夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

腰・膝の関節、簡単筋トレで守る 痛み改善し転倒予防、こっそりと高齢者の私は学び、やがて微笑み・・。

2019-02-13 16:07:59 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している最新の信頼の健康情報サイトの【日経グッディ】を見たりした中、
『 腰・膝の関節、簡単筋トレで守る 痛み改善し転倒予防 』と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む74歳の年金生活の身であるが、
過ぎし70歳の頃から、寒い季節に、和室の寝室で朝に布団から目覚め、
やがて起きだして、部屋の片隅に置いている靴下を履こうとする時、
身体か或いは骨が固くなった為か、苦難する時もあったりした。

このようなことは60代の時は感じたことはなかったが、
無念ながら老化現象で齢なのかしら、と独り苦笑したりしてきた。

或いは知人宅で正座したり、あぐらを掻(か)いたりして、一時間ぐらい談笑した後、
すぐに立てなくなり、苦笑をしたりしてきた・・。

このような深情を秘めてきた私は、今回の記事を学びたく、
こっそりと読んでしまった・・。

この記事の原文は、『日本経済新聞』の2018年12月26日の夕刊に掲載された記事りひとつであり、
関連のサイトの【日経グッディ】に2019年1月24日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・腰・膝の関節、簡単筋トレで守る 痛み改善し転倒予防

            

関節を守る筋肉を鍛える「関節トレーニング(関トレ)」は、シニア世代が自宅で手軽にできる健康法だ。
道具は使わず、動作は単純。

体力がない人や運動が苦手な人でも、無理せず自分のペースで継続できる。
腰や膝の筋肉を強化でき、加齢による腰・膝の痛みの改善や転倒防止にもつながる。
筋肉は加齢とともに衰えるが、適度なトレーニングで維持・強化でき、加齢による腰・膝の痛みの改善にもつながる。

「見た目は,かなり地味ですが、普段使わない筋肉を使うので、効果があります」

2018年12月1日、東京・新宿の朝日カルチャーセンターで開かれた「筋力の老化を防ぐ簡単筋トレ」講座。

理学療法士の講師、笹川大瑛さんの掛け声で、
27人の生徒が片足のつま先を反対側のかかとに向けて内側にひねる。

そして、ひねった足を膝を曲げずに、床から浮かせてそのまま10秒間静止する。
足を下ろすと、苦しさから解放された「ハァー」という声が一斉に上がった。
これが腰の関節周りの筋肉を鍛える運動(写真(1))だ。

[画像のクリックで拡大表示]

腰を丈夫にする動作は、もう一つある。
あぐらをかいて両足の裏をくっつける。

股間から、かかとまでの距離は約50センチ。
背中を丸めず、胸をつま先にゆっくり近づける(写真(2))。

実際にやってみると、ベルトの下あたり、股関節の付け根の筋肉に、負荷がかかっているのがわかる。


定員20~30人のこの講座は定期的に開かれ、毎回満員になる。
1日の参加者は、60代から70代の女性が中心だ。

2回目の受講という東京都狛江市の女性(66歳)は
「自宅で母を介護しています。
体を持ち上げようとすると、つらくなってきたので、筋力をつけたいと思いました」
と参加した理由を語る。

名古屋市から日帰りで参加した女性(50歳)は
「ネットで講座を知りました。早速、自宅に戻って鍛えます」
と笑顔で話した。

            

笹川さんが腰の運動と並んで、シニアに勧めるのが、中高年が痛めやすい膝の運動だ。
いすに座って股を開き、片足のつま先を前に向けて、膝を力を入れて曲げる(写真(3))。
膝を曲げたり、股関節を伸ばしたりする時に、使う太ももの裏側の筋肉を鍛える運動だ。


もう一つが、あおむけに寝て片足のつま先を内側に向けて尻を浮かせる運動だ(写真(4))。
寝返りを打つ格好で、肘をついて尻を浮かせる。
太ももに力を入れることで、膝の関節を支える筋肉を強化する。

この部分は下半身の左右の重心移動に大きく関係している。
電車でつり革につかまって立っても、よたよたするのは、この筋肉がうまく働いていないことも要因という。

4つの運動を、それぞれ3回繰り返す。
「毎日、10分間程度の運動で効果がある」と笹川さんは話す。

こうした「関トレ」は、筋力回復を目的に各地の病院で、患者のリハビリとしても採用されている。

東京都健康長寿医療センター研究所の金憲経研究部長も「関節トレーニングを勧めます」と話す。
高齢になると腰や膝の痛み、転倒による骨折が増え「老年症候群」と呼ばれる。
いずれも悪化すると歩行困難になり介護が必要になる。

それらにつながる原因の多くが、筋力低下という。

筋肉は、加齢とともに衰えると思われがちだが、適度なトレーニングで維持・強化できる。
継続すれば、健康寿命が延ばせて、生活が楽しめる。

            

☆間違った筋トレ、けがや故障原因

東京都健康長寿医療センター研究所が昨年、
東京・板橋区在住の65歳以上の女性1035人に痛みがある体の部位を調査したところ、
「腰」が38%、「膝」が35%と圧倒的に多かったという。

腰の痛みがある人は、転倒した経験も多い。
調査した金部長は「シニアの間違った筋トレは、鍛えるどころか、けがや故障につながる」
と注意を促す。

膝が痛いのに、スクワットしたり、足が弱っているのに、ジョギングしたりするのは
かえって症状を悪化させるという。

一方、関トレは「腰や膝と股関節を守るため、いわば体の中にサポーターを作るイメージ」(金部長)。
男性に比べて筋肉量が少ない女性で痛みのある人に、効果的な運動プログラムを研究開発中だ。
(シニア・エディター 近藤英次)・・》

記事の原文に、あえて改行を多くした
            

こっそりと私が、この関節を守る筋肉を鍛える「関節トレーニング(関トレ)」に挑戦したのは、
高齢者の体力がない人や運動が苦手な私でも、道具は使わず、動作は単純で、
自宅で手軽にできる健康法、と教示されたからであった。

そして何かと不器用な私でも、少しづつ実行すれば、
腰や膝の筋肉を強化でき、加齢による腰・膝の痛みの改善や転倒防止にもつながる、と教えられて、
30分前より、こっそりとお手本の写真を見たりした上で、真似事をしたりした。

やがて初めてであった為か、こうしたことを毎日実行すれば、一週間後には、
ラジオ体操のように、スラスラとできるかしら、と微笑んだりしている。

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死に至る肺炎につながる高齢者の風邪とインフル、74歳の私は学び、多々教示されて・・。

2019-02-12 16:08:14 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は近所の年配の男性より、風邪になって油断すると肺炎になると、
最悪の場合は生死にかかわることがあるから、注意しなさい、と私が70歳の頃に学んできた。

こうした心情を秘めてきた私は、今回の標題の『死に至る肺炎につながる高齢者の風邪とインフル』を学びたく、
真摯に精読してしまった。

この記事の原文は、『女性セブン』の2019年2月21日号に掲載された記事のひとつであり、
【 NEWSポストセブン 】に2019年2月12日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

          

《・・要注意! 死に至る肺炎につながる高齢者の風邪とインフル
今年のインフルエンザの流行は、例年より激しい。
2019年第3週(1月14~20日)時点でも増加傾向にあり、まだまだ警戒が必要だ。

うがい、手洗いの徹底や防寒、加湿、マスク着用などが、重要なのは周知のことだが、
注意が必要なのは、高齢者と幼児。

元気な子供や体力のある成人の対応とは、区別した方がよいという。

地域の総合診療に取り組む東京・多摩市のあいクリニック中沢・院長の亀谷学さんに聞いた。
「インフルエンザは、感染者の咳や鼻水、唾液などにいるインフルエンザウイルスの“飛沫感染”や、
物や手についたウイルスの“接触感染”で、うつります。

1~4日間の潜伏期の後に、悪寒・戦慄につづく高熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、
咳、鼻水、嘔吐、下痢などの症状が見られます。

症状が軽くすむこともありますが、熱は1~5日ほどで下がることから、
通常の風邪が、満3日で解熱するのに対して、
インフルエンザは、“5日で治る重い風邪”ともいわれています」と亀谷さん。

高齢者にとって怖いのは、健康な成人に比べて重症化しやすいことと合併症だ。

肺炎や脳症などの合併症を起こすことがあります。
特に高齢者は、心臓や肺、腎臓などの働きが低下しており、糖尿病など感染に弱い病気を持っている人もいます。

あえぐような呼吸や意識状態が悪い場合は、インフルエンザ感染だけでなく、
肺炎に移行していることも疑います。
場合によっては命にかかわることもあるからです」

日本人の死因でがん、心疾患に次いで多いのも肺炎だ。
「その多くは高齢者に見られる誤嚥性肺炎ですが、この季節は風邪やインフルエンザからの移行も注意すべきです。
肺炎に至るリスクの高い風邪やインフルエンザは、高齢者にとって侮れないものと心得ておきましょう」

          

私たちが風邪やインフルエンザにかかれば、
わかりやすい自覚症状や典型的な経過を察知して、たいてい自分で感染に気づける。
しかし、この点も高齢者と健康な成人は違うという。

「高齢者は、自分の不調に気づきにくく、ましてや認知症があると、
不調を周囲に伝えることが難しいこともあります。

身近にいる家族が、注意して見ることが大切なのです。
また高齢者は、必ずしもわかりやすい症状や典型的な経過をたどるとは限りません。

たとえば38度以上の発熱があれば、常に肺炎が疑われます。
場合によっては、腎盂炎や急性胆のう炎などの感染症になっていることもあります。

しかしこういった発熱や呼吸器症状が訴えられることなく、
検査してみると肺炎にまで至っていたというケースもあるのです。

つまり高齢者の場合は、“何でもありうる”と考えるのが賢明で、
症状だけを目安にしていると、重大な見落としをしかねません」

では、見逃したくない高齢者のインフルエンザや肺炎は、どんなところに注意すると気づけるのだろうか。
「いちばんのポイントは、本人の様子でしょう。

●食欲がない、食べられない。水やお茶も飲まない
●だるそうで、昼から居眠り
●覇気がない、反応が鈍い

など、“何かいつもと違う様子”がないかどうか、注意してみましょう。
またこれに加えて重要なのが、インフルエンザの感染経路の予測です。
感染者と接したかどうかが、大きな要因になります。

●同居する家族が感染している
●不特定多数の人が集まる人込みに出かけた
●感染している人と接触した

といった感染の機会があったかを、慎重に探ってみましょう。

そして“いつもと違う様子”と“感染経路の予測”の条件が揃えば、
熱や呼吸器症状などがなくても受診し、インフルエンザの検査を迅速に受けることをおすすめします」

ちなみにインフルエンザウイルスは、冬季に爆発的に流行し、
集団感染する性質があり、昔から流行性感冒といわれている。
疑わしきは、速やかに受診することが大切だ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

          

過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活をしていると、風邪気味かしら、と私は感じたら、

いつでも寝れる年金生活の特権であり、
市販薬も飲まず、早めに寝てしまい、9時間ぐらい睡眠をすれば、
翌日は絶好調・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして私が65歳の高齢者となった後、近くの内科専門医院の医師より、
インフルエンザ予防接種を薦(すす)められた時、
『寒さを感じた時は、緊張感があれば、風邪などはひきませんょ・・』
と私は明るく応(こた)えたりし、可愛げのない高齢者であった。


やがて2012年(平成24年)の12月中旬、年末年始で何かと人と逢う機会が多いので、
遅ればせながら、やはり風邪は移しても、移されても困るので、
初めてインフルエンザ予防接種を受けた。

これ以来、私はインフルエンザ予防接種を受けてきた。


          

このように風邪に関して過ごしてきたが、
しかしながら昨年の晩秋、ご近所の私よりひとつ若い男性が、誤嚥性肺炎が原因で死去され、
私は動顛しながら、風邪でも油断大敵、と思いながら過ごしている。

今回、この記事《・・死に至る肺炎につながる高齢者の風邪とインフル・・》多々教示され、
注意して過ごせば、今年の9月の誕生日で75歳を迎えることが出来る・・と思い深めたりしている。

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なぜ中島みゆきの歌は、日本人に刺さるのか、高齢者の私は学び、やがて微笑み返しして・・。

2019-02-11 16:23:01 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している文藝春秋の公式サイトの【文春オンライン】を見ている中、
『 本人不在でも立見が出るほど大人気 なぜ中島みゆきの歌は日本人に刺さるのか 』
と題された見出しを見たりした。

たまたま私はシンガー・ソングライターの中島みゆきさんはに関しては、
昭和の終りの頃から、歌詞、メロディー、唄声に魅せられて、ファンのひとりとなっているので、
この記事を読んでしまった。

この記事の原文は、『週刊文春』の
2019年2月14日号の掲載された記事のひとつで、
関連の【文春オンライン】に2019年2月10日に掲載され、無断であるが転載させて頂く。

            

《・・4月にスタートする倉本 聰(84歳)脚本の昼ドラマ『やすらぎの刻(とき)~道』(テレ朝系)の主題歌に、
中島みゆき(66歳)の楽曲2曲が決定。

高視聴率を上げた2年前の第1期『やすらぎの郷』に続く起用だ。

 
【写真】この記事の写真を見る

「倉本 聰氏は、中島みゆきを『天才』と評するほど惚れ込んでおり、今回も倉本氏たっての願いで実現。
ドラマは老人ホーム『やすらぎの郷』での物語と、
そこで暮らす作家・菊村(石坂浩二・77歳)が書くシナリオ内の物語という二層構造。

主題歌も、各々をイメージした2曲という異例な形になった」(放送記者)


中島みゆきの楽曲は、テレビ界で常に引っ張りだ。

2000年から5年間放送されたドキュメント番組『プロジェクトX』(NHK)のテーマソング『地上の星』もしかり。


「あまりテレビに出ない中島みゆきが、反響を受け2002年の紅白歌合戦に初出場。
黒部ダムからの中継でしたが、『動く中島を見たい』と歌手別視聴率は52%に達した。

2014年には朝ドラ『マッサン』の主題歌になった『麦の唄』もヒット。
その年の紅白には2度目の出場、NHKホールで歌った。

昨年の紅白では、島津亜矢が中島みゆきの代表曲『時代』を歌い、楽曲だけが出場するという珍事も」(同前)

☆中島みゆき本人は出演しない異例のコンサートが大盛況

1975年、ヤマハのコンテスト入賞を機に、プロ歌手になって44年。
マイペースな歌手活動と謎めいた私生活を送るが、生み出した楽曲の存在感は絶大だ。


「『糸』は、結婚式の定番曲だし、とにかく中島みゆきは、他の歌手に曲をカバーされることが多い。
4年前に始まった『中島みゆきリスペクトライブ 歌縁(うたえにし)』は、
研ナオコ、由紀さおりら多数の大物歌手が、中島みゆきのヒット曲を歌うという異例のコンサート。

中島みゆき本人は、出演しないにもかかわらず、立見席まで出ることもある盛況。
今年も1月末から始まっています」(音楽誌記者)


中島みゆき自身は1989年より続いている、
コンサートと演劇を融合させた舞台『夜会』をライフワークとしている。


「長らく“屈指の入手困難チケット”として知られてきた。
現在、渡辺真知子を共演に迎え、20回目の夜会『リトル・トーキョー』を公演中。
淡々と歌い上げるオペラのような中島のステージは圧巻です」(同前)


時代はまわれど、みゆき節は不変。・・》 

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

過ぎし年の2016年11月16日、私は購読している読売新聞で、中島みゆきさんの最新アルバムが、
36ページ目に全面広告として掲載されていたが、
《         中島みゆき
           は
          「時代」
           と
          「糸」
          だけじゃない!  》
と大きく明記されたフレーズに、私は見て微笑んだりした・・。

私はたまたま音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて2004年の秋に定年退職した身であり、
この後も何かと音楽業界の動向、魅了されたアーティストに関して習性のように注視しているひとりである。

このような心情を秘めている私は、音楽業界の総合情報ニュースサイトの【Musicman-NET】を愛読しているが、
過ぎし8月10日に於いて『中島みゆき、20年振りのベストアルバム「前途」が11/16発売決定』
http://www.musicman-net.com/artist/59792.html
と題された記事を読み、私は中島みゆきさんの最新アルバムの概要を知ったりした。

私はアルバム発売日の11月16日、最寄駅のひとつの『成城学園前』の駅ビルにある『山野楽器・成城コルティ店』で、
20年振りのベストCDアルバム「前途」、
最新コンサート『中島みゆき Concert「一会」(いちえ)2015~2016』を収録したBlu-rayを
買い求めたりし、これ以来数か月は殆ど毎晩視聴したりしてきた。
              
          
誰しも本、映画、音楽等で、ふとしたきっかけで、その創作者に夢中になり、のめり込むことがあると思う。

私も音楽に於いて、ひとりのアーティストの出会いもそのような形であった。

私はあるレコード会社に勤め、この当時は情報畑に所属し、
平成元年の初め、昭和天皇が崩御された後、昭和から平成と年号の変換、
そして4月から日本で初めての消費税の対応で、睡眠時間を削りながら奮闘していた・・。

1月のある日曜日、土曜休日も奮戦していた為、昼過ぎまで寝過してしまい、パジャマ姿でぐったりしていた・・。
日曜日の夕方、疲れきった私は、パジャマ姿で家内が買物に行くのを見送ったりした。
そして足早に過ぎていく、夕陽を見ていた・・。

お茶を淹れた後、カセット・テープをラジカセに何気なしにかけたりした。
そして、何曲目から、人の尊厳を問うかのように、流れ聴こえてきた・・。

♪エレーン
  生きていてもいいですかと 誰も問いたい
 エレーン
  その答を誰もが知っているから 誰も問えない・・(略)・・【『エレーン』 作詞、作曲・中島みゆき 】

私は聴きなが感極まって、やがて目頭が熱くなり、涙があふれ出た・・。

                           

このカセットテープは、倉本 聰(くらもと・そう)さん・監督・脚本の『時計』オリジナル・サウンドトラックであり、
私の勤務する会社から発売され、試聴用として頂いたのを、初めて聴いたのであった。

この映画に使用された音楽は、金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』、五輪真弓さんの『恋人よ』、
中島みゆきさんの『エレーン』、浜田麻里さんの『ハート・ライン』、高橋真梨子さんの『モノローグの九月』、
北原ミレイの『石狩挽歌』、森昌子さんの『越冬つばめ』等であった。

このように各レコード会社の所属する有数な歌手を使用したので、
レコード会社の発売先が難題であったが、テーマ曲が金子由香利さんであり、私の勤務先の会社で決まった、
と上司から聞いたりしていた。

私は初めて中島みゆきさんを心に留めたのは、この曲からである。

中島みゆきさんは他社のレコード会社に所属していたが、勤務先の関係より、
中島みゆきさんの名と曲ぐらいは、制作に直接に関係のない情報畑の私でも、
私の務め先でアイドル歌手用に、何曲か作詞・作曲をして頂だしたりしてきた。

たとえば、♪記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます・・(略)・・【『春なのに』 作詞、作曲・中島みゆき 】
私からみれば、感性のあるシンガーソングライタのひとり程度だった・・。

そして『時代』、『わかれのうた』、『悪女』にしても、
当然知っていたが、何事もなく私の心は通りすぎて行ったのであったが、
心の中に溶け込んできたのは、この『エレーン』をきっかけとなった。

                           

多くの方が魅了されたアーティストに対し、初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。

こうして私は、中島みゆきさんのデビューアルバムの『私の声が聴こえますか』から『回帰熱』までのアルバムは、
私はまたたくまに購入した。
そして、多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された。

今、思い出しても、この当時に百回以上聴いた曲は、『アザミのララバイ』、『歌をあなたに』、『時代』、『冬を待つ季節』、『忘れるものならば』、
『ホームにて』、『時はながれて』、 『玲子』、『おまえの家』、『世情』、『根雪』、『小石のように』、『エレーン』、『異国』、『夜曲』、
『肩に降る雨』、『HALF』、『白鳥の歌が聴こえる』、『クリスマスソングを唄うように』、『ローリング』、『黄砂に吹かれて』、『群集』、
『儀式(セレモニー)』であったりした。

こうした中、随筆集も求めて精読したが、文体は軽く、随所とらえる感覚が鋭いところがある程度だったが、
意識的に、読みやすく工夫をしている、と解釈した。
ラジオ放送は、わずかしか聴いていなかったが、随筆と同様と判断した。

そして、中島みゆきさんに関しての評論本も購入して読んだりした。

こうした結果として、中島みゆきさんの生命線は、やはり作詞・作曲、そして歌につきる、と深く思いながら、
コンサートを観る機会を待ち焦(こ)がれたりした。
           
平成元年(1989)11月、業界の注目の中で、渋谷の文化村にあるシアターコクーンで『夜会』が公演されたが、
私は前売りの予約も取れず、キャンセル待ちをわずかな望みを託しが、敗退した。

そして翌年に第2回の『夜会』を平成2年11月29日であり、私は少し高揚しながら鑑賞した。

こうして私は中島みゆきさんの曲を知り初めて3年間ぐらいは、物狂いのように無我夢中で、
殆ど毎晩聴いたりしていた。

そして熱病から平熱になっても、週に一度ぐらいは聴いたりしていた。

              

やがて私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院生活をして、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたりした。

この後、私が勤めていた会社がリストラ烈風の中、55歳から出向時代していた中で、
『ヘッドライト・テールライト』が支えのひとつとなったりした。

私が初めて『ヘッドライト・テールライト』聴いた時、瞬時に魅了され、そして感銘を受けたのは、

♪語り継ぐ人もなく
 吹きすさぶ風の中へ
 紛れ散らばる星の名は
 忘れられても
 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき  】

という詞であった。

そして何よりも出向となっていた私の心情を支えてくれたり、
この後の定年退職後の年金生活の今でも、最も励ましてくれる詞が、

♪行く先を照らすのは
 まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
 あどけない夢
 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき  】

この励ましてくれる詞が、私にとっては何よりも大切な言葉となっている。
          
この間、カセット、CD、DVDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、名曲の数々に救われ、今でも私の秘かな女神となっている。

              

このように私に取っては、中島みゆきさんは秘かな女神の御方であり、
この記事を読み終わった後、微笑み返ししたりしている。

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年代別「寝たきりにならない一日当たりの目標歩数」、高齢者の私は学び、微笑み返し・・・。

2019-02-10 14:35:41 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかな年金生活を過ごしている。

私は年金生活の当初から、せめて我が家の平素の買物ぐらいはと思い、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。

          

このような深情を秘めている私は、もとより寝たきりは怖く、記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、ライター・石川美香子さんが綴られた記事で、
週刊朝日』の2018年12月21日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【AERA dot.】に10月9日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・1日どれくらい歩けばいい? 年代別「寝たきりにならない目標歩数」

歩くくことは、お金をかけずに、すぐできる健康法である。

でもいったい、1日にどれくらい歩けばいいのだろうか。

そこで年代別の目標歩数を導き出した。
歩数を見てひるんではいけない。家事をするだけで3千歩にもなるという。

習慣のない人や体力に不安のある人でも、手軽に始められるとあって、
ここ数年、中高年を中心に人気となっている。

          

健康増進を目的とした運動のなかでもウォーキングは、
運動習慣のない人や体力に不安のある人でも、手軽に始められるとあって、
ここ数年、中高年を中心に人気となっている。


世界的に見て、日本は長寿国である。

だが、介護などの必要がなく、日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差がある。

つまり、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となるのだ。


一般的に筋力や体力(身体活動量)は20歳代がピークで、30歳以降は10年で5~10%ずつ低下していく。
20歳代を基準として、体力が30%以下に落ちると、
自立した生活ができなくなり、要介護や寝たきり状態になる。

つまり、ここが「寝たきり危険(要介護)ライン」。
信州大学大学院特任教授の能勢博医師は
「日常的に運動をしている人としない人では、この30%ラインを超える年齢に15~20年もの開きがある」と話す。


健康寿命を延ばす方法の一つであるウォーキングだが、
実際、歩くことと健康寿命の関係を示した研究結果が報告され、エビデンス(科学的根拠)も蓄積されてきた。

          

人それぞれ、筋力も違えば体力も違う。
それを踏まえて、健康寿命を保つための年代ごとの1日の目標歩数の目安を算出した。

結果、サラリーマン世代(40~59歳)は8千~1万歩、
定年後(60~64歳)は8千歩、前期高齢者(65~74歳)7千歩、
後期高齢者(75歳以上)は5千歩となった。

「あえて歩く時間を捻出しなくても、毎日の生活の中でちょっと工夫をするだけで、かなり歩けています」
と話すのは、東京都健康長寿医療センター研究所副所長の新開省二医師だ。

例えばサラリーマンなら、通勤でバスに乗らずに、自宅から駅まで歩く。
片道15分、往復30分をやや速歩きすれば約3500歩。

職場でも会議や打ち合わせ、ランチなどで社内外を歩き回れば約3500歩。
帰宅後も家の中で洗濯や料理の後片付けなどをすれば約1800歩。1日合計約8800歩にもなる。

この世代は。むしろ外出での歩数が多く、家の中ではあまり動かない傾向にある。

          

これに対し、家にいる時間の多い高齢者の場合、
例えば、「買い物」、「掃除機かけ」、「洗濯(干す・取り込む)」、「庭の水やり」、「料理と後片付け」など、
なるべく立って歩くようにすれば、家の中でも1日約2千~3千歩は歩ける。

さらに、社会との交流をなるべく保ち、外出する機会を多くすれば、外出で平均3千歩、合計5千歩以上になる。
「室内歩数を知るために、家の中でも歩数計をつけてみましょう。
日常のすべての歩数を知ることが大切です」(新開医師)

毎日8千歩を普通に歩いていた人でもやはり、
退職後は歩く機会もなくなり、社会的な接点や交流もぐっと減る。
結果、高齢になると、どうしても家にこもりがちになりやすい。

「高齢者の方で毎日たくさん歩いている人は、近隣に知り合いが多い、
自宅周辺の道路環境も歩きやすく、買い物もしやすいなど、歩くための環境に恵まれていることが多いです。
一緒に歩く仲間がいることも大切。できるだけ一日1回は外出しましょう」(同)

ただし、高齢者の場合は歩きすぎにより、膝や腰を痛めることもあるため、無理は禁物だ。

「膝関節症などの持病があれば、無理はしない。
ただ、まったく運動をしないと、余計に症状が悪化するので、
痛みがそれほど強くないときには、歩くように心がけましょう」(同)・・》

記事の原文に、あえて改行を多くした
            

私は2016年の10月頃、このサイト【AERA dot.】に於いて、
ウォーキングに関する研究を進める青柳幸利さん(東京都健康長寿医療センター研究所)の論調で、
一日1万歩という指標は「逆に寿命を縮める危険性がある」、と学んだりしてきた。

《・・「1万歩は、万人に共通する目安とは言えません。
個々人で体力も筋力も違いますから、その人に合った歩数(運動量)の目安も異なります」(青柳さん)
青柳さんは、1日の歩数の一つの目安を「8千歩」と設定し、推奨している。

「5千人を対象に15年間にわたって行った調査結果から明らかになりました。
意識的に時間を設けて歩くのも必要ですが、例えば家事や買い物などで歩いた分もカウントして構わない。
むしろ、一日の中で分散して歩くほうが健康には良いのです」(同)

“歩けば歩くほど良い”という思い込みについて、青柳さんはこう説明する。
「実は運動のしすぎは、健康効果がないどころか、免疫の低下につながることもあります。

スポーツ選手は風邪をひきやすいなどといわれますが、これは“体力=免疫力”ではないということ。
筋肉を使った激しい運動をすれば、健康度も上がるという認識は間違っています」・・》

            

このようなことを学び、私は結果的には5000歩の日、10000歩の日・・
8000歩の日・・きまぐれで歩いているが、四季折々の情景に心によせて歩いたりしている。

いずれにしても高齢者の私としては、座っているばかりだと、身体に悪く、
室内はこまめに歩き、外出先は心身溌溂と歩き、年金生活を過ごしている。

今回の記事を読み終わった後、
そうですよねぇ・・程々に歩くことは健康寿命の保つ基本です、と私は微笑み返しをしてしまった。

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年金受給者 葉書1枚返送しないだけで税金が無茶苦茶取られる、高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2019-02-09 14:19:31 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【 マネーポストWEB 】の『暮らしのマネー』を見ている中、
『 年金受給者 葉書1枚返送しないだけで税金が無茶苦茶取られる  』と見出し記事を見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金、
郵便個人年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は年金生活を始めた当初より、毎年2月の頃に『所得税の確定申告』を作成して、
管轄地域の税務署に『所得税の確定申告』を提出している。

このような私は、今回『 年金受給者 葉書1枚返送しないだけで、税金が無茶苦茶取られる 』って、
どのようなことなのょ・・と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年3月9
日号の記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 マネーポストWEB 】に2018年3月3日に配信され、
昨年の古い記事であるが、何かと税金に疎(うと)い私は学び、やがて多々学び、微苦笑してしまった。

無断であるが、年金受給者の御方と共有致したく、あえて転載させて頂く。

《・・年金受給者 葉書1枚返送しないだけで 税金が無茶苦茶取られる
            

年金の「確定申告不要制度」に落とし穴

年金を受給している高齢者は、重税感を強めている。
この20年の間に「老年者控除」、「配偶者特別控除」、「年金控除」が廃止や縮小されたことで、
年金世帯の天引き額が大きくなったからだ。

現在80歳の人が年金生活に入った20年前、
夫の年金270万円の世帯(妻は国民年金を受給)は、「住民税非課税」で、手取りは約265万円もあった。
ところが、現在は同じ年金額でも、手取りは約233万円と、32万円も減っている。

そして年金生活者が完全に騙されているのが、年金の「確定申告不要制度」だ。
これは2012年からスタートし、政府広報オンラインではこう紹介されている。

〈年金受給者の皆さんの申告手続の負担を減らすため、
公的年金等による収入が400万円以下で、一定の要件を満たす場合には、
所得税及び復興特別所得税の確定申告を行う必要がありません〉

“税務署に行かなくていいなら助かった”──この制度の狙いは、年金生活者にそう思わせることにある。

よく読んでいただきたい。「申告手続の負担を減らす」とあるが、
「税金の負担を減らす」とは書かれていない。

実は、年金受給者の多くが、本来支払うべき金額より、
はるかに多額の税金を年金から、天引きされている現実がある。

そんな人が面倒くさいと確定申告しなければ税金は、
“払わされ損”になり、国は丸儲けである。

国税OB税理士の内田誠氏の指摘だ。
「年金受給者には、毎年8月末以降に日本年金機構から『扶養親族等申告書』という葉書が送られてくる。

これに配偶者など扶養親族の所得情報などを書き込んで、返送しなければならない。
いわば年金受給者の年末調整のようなものですが、
出し忘れると、年金額の1割近くのとんでもない税額を、天引きされる仕組みになっている。

年金300万円の人なら、本当は税金を7万円くらい払えばいいのに
ざっと27万円源泉徴収されます。

実は、高齢者には、この葉書を返送しないで、高い税金を取られたままの人が非常に多い」

葉書1枚で天引きされる税額が4倍に増える? なぜそんなことが起きるのか。

原因は、年金の税額計算のルールにある。
葉書(申告書)を返信すれば、年金機構が一人ひとりの支給額から、
各種控除を差し引いて課税所得を計算したうえで、所得税率5%で課税する。

だが、葉書を出さない人は、公的年金等控除さえ縮小された上に、
所得税率10%の高い税率の税額が源泉徴収される。

            

☆「返信しない受給者が悪い」

しかし、そもそも年金機構は、受給者の年金収入を把握できるはずだ。
税金計算にあたって、受給者全員が対象になる公的年金等控除の負担軽減措置まで縮小して
わざわざ高い税額を計算する理由がわからない。

日本年金機構の説明はこうだ。
「扶養親族等申告書の提出は、受給者の義務。
未提出の場合は、源泉徴収する金額は大きくなる。

これは所得税法のルールに則ってやっている。
税金を払いすぎている人も、最終的に確定申告すれば、還付される」(広報室)

葉書を返信しないと、ペナルティで高額の税金を課税されるというニュアンスだ。

政府広報で「年金受給者は確定申告を行う必要がありません」と宣伝しながら、
取られすぎた税金を還付してほしいなら、確定申告すればいいとは呆れる。

まるで高齢者が葉書を出し忘れ、確定申告もしないことを見越したような
税金ぼったくりの仕組みではないか。・・》
 

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

 過ぎし年の2012年より年金の「確定申告不要制度」が開始された時に、
政府より下記のように公報されていた。

〈年金受給者の皆さんの申告手続の負担を減らすため、
公的年金等による収入が400万円以下で、一定の要件を満たす場合には、
所得税及び復興特別所得税の確定申告を行う必要がありません〉

こうしたことを学んできた私は、ささやかながら郵便個人年金もあり、
その上に、私たち夫婦は高齢者の為、何かと内科などの病院で治療を受けたり、
歯の老化の為に治療してきたので、確定申告の時は殆ど毎年『医療控除分』が発生し、
『所得税の確定申告』を提出してきた。

そして毎年8月末以降に日本年金機構から『扶養親族等申告書』という葉書が郵送されて、
私は配偶者など扶養親族の所得情報などを書き込んで、返送してきたりした。

私は郵便個人年金が今年で終了し、そしても『医療控除分』も対象外の金額になった時、
「確定申告不要制度」を利用して、確定申告を止めようかな・・と思案した時があった。

しかし2年前、ある経済アナリストの寄稿文を読んだ時、
当人にはプラス要素もある場合もあるので「確定申告」をして下さい、
と私は学び、これからも毎年「確定申告」をしょう、と決意したりしている。

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私の『夢逢人かりそめ草紙』、ブログの世界を知って早や15年生となり、偏(ひとえ)に数多くの皆様に感謝・・。

2019-02-08 18:31:07 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に、民間会社のある会社に定年退職したが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

            

そして年金生活を始めてまもない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
                     
何かしらブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、多彩な分野まで投稿ができ、
私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会、文化などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さな簡易ブログサービスに彷徨(さまよ)った後は、
この【gooblog(旧・gooブログ)】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、
この日から5133日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は、この【gooblog(旧・gooブログ)】に継続し、
今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸14年が過ぎて、早や15年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

              
                                              
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。

そして70代になると、自身の体力の衰えを実感して、健康、介護、葬儀などを学んだことに
私の思いを加味した投稿文に変貌した内容となり、独り微苦笑する時もある。


               
                                                  
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは7年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。

ここ7年近く、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
                                   
たまたま今朝、私の【gooblog】に於いて、
私のブログに来て下さった累計『訪問者数(IP)は2、000,376』と表示され、
訪問者数(IP)は200万が超えたのか、と微苦笑したりした・・。

もとより人気のあるブログは、ウサギのように素早く短期に達成され、通過されているが、
つたない半生を歩んできた私に相応(ふさわ)しく、恥ずかしながらカメのようにゆっくりと達成できた為、
何とかねぇ・・と微苦笑を重ねたりした。                   

                                   

こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ8年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。               
                 
こうした中、私は特に数多くの50代以上の皆様の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。

                            

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に心の中の琴線(きんせん)が静かに奏(かな)でり始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。

☆----------------------------------------------☆

留意事項・・この投稿文の原文は、本日の昼過ぎに
私のブログ、改めて数多くの皆様に支えられて、偏(ひとえ)に感謝を致します・・。』と題した投稿文であるが、

何故かしらブログ・ランキングサイトのひとつの【 ブログ村 】に反映されず、
やむなく部分修正して、投稿した文です。

===>この後、【 ブログ村 】に6時間遅れの午後7時頃に反映されましたが、
   おかしなことですが、両方の投稿文を掲載致しますので、ご了解して下さい。

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私のブログ、改めて数多くの皆様に支えられて、偏(ひとえ)に感謝を致します・・。

2019-02-08 12:32:58 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
 


私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職したが、

最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

            

過ぎし年金生活を始めた当初、ネットの世界は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

                         
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会、文化などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会、文化などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さなブログサービスに彷徨(さまよ)った後は、
この【gooblog(旧・gooブログ)】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、
この日から5133日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸14年が過ぎて、早や15年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

              
                                              
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活の実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。

そして70代になると、自身の体力の衰えを実感して、健康、介護、葬儀などを学んだことに
私の思いを加味した投稿文に変貌した内容となり、独り微苦笑する時もある。


               
                                                  
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは7年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。

ここ7年近く、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
                                   
たまたま今朝、私の【gooblog】に於いて、
私のブログに来て下さった累計『訪問者数(IP)は2、000,376』と表示され、
訪問者数(IP)は200万が超えたのか、と微苦笑したりした・・。

もとより人気のあるブログは、ウサギのように素早く短期に達成され、通過されているが、
つたない半生を歩んできた私に相応(ふさわ)しく、恥ずかしながらカメのようにゆっくりと達成できた為、
何とかねぇ・・と微苦笑を重ねたりした。                   

                                   

こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ8年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。               
                 
こうした中、私は特に数多くの50代以上の皆様の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。

                            

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に心の中の琴線(きんせん)が静かに奏(かな)でり始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。

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齢(とし)を重ねるたびに、何かを断念しなければ、私は思いを深めて独り微苦笑して・・。

2019-02-07 14:19:04 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や15年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社を余儀された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、           
定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。

私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

               

やがて拙(つたな)い半生を過ごしてきた私でも、年金生活の60代の10年間は、
予期した以上に、苦より歓びの方が圧倒的に多く、安楽に過ごしてきた・・。

私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
                          
或いは雑木の多い小庭に古ぼけたの家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。

こうした中で、私は無念ながら、自動車の運転を断念したひとりである。

過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は定年退職後は、年金生活を始めた当初、
若き25歳前後の生家の自動車を活用して、若さの勢いで日本の各地を走行してきたが、
この後はペーパー・ドライバーを長年過ごしきたが、この機会に自動車を購入して、
私たち夫婦は、国内の各地をドライブしょうかしら、と私は夢想したりした・・。

しかしながら私は、無念ながら反射神経が鈍(にぶ)くなった感じ、その上に小心者の為、
万一、交通事故で人さまに傷つけたりして被害者はもとより、加害者の私でも心身の傷を深く残すので、
一年後の自動車の運転免許証の更新時に破棄して、自動車の運転を断念したりした。

こうした中で、私は買物、散策などは路線バスにも乗らず、歩いたりしている。

そして駅までの15分前後の道のりも、利便性の良い路線バスなどに頼らず、殆ど歩いたりしているが、
冠婚葬祭、旅行、都心で懇親会などの場合は、タクシーを利用する時があるが、
年平均として、3万円前後となっている。

こうした中、都心の郊外に住む我が家の周辺の住宅街は、どのお宅にも自家用車があるが、
我が家には、自動車がない稀(まれ)な家となっている。

そして齢を重ねると、何かを断念しなければ安楽な生活ができない、と微苦笑する時もある。

              


年金生活を始めた当初でも、夕食する前には、純米酒の辛口が好きの私は、
晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。

こうした中で、ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
リストラ烈風の中、最後の出向時代の5年間半は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。

                            
  

過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は健康診断の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。


私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。


そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は定年の5年前の頃から、60代の10年間はは五体満足で生かしてくれ、
その後は余生である、と公言してきたが、
家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内は旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂いていた場合、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。


やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

そしてウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりした。

                      

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
                     
そして私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。

かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
過ぎている・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。

この後、国内旅行で家内と共に各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
         
やむえなく糖分の多い日本酒、ビールとお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので、少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととして、
5日に一度ぐらい自宅で呑んだりしているのが現状となっている。
                          

こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑むを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。


過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもある、と私は微苦笑している。

            

しかしながら自己節制に弱い私は、昨年まではタバコをやめられず過ごしてきた・・。

そして今年の新年早々、私は心臓の悪化に伴い、循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』に、
1月4日より8泊9日で入院をしてしまった。
        

私はタバコを愛煙して56年以上となっているが、今回の担当医師より禁煙を勧められ、
やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないので、遅ればせながら禁煙を決意した。

私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の合宿の時、
先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっていた・・。

私は大学を中退して、映画、文学青年の真似事をしている時、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。

こうした習性が50年以上続き、禁煙した今は、
言葉とか文章が以前のように脳裏から舞い降りてこなくなり、
何かしら思考回路が、途絶えてしまうように、ときおり感じて戸惑ったりしている。

そして私は、ニコチン中毒の影響で、少なくとも解毒するには数か月要するよなぁ・・
と溜息をしたり、或いは自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりした。

            
            
私は何かとプラス思考の為か、齢(とし)を重ねるたびに、何かを断念しなければ、
この先の人生が進めないので、失ったことは忘れるように、あんな時代もあったよなぁ・・、
と独り微苦笑する時もある。

そして出来ることは継続して、80歳の誕生日を目標として、めざしている。

そして年金生活を始めた当初からの午前中の殆どは、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、

買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして今年の9月の誕生日を迎えると、後期高齢者の入門が許される75歳の齢(とし)となる。

こうした中で、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしている。
             

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平成30年間のスイーツの変貌、洋菓子にも殆ど無知な私は学び、多々教示させられて・・。

2019-02-06 13:47:31 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読している公式サイトの【現代ビジネス】を見ている中、
『 日本人の和菓子離れが進み・・・スイーツブーム30年史から見えること
     ~ 平成食トレンドを振り返る ~ 』と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
家内とたったふたりだけの家庭であり、家内は中学生の頃から茶事を習ってきた為か、
私は少しだけ和菓子を賞味してきたが、洋菓子には殆ど疎(うと)く、
《・・スイーツブーム・・》にも無知であり、遅ればせながら学ぼうと思い、記事を精読してしまった。

この記事は、
作家・生活史研究家の阿古 真理さんが寄稿されて、
【現代ビジネス】に2019年2月5日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・日本人の和菓子離れが進み・・・スイーツブーム30年史から見えること
            

日本人の和菓子離れ? 

スイーツの世界は今、時代の転換期を迎えているのではないだろうか。 

東京商工リサーチの記事によると、2018(平成30)年1月から10月にかけて、
和洋菓子店が全国で52件も倒産している。
2008(平成20)年からの10年間でも、ほぼ毎年40~60件の倒産がある。
 

その中でも、ケーキなど生菓子製造業の増加率が高い。
町のケーキ屋、和菓子屋はどんどんなくなっている。
 

日刊工業新聞社が運営するニュースイッチの記事でも、スイーツ市場全体が縮小傾向にあると指摘する。
コンビニや量販店は拡大路線だが、チェーン店や個人経営店が縮小しているためだ。

「自分用の購買頻度が増加する一方で、中元や歳暮などのフォーマルギフトの需要が減少している」とある。

若者の和菓子離れは、巷で噂になっているが、
2017年にオールアバウトと「うなぎパイ」で知られる春華堂が「和菓子の喫食率」として共同調査を行った結果、
和菓子離れの傾向があるのは、若者だけではないことが分かった。

〔PHOTO〕iStock

洋菓子より和菓子を好むと回答した人が、10・20代は約15%いるが、30・40代では10%にも満たない。

和菓子が好きな人も、4割が「洋菓子を購入することが多い」と回答。
その理由は、10・20代の上位は、「価格」、「気軽に食べられない」など、
30代以上は「飲み物との相性」を挙げる。

急須でお茶を淹れる家庭も少なくなり、和菓子を食べるシーン自体がないのかもしれない。

「ういろう」、「落雁」、「ねりきり」、「かるかん」などの名称も、
10・20代では1~3割しか認知していない。

それはもちろん食べたことがないからで、贈答品が中心のそれらの菓子を子どもの頃に
食べる機会がなくなっていることが推察できる。

以上のデータから、菓子を食べるシーンが、さまがわりしたことが見えてくる。

中元や歳暮で和洋菓子が届くことが少なくなり、家に和洋菓子を持って訪れる客も減った。
家でテーブルを囲んで、和菓子や洋菓子を食べるという機会がないのかもしれない。
気がつけば、クリスマスケーキは、2~4人分の小さいサイズが主流になっている。

では、オールアバウト・春華堂の調査で、好まれる傾向にあった洋菓子についてはどうだろうか。
こちらについては、スイーツブームを振り返ることで、場面の転換がくっきりと見えてくる。


☆流行スイーツの共通点

スイーツブームが最も盛り上がったのは2000(平成12)年前後だが、
そこに至る10年間は、次々と入れ替わる流行の繰り返しだった。

最初はもちろん1990(平成2)年にピークがあったティラミスブームである。

ティラミスブームは、バブル期に若者がデートで、イタリア料理店を利用することが流行り、
デザートで出されるティラミスに注目が集まったことが始まり。

〔PHOTO〕iStock

火がついたのは、当時若い女性に絶大に支持された『Hanako』が、
1990年4月12日号で
「イタリアン・デザートの新しい女王、ティラミスの緊急大情報 
いま都会的な女性は、おいしい<ティラミス>を食べさせる店すべてを知らなければならない」
と煽情的なキャッチコピーで特集を組んだこと。

全国誌の『女性自身』も4月17日号でティラミス特集を組んでいる。

このブームは、もともと洋菓子業界が仕掛けた。
食材メーカーの不二製油が、ティラミスの味の決め手であるチーズ、マスカルポーネの代用品を開発して、
ティラミスのレシピを洋菓子店へ売り込んでいた。

また、乳業メーカーもティラミスを売り込み、商社はマスカルポーネチーズの輸入量を増やしていた。

ブームに火がついた結果、ティラミス味のチョコレート、アイスクリーム、ドリンク、キャンディなど
ティラミス商品が巷にあふれた。

レシピが広がったおかげで、洋菓子店でテイクアウトできるケーキとなり、
やがてコンビニスイーツとしても定着した。



菓子業界が、ポスト・ティラミス探しに力を入れたこともあり、
1990年代は東京を中心に、さまざまなスイーツが流行った。

チーズ蒸しパン、クリーム・ブリュレ、チェリーパイ、タピオカ、ナタデココ、マンゴープリン、
パンナコッタ、カヌレ、ベルギーワッフル、クイニーアマン、エッグタルト、なめらかプリン。

これらの流行で目立つのは、意外性がある新しい食感である。
ナタデココのグミのような噛み応え、見た目からは想像が難しい弾力性としっとり感のあるカヌレの中身。
サクサクのベルギーワッフル、トロトロのなめらかプリン。

〔PHOTO〕iStock

最初にブームになったティラミスの食感も、従来のケーキとは違った。
もともとケーキでなかったこともあるが、その違いは定番のイチゴショートと比べるとよく分かる。

まず、スポンジが少なくクリーミーである。
そして味が複雑である。
チーズ味のクリーム、コーヒー味のスポンジ、ふりかけたチョコレートが、混然一体となって口に広がる。

ふわふわのスポンジが大好きな日本人が、多彩な味や食感のスイーツを楽しむようになったのは、
ティラミスがきっかけだったのではないだろうか。

 

☆フードテーマパーク誕生の意味

スイーツの世界の奥深さを知った日本人は、2000年前後のブームに踊る。

それは、フジテレビ系で1993(平成5)年~1999(平成11)年に放送され、
料理人対決番組『料理の鉄人』で料理人や菓子職人=パティシエが注目されたことがきっかけである。

折しも1997年にパティシエが挑むワールドカップと言われるクープ・デュ・モンドで、
日本人チームとして3位に入賞、個人として飴細工で優勝した辻口博啓氏がメディアで脚光を浴びた。

翌年、『料理の鉄人』に出演して鉄人に勝つ快挙を成し遂げ、知名度が上がったのである。
「パティシエ」という言葉も、彼が注目を浴びたことで広まった。

辻口博啓氏〔PHOTO〕gettyimages

その頃、デパ地下ブームが始まっており、
百貨店はオーナーパティシエが、看板の店を次々と入れるようになっていた。

それは東急百貨店が、当時注目を集めていた高木康政氏の東京・深沢にあるル・パティシエ・タカギを
看板店に持ってくることに成功したことがきっかけだ。

その結果、人気店の菓子を求めてスイーツ好きが、デパ地下に通うようになる。

そして2003(平成15)年、当時流行っていたフードテーマパークの一つとして、
自由が丘スイーツフォレストが誕生。
初年度は長い行列ができ、100万人の見込みを大幅に上回る230万人も集客した。

経営はナムコ(現バンダイナムコアミューズメント)から地元の新鮮生活社へと移ったが、
現在も継続している数少ないフードテーマパークの一つである。

このフードテーマパークの誕生が、お菓子を総称する「スイーツ」という言葉の定着に貢献した。
というのは、1990年代のブームには、洋菓子でも和菓子でもないアジアのお菓子も入っていたからである。


☆シーンが変わっても、単発ブームは続発

ブーム自体は、その後次第に衰退していくが、単発のブームはその後も起こっている。

マカロン、生キャラメル、バウムクーヘン、パンケーキ、ポップコーン、ドーナツ、パフェ、
ロールケーキ、かき氷、チョコミントスイーツ。
そのバラエティは1990年代より、幅広くなり、冷たいスイーツも多く含まれるようになった。

これらのブームから、スイーツを食べるシーンの変化がよく分かる。
デパ地下やフードテーマパークに集まる人たちは、家族や友人などと一緒に食べるとは限らない。

自由が丘スイーツフォレストの場合、
自分用のケーキ1個でも気軽に買える場所を作ろう、というのも誕生のきっかけの一つである。
 

1990年代には、若い女性の「自分へのご褒美」という言葉も流行った。
働く女性が自分のために買う。
ケーキを食べ比べる趣味のために買う。ブログなどへ投稿するために食べる。そういうシーンが登場したのである。

ジャンルも幅広くなっている。

1990年代のブームにも、いわゆるケーキ以外にパン屋で買えるカヌレやクイニーアマンや、アジアンスイーツがある。

2000年以降のブームでジャンルはさらに広がり、
歩きながら食べるポップコーン、店でできたてを食べるパンケーキやパフェ、かき氷などが入っている。

〔PHOTO〕iStock

生活時間が多様になり、働く人が増え、少子化や晩婚化も進んだ。
家族で、友人で、家に集まってお土産の和菓子や洋菓子を食べる機会は、すっかり減っただろう。

一方で、食べたいときに食べたい場所で、スイーツを買って楽しむ人は増えた。

コンビニにも人気のスイーツはある。
スイーツ男子という言葉も誕生し、昭和の時代には恥ずかしいとされた男性のスイーツ好きも認知されるようになった。

外国人旅行客も増え、北海道の「白い恋人」のように、日本の土産としてスイーツを求める人たちもいる。

シーンは変わったが、甘いお菓子が幸せなひとときをくれることは変わらない。
人は長い歴史の中で、甘味を尊び憧れてきた。
求める人は必ずいる。
変化した需要に応えきれていない店や企業があるだけなのである。・・》

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

今回、作家・生活史研究家の阿古 真理さんの寄稿文に導かれて、
ここ30年の平成時代の和洋菓子の多彩な変貌を教示させられた。

私たち夫婦は高齢者なので、ここ30数年変貌は少ないが、
やはり私たち夫婦が、
結婚前の交際していた遥か遠い日の44年前の頃が思いだされたりした。

この当時は、銀座とか私が勤務していた所在地の六本木の喫茶店で待ち合わせをして、
私は少し背伸びをして、高級な食事処を誘って、
ワインなどを呑みながら、イタリア料理かフランス料理、或いはインド料理などを頂いていた。

こうした時は、美味しそうなショートケーキがあり、私は家内となる女性にオーダーすれば・・
と言ったりして、やがて美味しそうに食べる目の前の女性に好感をふかめたりした・・。

或いはクリスマス・イブの時は、銀座の4丁目に近い喫茶店で待ち合わせをしていた。
私は退社後、少し待ち合わせ時間に遅れそうになり、日比谷線の『六本木』から『銀座』までの地下鉄の電車の中で、
この日には走行が特に遅く感じ、もどかしい心情となり、下車後の地上までの階段を駆け上り、喫茶店に行ったりした・・。

この当時の1975年(昭和50年)の頃は、もとより携帯電話もない時代で、
待たされる方は、待ちわびる状態となり、駆け付ける方も何かと連絡する方法はない時代であったので、
お互いに信頼だけで結ばれていた時代でもあった・・。

            
        
その後、結婚してからは、私は退社後に付近の専門店で、一週間前の頃から思案していたプレゼント品を購入し、
封筒状のクリスマス・カードにささやかな一文を認〈したた〉めたりした。

そして幾たびか待ち合わせをしていた洋菓子店の六本木『クローバー』の二階の喫茶店があるが、
この一階に魅了されていた『クローバー』でケーキを買い求めて、新居の賃貸マンションに帰宅したりした。

この習性が毎週の金曜日となり、私は少し高揚しながらやがてケーキを買い求めて帰宅した。

やがて2年後、私たち夫婦は一軒家を建てて、ローン返済で苦節していた時代が3年ばかり続き、
これ以降は、私はきまぐれにケーキを購入して、帰宅していた。

このように何かと洋菓子には殆ど疎(うと)いが、今回の平成30年間の変貌を少し思い重ねて、
そうでしたよねぇ・・と私は多々教示させられたりした。

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長時間の寝すぎは、脳と体を老化させる、困惑した私は、こっそりと学び、やがて微笑み返して・・。

2019-02-05 14:02:08 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 PHP Online 衆知 】を見ている中で、
『「寝すぎで老化する」自律神経の名医が“睡眠の質“を強調する根拠 』と題された見出しを見たりした。

私は年金生活の74歳の身であるが、「寝すぎで老化する」と明記され、
どうしてなのかしら、と不思議に思ったりした・・。

私は、ここ数か月は布団にもぐるのは、真夜中の11時半前後が多く、
目覚めるのは朝の7時過ぎが多くなっている。       

こうした中、真夜中の11時半頃に居間から寝室に行き、
布団にもぐると、電気毛布の威力で暖かく天国のように感じながらも、
乾燥すぎるのが怖くて、電気毛布のスイッチを切ったりしている。

そして現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

こうした中、 私は今でも、あたかも映画館で三作品が一挙に上映されたかのように、
昨夜は二本立て、或いは3本立て、の夢をみた、と微苦笑する時もある。

そして睡眠中、夢をみることは貧富に関係なく、その御方の日々の思い、念願など、
さまざまな思いが交差される現象かしら、と思う時もある。

やがて朝の7時少し前の頃に、ぼんやりと目覚めて、うつらうつらとまどろみながら、
ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃に起床している。

            

このような睡眠をしている私は、「寝すぎで老化する」と見出しを見て、
どうしてですか、と思いながら、記事を精読してしまった。

この記事は、公式サイトの【 PHP Online 衆知 】で2019年2月5日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・「寝すぎで老化する」自律神経の名医が“睡眠の質“を強調する根拠

<<  年齢とともに、若いころのように長時間眠ることができなくなったり、
不眠に悩んだりすることがあるでしょう。

年齢があがり、仕事のプレッシャーも大きくなっていくにつれて、
睡眠時間が確保できなかったり、眠れなかったりすることもしばしば。


しかし、睡眠は時間より質を意識することで、
休息の質が劇的にあがると語るのは、順天堂大学医学部の小林弘幸氏。


自律神経の名医して知られ、「仕事人間」を自称する同氏が、
自らが実践する“睡眠技術“を伝える著書『「寝入りが9割」の睡眠技術』にて、
睡眠が「時間より質」である理由を示している本稿では同書より、その一節を紹介します。>>


※本記事は、小林弘幸著『「寝入りが9割」の睡眠技術』(ポプラ社)より、一部を抜粋編集したものです。

            

☆長時間の寝すぎは、脳と体を老化させる

短時間しか眠れないと悩んでいる方のために、
長時間の寝すぎは、睡眠不足と同じように心身の健康を損なう可能性が高まるということも、
ぜひお伝えしておきたいと思います。


アメリカのマサチューセッツ大学の発表によると、
糖尿病患者がもっとも少なかったのは7時間睡眠の人たちでしたが、
5時間以下の睡眠では発症率が2.6倍に。

さらに8時間以上の睡眠では、3.6倍に跳ね上がることが報告されています。


九州大学の大隈俊明先生らによれば、2型糖尿病の日本人患者の4870例のデータを解析した結果、
睡眠時間が4.5時間未満、および8.5時間以上の被験者は、
7時間前後の被験者に比べて、HbA1c 値(ヘモグロビン.エイワンシー=糖尿病と密接な関係があり、
6.5%以上であれば糖尿病と判断される)が高い、

つまり睡眠時間の長短と糖尿病の発症率は、U字形の関連性が見られたと報告されています。


また、中年以降の長すぎる睡眠は、
記憶力と意志決定能力=脳認知能力を低下させ、
心疾患やうつ症状の発症頻度も増加させるという研究データもあります。


厚生労働省の「健康づくりのための睡眠指針2014」でも、
9時間以上寝床にいる人は、9時間未満の人よりも中途覚醒を起こし、
それによって血流を悪化させてしまう可能性が高いとしています。

            

☆休日の寝だめは逆効果

ですから、とくに中年以降は、寝すぎも避けたほうがいいのです。

たとえば、休日、日頃の睡眠不足を解消しようと寝だめをする。
ぐっすり眠れれば、それもいいですが、
眠くもないのに、ついダラダラと寝すぎた結果、頭がぼーっとしたり、頭痛が起きたりしてしまう。

脳の血管が拡張して、顔面の痛みを伝える三叉神経を刺激してしまうのです。


また、寝すぎで体がだるくなるのは、
長時間、体を動かさないことにより、筋肉が過度にゆるみ、血管が過剰に拡張して血流が悪くなり、
酸素や栄養素の供給が滞ってしまうことで起こる症状です。


つまり、心身ともにベストな状態を維持する熟睡を得るためには、長時間寝すぎないこと。

それを踏まえて、厚労省の「睡眠指針」では、
「健康な人の睡眠時間は、加齢とともに自然と減る」としたうえで、
適切な睡眠時間を25歳で約7時間、45歳で約6.5時間、65歳で約6時間としています。


とはいえ、これもあくまで目安の一つです。

いちばんのポイントは、「ぐっすり眠る=質のよい睡眠」を作り出すこと。


ああ、気持ちいいなという感覚で眠りにつき、
目覚めたときは、ぐっすり眠った、疲れがとれたという感覚とともに爽やかに目覚める。
それが、最高の熟睡なのです。・・》
 

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

記事を読みながら、《・・厚労省の「睡眠指針」では、
「健康な人の睡眠時間は、加齢とともに自然と減る」としたうえで、
適切な睡眠時間・・・65歳で約6時間としています・・》
私は7時間前後寝ているので多いかしら、と危惧したりした。

やがて、今回の順天堂大学医学部の小林弘幸さんの《・・これもあくまで目安の一つです。
いちばんのポイントは、「ぐっすり眠る=質のよい睡眠」を作り出すこと。・・》
と学び、私は安堵しながら、そうですよねぇ・・と微笑み返しをしてしまった・・。

            

しかしながら私は心臓の悪化で今年の新年早々8泊9日の病院に入院したりした。
こうした入院しているサイクルは、起床が朝の6時であり、夜の9時に消灯となり、
何かと単細胞の私は、日々9時間ぐらいは熟睡していた。

こうした影響もあり、ここ数週間は7時間眠っても、もう少し寝ていたい、悪い癖があり、
結果として、8時間ぐらい寝ていることもあり、
早くも、赤ちゃん返り、かしらと微苦笑したりしている。

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「痛風」の6つの原因、ビール&魚卵より要注意の意外な食べ物は?、遅ればせながら私は学び、多々教示させられ・・。

2019-02-04 14:54:29 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読している公式サイトの【ダイヤモンドオンライン】を見たりしている中、
『「痛風」の6つの原因、ビール&魚卵より要注意の意外な食べ物は?』と題された見出しを見たりした。

私は年金生活の74歳の身であるが、幸運にも「痛風」には遭遇していないが、
過ぎし20年前の頃、会社の懇親会を開催している中、私は現役サラリーマンで、
定年退職された先輩を会場の入り口で出迎えたりしていた。

こうした中、お御世話になった上司のひとりの御方が足を引きずるように、
お見えになったりした。

やがて30分過ぎた頃、会場は盛会になった中、先ほどの上司だった御方と私は談笑する中、
『無念ながら・・「痛風」になってしまい、このざまで・・』と教えられて、動顛してしまった。

このようなこともあったりしたが、私は「痛風」に関しても無知だったりで、
どのような事態なのですか、と記事を精読してしまった。

この記事は管理栄養士の岡田明子さんが【ダイヤモンドオンライン】に寄稿されて、
2019年2月4日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・「痛風」の6つの原因、ビール&魚卵より要注意の意外な食べ物は?

            

中高年男性を悩ませる「痛風」。
全国には予備軍を含めると1000万人も痛風患者がいるといわれています。
「ぜいたく病」なんていわれたりもしますが、生活習慣が大きく関わる病気の1つです。


痛風予備軍にならないためには、どんな食べ物に気を付ければいいのでしょうか。
そもそも痛風とは何か、そして意外と知らない痛風の大きな原因など、
今回は痛風について詳しくお話しします。



●そもそも「痛風」とは?

痛風は、体内の尿酸が増えて起こる疾患です。
体の中に増えた尿酸は、通常尿として排泄され、一定量に保たれているのですが、
体質、年齢、性別、生活習慣、ストレスなど様々な要因で増え過ぎた尿酸が結晶化してしまうと、
関節や腎臓で炎症を起こします。

この痛みが「痛風発作」といわれる症状です。


男性の方が体内の尿酸量が多く、女性ホルモンには尿酸を排泄する働きがあるため
患者数は男性が多くなっていますが、近年では食の欧米化や生活習慣の乱れにより、
女性の痛風患者も増えてきているようです。

遺伝性もあり、血縁者に痛風の人がいる方も注意が必要です。


痛風が恐ろしいのは、高い確率で尿路結石や腎障害、高血圧、肥満、高脂血症などにつながってしまうこと。
最悪の場合は、腎不全や心筋梗塞、脳血管障害など生命に関わる重篤な症状を引き起こすこともあります。

            

●痛風の原因、尿酸はなぜ増える?


健康な人であれば、尿酸の産生と排泄のバランスが取れていますが、
これから示す6つの要因が引き金となって、産生と排泄のバランスが崩れると尿酸が増えてしまいます。


(1)体内で産生されるプリン体の増加

プリン体は、細胞内にある核酸という物質の主成分です。
細胞の老化とともに老廃物として蓄積されます。

また、プリン体は運動したり臓器を動かしたりするためのエネルギー物質なので、
短距離走や激しい筋肉トレーニングなど短時間に大きな力を必要とする運動では大量のエネルギーが使われるため、
プリン体がエネルギーの燃えかすとして増えてしまいます。



(2)肥満


肥満は体内でのプリン体の合成を促進し、尿酸の排泄機能を低下させてしまいます。
肥満の原因になる砂糖を多く含む清涼飲料水の飲み過ぎや動物性食品の取り過ぎも、尿酸の増加につながっています。

尿酸は、体内で作られるものが全体の8割を占めています。
食品のプリン体を気にするよりも、まずは尿酸を必要以上に産生しないために適正体重にすることが重要です。



(3)腎臓の機能低下


腎臓の機能が低下していると、尿酸を正常に処理できなくなって、体内の尿酸が増えてしまいます。
これらの臓器の機能は、年齢とともに低下していきますし、
高血圧や糖尿病、肥満も腎臓に負担をかけるので、気を付けたいですね。

水分補給をしっかりして、排尿を促してあげることも大切です。


            

(4)過度のアルコール摂取


アルコール飲料を飲むと、体内で分解される際に、尿酸が作られます。
どのアルコール類でも、代謝されるときに尿酸が作られ、尿酸の排泄を邪魔してしまいます。

プリン体の多いビールは飲んでいないから大丈夫!ではなく、
アルコールを飲み過ぎないことが、痛風の予防になります。



(5)プリン体を多く含む食品の摂取


レバーや白子、あん肝、魚の干物は、プリン体が多いので食べ過ぎないようにしましょう。
プリン体は水に溶けるので、肉や魚から取ったスープ(鶏がらスープなど)にも注意が必要です。

ラーメンのスープは塩分、脂質はもちろん、プリン体も多く含まれていますので、
やはり残すのが賢い選択ですね。


魚卵はプリン体が多いイメージがありますが、イクラや筋子、数の子は、プリン体が少なめ。
内臓系がどうしても食べたいときは、比較的プリン体が少ない砂肝がおすすめです。
ナッツやチーズ、卵、豆腐、枝豆などをおつまみに選ぶとよりGoodですね!



(6)ストレス過多


ストレスも、また腎臓の負担になり、尿酸を増やす要因の1つです。
飲酒量や食事を改善しても、尿酸値が下がらないときは、ストレスを疑いましょう。
責任感が強く、弱音を吐かないタイプの方は要注意です。

適度な運動や趣味など自分なりのストレス発散方法を見つけたり、
一息ついてリラックスしたりする時間も大切にしましょう。



いかがでしたか?食生活の乱れが肥満や内臓への負担につながり、
その行く末が、痛風や痛風予備軍への道につながっています。
「尿酸値が高い」と言われたら、なぜ増えたのか理由を考え、できることから対策を始めてみませんか?・・》

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は健康診断の結果、
糖尿病と明示されて以来、食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして、
やがて半年後に大幅に改善されたりした。

これ以来、最寄の内科専門医院に4週間毎に通院して、定期検査日、
その後の4週間過ぎた時に検査結果を受けているが、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。


今回の「痛風」に関しての食べ物に関して、9年前に糖尿病です、と言われて、
この後、食事対策をしてきているので、ほぼ同じような対策かしら、と微苦笑したりしている。

いずれにしても、「痛風」
の怖さを今回学びながら、勘弁してねぇ・・と願ったりしている。

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なぜ節分に「豆まき」をするのか、こっそりと遅ればせながら私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2019-02-03 06:53:56 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、【YAHOO! JAPAN】の『ライフ』コーナーを見ている中、
『 なぜ節分に「豆まき」をするのか 場所によっては「鬼は内」の掛け声!?  』と題された見出しがあり、

年金生活の74歳の私は、恥ずかしながら《・・なぜ節分に「豆まき」をするのか・・》解らず、
こっそりと読んで、学んだりした・・。

この記事は、公式サイトの【デイリースポーツ】に於いて、特約記者の二階堂ケンさんが、
綴られた記事で、2019年2月2日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・なぜ節分に「豆まき」をするのか 場所によっては「鬼は内」の掛け声!?

節分」といえば、一般的に2月3日を指すが、
そもそもは読んで字のごとし“季節を分ける”こと。

つまり季節の変わり目で、それぞれ「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」の前日が節分だ。
なかでも立春は、旧暦で1年の始まりにあたる。

そこで立春時の節分が重要視され、
今では「豆まき」などの行事が、厳寒の風物詩として親しまれている。

ではなぜ節分には豆をまくのだろうか?


この豆まき神事、背景にあるのが「穀霊信仰」だという。
昔の人は、豆に霊力があると信じており、災厄や冷気を鬼に見立て「豆の力」で追い払おうとした-というのだ。


豆をまくときの掛け声は「鬼は外。福は内」が定番だが、
そうでないところもあるのが面白い。

実際に福島県二本松藩では「鬼外(おにそと)」と「は」を抜いた掛け声だったという。
これは藩主の丹羽氏を気遣ったもの。

「鬼は外」というと「お丹羽外(おにわそと)」と藩主を追い出してしまうかの様に
聞こえるところから恒例化したとされる。


一方、東京・新宿の稲荷鬼王神社では「鬼は内。福は外」と正反対の掛け声。
理由は、この神社が鬼王権現を祀っているからで
「祭神が鬼だから、追い出す訳にはいかない」(同神社の社務所)とのこと。

同神社によると「古来、鬼は神であり、力の象徴であり、鬼は悪魔を祓う」とされていたという。

つまりここは、鬼の王様が厄を除いて、福を授けてくれるありがたい神社。

余談だが、境内にある水鉢の異様さは必見物。
新宿区指定有形文化財の彫刻で、その形は見る者を圧倒する。

ちなみに愛媛・今治市菊間にある「遍照院(へんじょういん)」も鬼が祀られており、
ここでの掛け声は「福は内。鬼も内」だという。

            

実は節分の「豆まき」には、地域によって数多くのしきたりがあり、
関西(特に京都)では、今でも恒例行事として続けている家もあると聞く。

大まかには次のような流れだ。


・家の軒にヒイラギとイワシの頭を吊るす

・主人が仏前に灯りを点し、かまどを清めて鬼打ち豆を煎る

・煎った豆をマスに入れてから三方へ乗せる

・その年の年男が恵方に向かって豆を打ち、その後は家中の部屋全てに豆をまく

・自分の年齢より1粒多く豆を食べて健康を願う

また、節分の日にサトイモ、大根、ゴボウ、焼き豆腐、黒豆、高野豆腐、
レンコンの煮物、数の子を肴に、飲み交わすのが習慣の所もある。

諸説ある中、この習慣が「おせち料理」の原点という説もある。
一口に「豆まき」と言うが、日本の行事は実に奥深い。・・》

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

私は恥ずかしながら、節分の日に於いて「豆まき」をするのか、遅ればせながら今回学び、
微苦笑したりした・・。

私は『節分の日』には、幼年期の頃は、いじけて可愛いげのない児であったが、ささやかな想いを秘めている・・。

私は1944年(昭和19年)の秋、今住んでいる近くに生家があり、農家の三男坊として生を受け、
祖父と父が健在だった頃までは、農家をして、戦前に小作人さんだった御方たちのご厚意で助力を得たりし、
程々の広さの田畑を耕し、雑木林、竹林などがある家であった。

そして長兄、次兄の次に私は生まれたのであるが、
何かしら祖父と父などは、三番目の児は女の子を期待していたらしく、幼年の私でも感じたりしていた。

この当時の農家は、跡継ぎとなる長兄、この当時は幼児は病死することもあるが、
万一の場合は次兄もいるので、私は勝手に期待されない児として、いじけたりすることがあった。

そして私の後にやがて妹がふたり生まれ、 祖父、父が初めての女の子に溺愛したしぐさを私は見たりすると、
私はますますいじけて、卑屈で可愛げのない言動をとることが多かった・・。

父からは、こうした私に対しては、ふたりの兄と同様に、激しく叱咤されたりした。

祖父は幼児の私を不憫と思ったのが、私を可愛がってくれた数々を私は鮮明に記憶している。
そして、私の生を受けた時、自身の名前の一部を私の名前に命名した、
と後年に父の妹の叔母から、教えられたりした。

          

こうした中で、私が少学校に入学する1951年(昭和26年)の春の前、
『節分の日』の情景は、私なりに鮮烈に心の片隅に今でも残っている・・。


この当時、『節分の日』には最寄の神社の高台で、豆まきをしていた。
神社の鳥居に入ると、陵山(みささぎやま)と称された小高い丘が聳えるようになり、
高い所には老樹に囲まれた神社がある。

                                     

そして左辺には、それぞれの旧家が奉納した大稲荷神社があり、
          

神社といっても、歴史ばかりは由緒ある処であるが、村の住民で維持管理されている程ほどの大きさの神社で、
この時節も殆ど人影のないところであった。

そして、『節分の日』になると、それぞれの家長が一升枡の中で半紙敷いて、
自宅にある大豆を軽く炒った豆を3割方ぐらい入れ、
夕暮れになると、神社の高台に赴(おもむ)きで、大声で、
『ふくわう~ち!!・・おにはそ~と!!・・』
と叫んでいた。

私の生家から、少なくとも300メートルは離れていたが、家の中で居ても充分に聴こえたのである。
『お父さん・・あの声・・XXさんの小父さんだね・・』
と私は父に確認したりした。

『だけど・・あの小父さん・・去年より・・豆まきをはじめる時間・・少し早いね・・』
と私は得意げで父に言ったりしていた。

生家でも、祖父が神社に行き、豆まきをして帰宅する頃は、戸締りが終わっていた。

          

やがて夜の7時ごろには、戸をすべて開け放ち、
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と父は平素より遥かに大きい声で、外に向かって言ったりしていた。

そして、戸をすべて閉め終わった後、私は次兄と妹たちとで、
各部屋の畳の上、縁側の廊下にまかれた豆を拾い集めたりしていた。

そして、五合枡に入れた豆を、
『齢の数だけ・・食べてもいいわよ・・』
と父の妹の叔母が私たち兄妹に言った。

私は、6つだけかょ、と言いながら、
次兄の手には、もとより私より多くあったので、
私はおまけと言いながら、こっそりと三つばかり余計にとった。

そして私は、自分だけ取ったのが何かしら恥ずかしかったので、
2人の妹にそれぞれ1粒づつ手にのせたりたりした。

このような祖父、父たちに囲まれて、楽しげなひとときであったが、
私が小学2年の3学期の終る早春に父は病死され、そして1年後には祖父に死去され、
大黒柱となるふたりが亡くなったので、生家は没落をしはじめた・・。

そして翌年からは、『節分の日』には豆まきすることもなく、途絶えてしまった。

          

過ぎし2004年(平成16年)の秋に私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
私たち夫婦は子供に恵まれずたった二人だけの家庭であるが、
『節分の日』は、家内は『恵方巻』を食べたりし、そして私たちは豆まきを省略しても『福豆』を食べたりしてきた。

こうした中、齢を重ねるたびに私は、人出の多い神社・お寺で『豆まき』で人の多い所は苦手となり、
自宅で豆まきをする元気もなく、『節分の日』には、日中のひととき、スーパーで『福豆』を買い求めた福豆を、
夕暮れの時に、家内と煎茶を飲みながら食べたりして過ごしてきたのが、ここ数年となっている。

そして叶わぬ夢であるが、もしも息子か娘がいて、そして孫がいたら、
私は『節分の日』には、積極果敢に孫を引き連れて、『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と盛大に豆まきをするだろう、と夢想を重ねたりする時もあったりした。 

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まもなく『立春』を迎え、年金生活15年生の私は、独りぼんやりと思い馳せて・・。

2019-02-02 15:37:32 | ささやかな古稀からの思い

昨日の午前中のひととき、いつものように付近の遊歩道を歩いていたら、
ときおり北風が強く吹き、私は歩きながら、何かと単細胞の私は、
♪春は名のみの風の寒さや・・かぼそい声で『早春賦(そうしゅんふ)』の歌を唄ったりした。

本日の午前中、散策していると、陽射しは燦燦と、風もなくも暖かなく、防寒着も不要かしら、
と微笑んだりした。

先程、カレンダーを見ると、まもなく到来する2月4日は『立春』と明示され、
昨年の今頃は・・と私は思い馳せたりした・・。

やがて私は、自身の昨年の2月4日に投稿した、
『 暦(こよみ)の上では『立春』を迎え、年金生活14年生の私でも、微笑みを重ねて・・。』
と題した文を読み、独り微苦笑したりした。

       

《・・私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの73歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、『立春(りっしゅん)』と朱記され、私は微笑んだりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの73
歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、『立春(りっしゅん)』と朱記され、私は微笑んだりした。

過ぎしの1月5日には『小寒』となり、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、やがて1月21日には『大寒(だいかん)』を迎えると、
一年で最も寒い時期と古来より、伝えられている。

こうした中、『小寒』から『大寒』までの15日間、
この後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。

そして『寒の内』と称せられる『小寒』、『大寒』そして『立春』までの時節は、
旧暦であるので、今の暦(こよみ)に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域でも、寒い時節となる。
      
こうした中で、3月中旬のような暖かい日もあれば、平年より寒い日もあり、
この時節は三寒四温の時節、と遥か千年前の頃から名言されている・・。

やがて女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は日本水仙、福寿草、椿(ツバキ)、或いは白梅に励まされながら、
冬麗の美を心の友と私は思いながら、冬の季節をここ13
年ばかり過ごしたりしてきた。

       

私は年金生活を始めた当初より、自主的に平素の買物専任者を宣言し、買物メール老ボーイの身であり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチな為か利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

この後、帰宅した後も自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

                 

私は民間会社の中小業で35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めたので、年金生活は丸13
年が過ぎ14年生の身である。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった2人だけ家庭であり、
東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みで、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。
   
そして私の生家に近くにあり、この地域に私は結婚前後5年を除き、早や68
年となっている。
私の住む地域は、年末年始を通して、1月20日頃までは殆ど冬晴れが多い中、
ときおり朝方に屋根が霜(しも)を見たり、小庭の黒土に霜柱が見られた程度であったりした。
     
こうした中、私は自宅の近くに流れる野川の川沿いにある遊歩道、小公園、
そして歩いて45分ばかりの都立・神代植物園などを、その日の心情に応じて、歩き廻ったりしている。

       

昨今はスポーツシャツにカーディガンに準じたフリーフで、歩くことが多く、
北風が吹いた時だけは、更に防寒着のフィールド・ジャケットを着たりしてきた。

       
          
自宅の近くに流れる野川の水辺の近くには、コサギ、ダイサギ、カルガモ、カワセミなどが数多く観られ、
愛好者の方たちは写真を撮る方も見かけることがあるが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられている。

       
          
そして遊歩道に隣接したマンションの数10棟の広い庭が、小公園として解放されている中を
歩いたりした。
       

私はこうした情景が好きで、毎週ように歩いて、季節のうつろいを享受している。
       

或いは帯状に小公園となり700メートル前後あり、
この時節は、桜(サクラ)、クヌギ、コナラ、白梅、公孫樹(イチョウ)などの冬木立となり、
暖かな陽差しを枝越しに眺めたりすると、
時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、と定年退職後から深め過ごしてきた・・。
       

ときには公園を訪ねたりすると落葉樹の冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラ、ケヤキの樹木が中核となっている・・。

そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。
          

私は足を止めて、陽だまりとなっている木のベンチに座り、しばらく見つめたりすることが多い・・。
       

そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。

このように冬木立の眺めたり、光がきらめく空を眺めたりし、
古人から冬麗(とうれい)と称されている情景に、心を寄せている。
          
そして数年に一回ぐらい小雪が舞い降る時もあるが、5センチ前後である。

       

こうした中、過ぎし1月22日の10時半より、突然に雪が降り始めて、まもなく雪がこんこんと降り、
やがて翌日には4年ぶりの20センチぐらいの積雪となったりした。

そして私は、自宅の玄関の軒下から門扉まで、或いは敷地のはずれにある郵便受取り箱まで小路などを、
久々に私は雪かきをして、体力の衰えた私は、疲れたりし、苦笑をしたりした。

              

この後、数日過ぎた後、野川の遊歩道を散策している中、たわむれに撮ったりした。

そして2月1日の深夜の11時過ぎから雪が舞い降り、翌朝はわずか数センチの積雪であり、
これ位だったら雪かきもしなくて済むょ、と薄化粧した情景に微笑んだりした。

そして陽射しを受ける中、まばゆい冬麗の情景となっている。


このように私は、女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は冬麗の美を心の友として歩いたりしている。

やがて2月下旬になれば、玄関庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら10数輪ばかり咲き、
その後は澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)となる中で、
小庭の白梅は数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らむ。

       

