続き。
■はじめての嵐電(らんでん)
調べたところ、広隆寺へは「嵐電」で行くのが良さそうで。
今いる「龍安寺」という駅も、あるんですが……地図で見ると、少し距離がありそう。何かまっすぐな道でもないみたいだし…。
隣の「仁和寺」は、バス停と「御室仁和寺駅」の距離はほとんどないように見えたので、面倒だけどバスか歩きで仁和寺まで行った方が安全かな?とか思ってたんですが…
いざ、龍安寺に来てみると、「嵐電『龍安寺駅』はこの先」みたいなおっきい看板が!
…こんな風に書いてあるなら、歩いていける距離なのかも…。そして途中にも案内表示があるのかも!
龍安寺駅に行けるならそれが一番いいので、行ってみることにしました!
…思った通り、曲がり角には道案内の表示があって、迷わず駅に着くことが出来ました。よかったよかった。
嵐電って……私、乗ったことないんですよね。小さい頃にはあるのかもしれないけど…意識のある間は、ない。何年も京都検定の勉強と食べ歩きのために京都中をぐるぐる回ってた時も、一度も利用したことがなくて。
加えて、「路面電車」というものに乗ったことも、人生で数えるほどしかないので、めっちゃ緊張しました。ICOCAが使えるってことで、それで少し安心はしてたんだけど、どのタイミングで出すのかわからなかったので、もう駅からICOCA入った定期券入れ握ってました(……)。
今は枯れ木にしか見えない「桜のトンネル」を通りすぎ…(春はめっちゃ綺麗なんだろうなあ!)、「帷子ノ辻(かたびらのつじ…読めねえよ!)」で乗り換えのため下車。
目指す「太秦広隆寺」駅に行くには、今いる「北野線」から「嵐山本線」へ乗り換えなくてはいけません。
よりによってここでうちの迷子スキルが発動!
降りた人が多数、ホームをつなぐ小さい踏切を渡って向こう側のホームへ行くのを見て、「こっちに違いない」と思い込み、一緒に渡ってしまいました!!
指摘していただいて間違いに気づき、あやうく違う電車には乗りませんでしたが…!本当に危なっかしいプランナーだな!
ここで初めて私、自分の迷子傾向のひとつに気づくことが出来ました…。「乗換がある=ホームが変わる」、「人がたくさんそちらに移動する=正解」との思い込み…。普段は行き先の表示とかもめっちゃ確認するのに、誤った思い込みに安心してしまって、確認しなくなって間違えるんですね…!すごい危ない…!
あとほら、「どっち??」って迷った時に、信号が青になると、なんかそっちに行ってしまう、とか…(お前人様を案内なんてするなよ!)
■なんとか、広隆寺到着
広隆寺といえば……
「聖徳太子」!「秦氏」!「弥勒菩薩像」!……ですね。
京都検定ってマークシート式の選択問題なので、キーワードを覚えとけばオッケーなんですよね(ただそれが多すぎる…。京都弁の意味とかも出るし…)。なので今でもつい、お寺の名前を見たり聞いたりすると、頭の中で早押しクイズみたくキーワードをぽんぽんと答える私がいます。行ったことのない場所なら、本当にそのテキストで勉強した範囲しか知らないので、余計キレイにキーワード「だけ」が浮かびます。…覚えてるとこだけですけどね。(金閣寺なら「雪の時は綺麗なんだよなあ」とか、龍安寺なら「ハリーポッターが来たんだよなあ」とか、別の事もいっぱい思い出す)
そういうわけで、初、広隆寺です。
このお寺は京都の中でも最も古いお寺で、このあたりの有力な豪族であった「秦氏」が聖徳太子から仏像を賜って、それを本尊として建てられたお寺だそうです。このあたりの地名は、映画村で有名な「太秦(うずまさ)」というのですが、その名前の由来は、秦氏が献上した絹が「うず高く積まれる」ほどあって、そこから来てるとか。それくらい有力な一族だったそうです。
そして広隆寺にある、超有名な像が「弥勒菩薩像」。国宝第一号らしいです。
…さっきのキーワードを使って無理矢理解説してみた。
思ったより、で、でかい…!もう、入る前から規模がでかいってわかる!
門の所には注意事項が。本堂とか、内部の撮影は禁止だそうです。…まあ、そういうとこは他にもあるからね。
でもお庭は撮っていいらしい。
桜だ!かわいい!!
これ、あれかなあ。前に、…えーとどこだっけ、勧修寺!で、見た、不断桜??
すーごい広い敷地に、立派な本堂があります。
それでその奥に、弥勒菩薩像がある霊宝殿が。
入口には「静かに拝観して下さい」みたいな注意事項が。観光地京都といえども、この内部ではガイドさんの説明もNGみたいです。
霊宝殿は、広いひとつの部屋みたいになってて、その部屋の壁に沿ってぐるりと、多数の仏像が並んでいます。
明かりは、すごく落とされてて、暗い。「静かに」という注意書きは入口にしかなかったけど、もうこの中でうるさくなんて絶対できない雰囲気。他にも数名の方がいらっしゃいましたが、皆一言も発さずに、静かに見て回っていました。
入口に近い方から順番に、簡単な解説を読みながら、見ていく。
…恥ずかしながら私は、京都検定の勉強をしている間も、仏像に興味を持ったことはありませんでした。知識として頭にはいくつか詰め込んだけど(ここの弥勒菩薩像の事とか)、深く調べようとは思わなかった。三十三間堂に行った時も「いっぱいあるなあ」くらいしか思わなかったし。あの1001体の中には、自分に似た顔の像が必ずあると言われてるから探そうと思ったけど、10体くらいで諦めちゃったんだよなあ…。
解説は読んでいるものの、如来とか菩薩とか全然わかってなくて言葉が頭をただ通り過ぎていってしまう…!「(結局どの仏様が一番偉い…っていうか、位が高いんだろうか?)」とか悩んでたら今度は別の像の解説の文字に「こちらは実在の人物がモデルになっている」みたいなことが書いてあって「(え?……え?)」って頭を抱えたくなる羽目に!じ、実在……?
だから、ってのはおかしいんだけど…仏様の位置づけとかの理解は諦めて、そのそれぞれの像をじっくり見ることにしたんですよね。
一番に目についたのは、それぞれの「表情」の違いだった。
「明王」の憤怒の表情もそうなんだけど、もっとわかりやすいのはそれ以外の仏様の顔。穏やかなんだけど、きゅって口を結んでる方がいたり、なんとなく微笑んでるような方がいたり、どっちとも言えない方もいたり。こんなにじっくり、しかも同時にたくさんの仏様を並べて見たことがなかったから、知らなかった。
そして、「弥勒菩薩像」。
……あのねー、ちょっとこれは、言葉を失ってしまった。いや、確か京都検定の公式テキストにも写真入りで載ってた気がするし、そういう意味では見慣れてるはずなのに。
間近に見ると、美しすぎて、
これ…本物なのか、って、思っちゃうほどだった。
レプリカじゃないの?みたいに疑ってるんじゃなくて…ええと、なんていうのかな、ここまでいろんな微妙な表情の仏様を見てたわけじゃないですか。「これって、人が作ったんだよなあ。すごいよなあ。」って思ってたんですよ。微妙な表情の「表現」がすごい、って思ってたんですよ。
あれは…、あれも、誰かが、…人が、作ったなんて、信じられなかった。
綺麗すぎる。優しすぎる。
一つだけ別格だった。ほんとに。これは照明とか、配置のせいだけじゃない(当然、思っきし「センター」)。
そりゃ国宝に選ばれるわ…って感じでした。マジで。
弥勒菩薩の正面側に、めちゃおっきい千手観音像とかあって、全然気づかなくて「!?」ってなったりしつつ。
ぐるーっと1周して、やっぱりまた弥勒菩薩像の前に戻ってしまって、ぼんやりその表情を見てた。
弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかし(ゆ)いぞう) は、仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像である。
(Wikipediaより)
何を思索しているのかというと、「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」そうです。
そのお姿を見ているだけでこちらは救われそうですが…。
いや、そういう表情だから、救われるのかな。
…かなり、衝撃でした。しばらくぼんやりしちゃうくらい。
見れて、よかった。来てよかった、広隆寺!
この機会を与えて下さったゲストさんに、感謝です!
まだ続く。