鵜飼が、こうして今日も見れるわけですね。

鵜飼の表現として「幻想的」っていう言葉は今までもよく見かけていたけど…
実際に見ると、ホントにそうだなあ…って思いました。
なんだかね、夢みたいなんです。目の前で行われてるのに、現実感がちょっと薄いというか。
映画とか…時代劇を見てるみたい。船も、篝火も、鵜匠さんの装束も、昔からの伝統のもので…、信長も家康も、あんまり違わないものを見てたんだろうな、と思うと本当に不思議な気持ちがして。不思議なんだけど、どこかすんなり納得できるというか…。
「自分は今岐阜に来て鵜飼見物をしている」ということも忘れてしまいそうだった。
じっと見ること「しか」してない瞬間があった。
…久々に飲んだお酒のせいだけじゃなかったと思う。

あと、ひそかに決めてたことがあった。
鵜に「かわいそう」って思わない、って。

鵜に縄をつけて、せっかく捕らえた魚を吐かせて漁をする…だなんて、普通に考えればひどい話なのかもしれない。うちもずっと「鵜飼見に行きたいんだよねえ」って言い続けてたから、その言葉に対して「でもあれ鵜がすごいかわいそうじゃん?」みたいに言われたことも何度もあって…でも反論はできなかった。
だけど、「鵜飼見物」に来てるうちがそんな風に思うのは、鵜にも、鵜匠さんにもすんっごい失礼なことだろうと思ったから。

松尾芭蕉が鵜飼を見て詠んだ有名な句。
「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」
うちはこの「かなしき」っていうのは、鵜に対するだけのことかと思ってたんだけど…今調べてみたら違う解釈もあるらしい。漁が終わればあの明るかった篝火も消えていってしまう…、楽しい時間が終わってしまう、的な。
すごいなるほどっていうか…「わかるわかる」って感じなんだけど。
うち(そういう解釈を知らなかったうち)もあの場で、確かにもの悲しさを感じてた。
鵜にかわいそうとか思わないで、あれはああいうお仕事なんだ、それを立派にこなしてるんだ、そして今はそれがただの「漁」ではなく芸術にまで高められてるものなんだ、すごいことじゃないか!…って、…別にしつこく自分に言い聞かせる必要もなく、自然にそう思えてた。
その上で、でも、やっぱりどこかかなしい気分もやっぱりあって。
その時、「ああ、芭蕉さんの『かなしき』ってこういうことなのかな」って思った。
単純にかわいそうとかじゃ絶対ないんだろうな、って思った。

クライマックスは6隻並んで一斉に鮎を追い立てる「総がらみ」。

そんなに短い時間じゃなかったはずなのに、終わってしまうとあっという間に感じた。
ずっと、ずっと、見たいと思っていた鵜飼を見れて、本当に嬉しかった。
すぐそこで鵜が頑張っている姿を見れて本当によかった。
でも終わっちゃった…。もう、終わっちゃった…。

おもしろうて、やがて、…かなしき。

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