そして3月を迎えれば、予告もなく南の風が吹き、
私は三寒四温の時節は、女の子が全国的に祝賀される『桃の節句』で終わりにしてょ、
と毎年心の中で願ったりしてきた。

その後、南の風が吹くたびに暖かさを増して、主庭の水仙、白梅は満開となり、やがて紅梅に咲き、
我が家の小庭は遅ればせながら水仙、白梅、紅梅が彩(いろど)られてるのが、毎年の習わしとなってきた。

                                                  

このように『立春』を迎えれば、冬麗の美からやがてお別れとなり、
早春の美に私は友として、寒さ暑さは彼岸まで、と古人から伝えられる名言によりそい、
歩きまわってきたので、今年も大病もせずに『立春』を迎えられて、微笑んだりしている。・・》

このように綴ったりしていたが、まもなく到来する2月4日の『立春』の日、
過ぎしこの一年の間には、色々と体験をしてきたが、何とか迎えることができたよなぁ・・、
独り微笑んだりしている。

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3つの「やってはいけない節約」と「絶対やるべき節約」、遅ればせながら学び、多々教示させられて・・。

2019-02-01 15:00:45 | ささやかな古稀からの思い

先程、くらしとお金の経済メディアで名高い公式サイトの【 LIMO(リーモ) 】を見ている中、
【 やってはいけない3つの節約と絶対やるべき3つの節約 】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、年金生活は早や15年目となっている。

こうした中で、我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸14年を過ごしてきた・・。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りして、減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。

このような年金生活をしている中、今回『やってはいけない3つの節約・・・絶対やるべき3つの節約』って、
どのようなことなのょ・・と思いながら、精読してしまった。

この記事は、 FP保有の金融系ライターの大塚ちえさんの寄稿文であり、
公式サイトの【 LIMO(リーモ) 】に昨年の2018年3月3日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

              

《・・やってはいけない3つの節約と絶対やるべき3つの節約

節約しよう、と意気込むものの「何から手を付ければ、いいかよくわからない」
と感じている人も多いと思います。

節約は、非常に奥が深く、「やりすぎ」と「適度」と「サボりすぎ」の基準もあいまいですし、
指標もありません。
難しく感じることは当然です。

そこで今回は「やってはいけない節約」と「絶対やるべき節約」についてご紹介します。
その2つを切り分ける基準を知ることで、自分なりに節約の指標が見えてくるはずですよ。

              

☆やってはいけない節約とは?

節約には2種類あって、そのうちの1つが、この「やってはいけない節約」なのです。

節約とは、そもそも「無駄を省くこと」ですから、
無駄でないものを省いてしまっては、もうそれは節約ではありません。

必要なものを省けば、当然生活の質が下がり、毎日を快適に過ごすことができなくなってしまいます。
それでは本末転倒ですよね。

そこで、まずはそのことが自分にとって本当に、
「無駄であるかどうか」を見極めなければなりません。

無駄であるのかそうでないのかをはっきり見極めるために、いくつかの指標を用意してみました。
ぜひ一度、自分の節約ポイントを振り返ってみてください。

              


1。大切な仲間を失う節約

一番やってはいけない節約が、仲間を失う節約です。
ここでいう仲間というのは、友達や同僚、先輩・後輩や上司なども含まれますし、
家族や親戚も含まれると考えてください。

いわゆる「自分の味方でいてくれる人」のことです。
仲間を失う節約とは、たとえば仲間へ渡すプレゼントやご祝儀をケチったり、
大切な恩師への御礼を安価なもので、済ませたりするなどということを指します。

人のためにお金を使うことは、無駄に感じることも多いと思います。
確かに、仲間でいたくない人のために、余計なお金を使う必要はありません。

そもそもお金がなければ、繋がっていられない人は、仲間ではありません。
そうではなくて、大切にしたい人へ贈るもの、今後も縁を繋ぎとめておきたい人へ贈るものは
それなりのお金をかけて贈るべきです。

贈り物ひとつで、あなたの品位が問われます。
それはプレゼントを受け取った人からどう思われるかということだけでなく、
それを見た周りの人もあなたの行いにジャッジを下すということです。

その結果、周りの人から疎遠にされることもあります。
人と人のつながりは、お金以上のもの。
人間関係に影響を及ぼすところでケチると、本人はうまく節約したつもりでいても、
長い目で見ると損をすることが多いのです。

              

2。自己投資の節約

自分への投資額を引き下げることも、やるべきではない節約のひとつです。
当然、余剰な投資や自分の身にならないような投資はやめましょう。

特に多いのが「自分磨き」と称して、さまざまな習い事をしたせいで、
どれもが中途半端になってしまうことです。

これは明らかに「無駄」ですから、自分が本当に習得したいもの、
その先に自分の成長ビジョンが描けるものに、絞り込んで投資をしましょう。

ただ、むやみやたらに習いたいことを我慢したり、
「お金がないから」、「才能がないから」といって自分を粗末に扱ったりすることは
絶対にやめてください。

自分の心の声をよく聞いて、自分の可能性に投資しましょう。
目安として、習い事はせいぜい2つまで。

それ以上になると、特にフルタイムで忙しく働くビジネスパーソンの場合には
オーバーワークになってしまいます。

一つひとつの精度が欠け、習熟度が落ちるので、2つ以内に絞り込んで集中することをオススメします。

また、自己投資するときには、自分の興味・関心に素直に従うことがポイントです。
芸は身を助けるという言葉があるように、何か得意なものや自信が持てることがあると、
いずれ自分の身を助けることになります。

それは語学や教養だけでなく、スポーツでも芸術でも同じこと。
「ただの趣味」で気まぐれに取り組むのもいいですが、何かひとつ極めてみるのもいいかもしれませんね。

              

3。「大は小を兼ねる」という発想の節約

無駄遣いが多い人にありがちなのが、この「大は小を兼ねる」という発想で、
いろんなものを買うことです。

必要以上の機能や必要以上の大きさのものを購入し、結局使わずに余っている、
というパターンが目立ちます。

たとえば、家具家電にしても、冷蔵庫や洗濯機は大きいほうがいい、
テレビは高機能で高画質なほうがいい、ソファはたくさん座れるほうがいいという発想ですね。

もちろんこだわりがある人もいますし、家具家電の寿命と将来的なことを見据えて
ワンサイズ大きいものを選ぶのは、無駄なことではありません。

しかし、特にこだわりもなく、その家具家電が寿命を迎えるまでに
必要にならなさそうな機能やキャパシティのものを購入するのはやめましょう。
非常に無駄の多い買い物になってしまいます。

               

☆絶対やるべき節約とは?

次に、絶対やるべき節約。
節約にはいろいろありますが、どういうことから始めればいいか、よくわからない人も多いと思います。
それならまずは、次のような節約を心がけてみてください。

 

1。「なんとなく」買い物するのをやめる

節約と切っても切り離せないのが「買い物」です。
何か新しいものを購入するときは、特に注意が必要なのです。

たとえば、「なんとなく」、「感覚的に」買い物をしてしまうのは、絶対にやめましょう。
これが最大の無駄遣いの原因です。
頭でしっかり考えてモノを買うことが重要です。

「いつも買っているから」と毎回同じものを購入するとか、
「たまにはご褒美」といつもより奮発した買い物をするという場面では、特に注意が必要です。

こだわりがあって、あえていつも同じものを購入しているのであれば、問題ありません。
ただ、値段が割高で質がほかの商品と変わらないのに
「いつも買っているから」と同じものを買い続けるのはやめましょう。

また、「たまにはご褒美」と思って奮発しても、
よくよく考えると先週も「ご褒美」を買ったばかりだということがあるかもしれません。

人間は、忘れる生き物ですから、自分の感覚だけを頼りにしていると、損をすることも多いのです。
何かを購入するときには、まず一息置いて考えてから購入するとか、
計画を立てて献立通りに買い物をするという対策がオススメです。

              

2。健康を害する恐れがあるとされるものの摂取は避ける

健康を害する恐れがあるとされるものへの出費は、二重の無駄遣いになる可能性があります。
たとえば「やめたほうがいいんだろうな・・・」と思いながら続けている「タバコ」。

もし購入するのに450円、2日に1箱なら1カ月で15箱×450円=6750円の出費であるうえに、
万が一健康を害すれば、それ以上のお金がかかってしまいます。

今はいいかもしれませんが、将来年を取ったときに健康状態に問題があると、
せっかく貯めた老後資金も治療のために、切り崩さなければなりません。

その分生活に余裕がなくなるのはもちろん、
定年を過ぎて働こうと志してもそれが許されない体になってしまい、
生活にゆとりを持たせる選択肢さえなくなることもあります。


3。余剰サービスへの出費はやめる

自分が求めるサービスだけに、お金を払うというのも、ひとつの節約です。
必要がないサービスだと思えば、そういうサービスにお金を払うのをやめればよいのです。

たとえば、実際にはジムに通えるのは、せいぜい週に1回なのに、
毎日通えるプランを契約すること。

毎日通えるプランというのは基本的に、週1回のプランよりも割安に見えるように価格設定してあります。
毎日通える1万5000円のプランと、週1回通える1万円のプランだったら
金額的には前者のほうが5000円高いにも関わらず、割安に見えますよね。

しかし、実際に通えるのは週1回であれば、余計に支払っている5000円が無駄です。
割高か割安かという基準で考えるのではなく、
「自分に必要なサービスは何か」を基準に考えることで無駄を省くことができます。

              

 ☆まとめ

いかがでしたか。
無駄を作る大きな原因は、「感覚だけで買い物をすること」です。
ジムや習い事の契約も同じこと。

「いいな」とぼんやり思ったり、「わたしもそうなりたい」と憧れを持ったりするのは
誰にでもあることですが、それだけを頼りに物事を進めると、将来的に大きな損失となります。

まずは現実と照らし合わせてみて、
「自分に必要なものは何か」ということを基準に考えるようにしましょう。・・》

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

記事を読み終わった後、初めてFP保有の金融系ライターの大塚ちえさんの寄稿文を読み、感心させられて、
この御方のプロフィールを検索した。

そして《・・スポーツと音楽が趣味。
金融機関勤めで得た知識と経験で、貯金・節約から投資までお金に関する悩みに向き合う・・》と明記されていて、
今回の確かな《「やってはいけない節約」と「絶対やるべき節約」》を多々教示されたりした。

私は過ぎし4年前に70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるようにと願いながら、何かとプラス思考で過ごしている、

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

こうした中、私は根がケチな為が、知人などはジムに月8000円前後支払って、身体を鍛えているが、
私は自宅の周辺にある遊歩道、公園などを殆ど毎日歩き、移ろう情景を鑑賞したりしている。

そしていつの日にか介護施設にお世話になるのは、自身の日頃のささやかな願いを制約されるし、
多額に費用が要するので、勘弁してねぇ・・と願いながら、歩いたりしている。

            

このように過ごしているが、やはり『節約』に関しては、ときおり脱線して、
ひとり微苦笑する時がある。

家内が遠い地に住む家内の母の介護で、6泊7日前後で行っている時、
私は我が家で『おひとりさま』になるが、ときたま夕暮れに最寄り駅の近くに行く。

そして好きな本屋に寄り、数冊を買い求めた後、
喫茶店風の店で、コーヒーの代わりにビールを一杯だけ呑んだりして、
幸せのひとときを実感したりしている。

ときおり私は、このように準じたことをしているが、散財か無駄か、判らないが、
私の70代には欠かせないひとつだねぇ・・と微苦笑したりしている。
 

コメント (2)
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