夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

堺屋太一・著『団塊の秋』、過ぎ去り年の哀歓、そして今後の情況が的確に・・。

2013-12-20 10:00:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、家内の要望で、一昨日の18日の午前中、私たち夫婦は駅前に買物をした。
そして高齢者の私でもボディーガード兼お供、荷物持ちであったが、
午後より雨が予測されていたので、珍しく私たちは手分けをしてそれぞれの店で買い求めたりしていた。

そして私は依頼品を買い求めた後、駅ビル内の本屋に立ち寄った。

そして単行本の新書コーナーで、何か読みたい本は・・、と探し求めたいた時、
偶然に堺屋太一(さかいや・たいち)氏の著作の『団塊の秋』(祥伝社)にめぐり逢い、
そして手に取った後、本書の帯の解説文を読んだりした・・。

《 西暦2015‐2028年、彼らは想定外の人生に直面する。
  本書は、『団塊の世代』の総決算である。 堺屋太一
  未来の新聞記事付き。的中率91% 衝撃の未来予測 》

このように明記され、私は瞬時に興味が湧き、買い求めることとした。
          
私は東京郊外の農家の三男坊として1944年〈昭和19年〉9月に生を受け、
やがて東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の秋に、
大学を中退し、契約社員・アルバイトをしながら映画・文学青年の真似事をしたが、
あえなく敗退し、やむなくある企業に何とか中途入社できたのは、
1970年〈昭和45〉年の春で、満25歳の時だった。

この時代、定期採用で新入社した人達は、団塊の世代の人々であった。
そして机を並べ、この業界の荒波の多い時代の苦楽を共にし、
何かと友人には団塊の世代の人々が多かったので、彼らの世代には何かと親近感がある。

そして私の妹のふたりは、1946年〈昭和21年〉1月、1948年〈昭和23年〉10月、
家内も 1949年〈昭和24年〉12月に生を受けたので、
私は彼らの時代の流れの風潮を少しは知っているひとりである。
          
そして団塊の世代の多くは、2007年〈平成19〉年に定年退職時を迎えるに際し、
数多くの団塊の世代について出版され、私は愛読してきたひとりである・・。

たとえば山口文憲・著作の『団塊ひとりぼっち』からは、多々教示され、
団塊世代の多くは、これからの時期も《ひとりぼっち》と学んだりした。
私は中途入社の身であったので、彼ら同期で何かと励まし合いながらも時代を過ごしてきたのを、
羨ましく感じたりしてきたので、私は衝撃を受けたのである。


堺屋太一 (さかいや・たいち)氏に関しては、私は1975年(昭和50)年に『油断!』を偶然に読み衝撃を受け、
そして翌年の1976年(昭和51)年に『団塊の世代』は多々教示された。
敗戦後の一時時代の突出した多産の世代を「団塊の世代」と命名され、
その後の氏の数多くの著作された中の20作品ぐらい私は愛読してきた。

昨日、本書の『団塊の秋』(祥伝社、刊行・11月10日)を読み出し、
第6話に構成された中で、第1話の「さまよえる活力」、第2話の「年金プラス十万円」を読んだ限りであるが、
過ぎ去ったそれぞれ時代を描写されると、
そうでしたよねