夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢男性が「妻のいない第二の人生」を生き抜く3つの心得、ときおり『おひとりさま』になる私は学び、多々教示されて・・。

2019-02-26 16:36:29 | ささやかな古稀からの思い

先程、小学館が発刊しているの教養雑誌『サライ』の公式サイト【サライ.jp】を見ている中で、
【 高齢男性が「妻のいない第二の人生」を生き抜く3つの心得  】と題された見出しを見たりした。

は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私は民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、早や15年目となっている。

              

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住み、
私より14歳年配で88歳の身となっている。

過ぎし年、私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間半を要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や15年になっている・・。            
     
これ以来、長女の家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
大掃除、支度などで、6泊7日前後で行ったりしてきた。
            
ここ5年前の頃から、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
        
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、
家内は独り住まいの家内の母宅に5泊6日前後で行っている時は、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
          
こうした中、60代の半ば、私と同世代の知人のひとりの奥様が61歳で病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

こうした体験をしてきた私は、ときおり
『おひとりさま』の生活をしている中、
いつの日にか、私か家内があの世に旅立たれ、
私たち夫婦のどちらかが本当に『おひとりさま』なることも思案したりしている。

こうした深情を秘めている私は、今回の《・・高齢男性が「妻のいない第二の人生」を生き抜く3つの心得・・》
真摯に学びたく、記事を精読してしまった。

              

この記事は、“終活ライター”の坂口鈴香さんが、取材をされて纏(まと)められた
寄稿文であり、
公式サイト【サライ.jp】に昨年の2018年3月10日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・(略)長年連れ添った妻を亡くし、途方にくれる夫。
そんな夫を待ちうけるのは、はじめての独り暮らしだ。

眼科医の西田輝夫さんもそんな一人だった。
同じく眼科医であった妻を亡くし、70歳にして初めて独り暮らしをすることに。

突然はじまった「独り暮らし」という第2の人生。
喪失感を乗り越え、淋しさと折り合いをつけて、男ひとりの暮らしを始めることになった。

そんな悪戦苦闘の日々を綴った本が、『70歳、はじめての男独り暮らし』(西田輝夫著、幻冬舎)だ。

がんで余命半年と宣告された妻は、残された数か月、西田さんに最低限の家事を特訓してくれたという。

それでも、これまで医師として働きながら家事を完璧にこなし、
さらには西田さんの書斎の整理や資料ファイリング、出かける際のファッションコーディネートまで
やっていたという千手観音のような妻がいなくなることは、赤子が親を失うようなものだった。

なんとか「ゴミ屋敷にだけはしないように」と努めるのが精一杯(本書p.7)

という西田さんの言葉は、正直なところだろう。

世の夫にとって、“よくできた妻”の存在は理想かもしれないが、
皮肉なことに最終的にはそれが逆効果となることもある。

逆に妻としては、家事や夫の世話は手抜きしておくくらいが、
あとに残される夫のためになる、とも言えるかもしれない。

              


■高齢男性、はじめての独り暮らしの心得とは

さて、本書で西田さんは、
“古希を過ぎ妻に先立たれたオトコが残された人生を独りで愉しく生きていくため”(本書p.118)のコツを挙げる。
今回は、その中から3つのポイントを紹介しておこう。

ひとりになったときに慌てないために、今のうちにできることもあわせて考えてみよう。

【心得その1】
失ったことを数えるな

西田さんは、ひとりになると、つい誰かに甘えたくなるものだが、
「自立の気持ち」を持つことが大切だという。
そして、自立するためには、失ったことを数えてはいけないと説く。

“自立するためには、まず自分自身の心身の状態を客観的にとらえて、
伴侶を失ったこと、体力を失ったことなどを明確に自覚することがその第一歩です。

「若い時には、できたのにな」、「妻がいたらな」などと失ったことを数えていては、自立できません。”

(本書p.120より引用)

自立する上で、意識して実行したいと西田さんが教えるのが、次の3つだ。

“1 自分自身の身の回りを整え、家事をこなして、家の中を小綺麗に保つこと
2 できるだけ望まれた仕事に積極的に参加し、世の中との接点を豊富にして社会との関わりを持ち続けること
3 元気で働ける限り働いて、生活費を確保し経済的にも自立すること“
(本書p.119より引用)

1については、妻が健在なうちから夫も家事を分担しておけば、ひとりになってもそう困らない。
少なくとも、家の中を小綺麗に保つためにどれだけの家事があるのかくらいは知っておきたい。

ごみ捨てひとつとっても、家中のごみ箱からごみを集め、ごみ箱に次の袋をセットし、
ごみをひとつにまとめてごみ収集所に持っていくまでが、ごみ捨てだ。

台所ごみを集めたら、シンクのごみ受けや排水口だって掃除しないといけないのだ。
妻がそれらをすべてやっているとわかれば、妻への感謝の気持ちも湧くというもの。
妻に先立たれてから感謝しても遅いのだ。

妻も自分が病気で寝込んだり、介護が必要になったりしたときに、
夫が何もできないと困るのは、自分なのだ。
自分のためにも夫に最低限の家事くらいは教えておきたい。

2、3の社会との関わりを持ち、働ける間は働くことの必要性については、
東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子氏もまったく同様のことを指摘されていた。

それについては「定年後の男性が『第2の人生』を謳歌できる働き方のコツ4つ」記事でご紹介したので、
ぜひご一読いただきたい。

【心得その2】
独りぼっちになるな

西田さんは、これまで交流の途絶えていた先妻との間のお子さんや、
非常勤で診察する病院の医師やスタッフ、学生時代の友人たちなど、
自分を気にかけてくれる人たちとの交流が、支えになっているという。

妻が亡くなる前に「私がいなくなったあとはよろしく」と伝えておいてくれたというから、
どこまでも“よくできた”奥さんだと感服するばかりだが、
こうした生前のサポートは、まずないと思っていた方がよい。

そして、今のうちにできるだけ多様な居場所と、幅広い年代の友人をつくっておきたい。

【心得その3】
緊急時に備えよ

西田さんには、独り暮らしをするなかで気がかりなことがある。
それが、「火の不始末」「宅配便の受け取り」、そして「病気とケガ」だ。
男女を問わず、独り暮らしの不安と不便は、まさにここにある。

いくら健康管理を心がけていても、加齢とともに事故やケガのリスクは高くなる。
西田さんも、室内で転倒し大ケガをした経験があり、医師であっても、かなり慌てたようだ。

自分で救急車を呼べればいいが、それもできない場合は
どうしたらいいのか不安を抱いている独り暮らしの高齢者は、少なくない。

そういうときのために、ボタンを押せば受信センターに連絡できる「緊急時通報システム」や、
一定時間動きがないとセンサーが察知して家族などに連絡のいく「見守りサービス」など、
多様な安否確認サービスが存在する。

今後さらに、IoTを利用したサービスは、増えていくことが予想される。
安心のお守り代わりに、こうしたサービスを利用するのもよいだろう。

また西田さんのように緊急入院することになったとき困るのが、入院に必要なものの準備だ。

“災害時と同じように、次のようなものを入れた緊急入院用のカバンを用意して
おかねばならないと痛感しました”(本書p.163)

持病のある人なら、なおさらだ。
西田さんが挙げる緊急入院用のカバンの中身は次の9つ。

□ 下着
□ パジャマ
□ 健康保険証
□ 洗面道具一式
□ 当座の現金
□ 緊急連絡先を書いたカード
□ タオルとバスタオル
□ スリッパ
□ スマートフォンなどの充電器

緊急入院したあとに、家族や知り合いに頼んで、
自宅から入院に必要なこまごましたものを持って来てもらうのは心苦しい。
何がどこにあるかを知らせるだけでも大変だ。

災害時持ち出し袋とともに用意して、できれば季節に合わせて、パジャマなどは入れ替えておきたい。

              

以上、今回は西田輝夫さんの著書『70歳、はじめての男独り暮らし』から、
はじめて独り暮らしする高齢男性がその後の人生を生き抜くための心得についてご紹介した。

超高齢化社会が進み、独居の高齢者は、ますます増加する。

高齢者の夫婦二人暮らしや、家族と同居していても、日中はひとりという高齢者も多い。
西田さんが挙げた、独り暮らしのコツは、独居の高齢者だけでなく、
高齢夫婦のみの世帯や日中独居の高齢者にも共通するものだ。

不安や不便に対して自分なりの対処方法を考えながら、愉しみを見つけて暮らしていきたい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

              


私はときおり『おひとりさま』の生活を丸14年過ぎた中で、漠然としながらも、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
本当に『おひとりさま』の生活になってしまった時、幾たびも思案したりしている・・。         

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、私たち夫婦が長年話し合ってきた葬儀に関して、
ささやかな家族葬、やがて四十九日を終えて、約束どうりに樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
              

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、共にお互いの長年の思いであり、もとより愛惜感もあり、
苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。


やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を断腸の思いで処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。                        
                                                          

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。

                                     


或いは私が身も心も溌剌であった時は、古惚けた我が家で独り住むことも思案したりする。

過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私たち達は聴こえてきた・・。

やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
定期便のように通うと思うょ・・』と私は家内に言ったりした。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
           
もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
                      
私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、自宅付近の遊歩道、公園を散策した帰路、
この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物して帰宅する。

その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
ときおり寂しさは感じても、孤独は無縁だよねぇ・・と心身のバランスが保てる、
と微笑んだりしている。

                                       

このように昨年の秋頃まで思案を重ねたりしたが、今回の記事からも多々教示され、
少し溜息して、何かと『おひとりさま』は大変だよなぁ・・と思い深めたりしている。
 

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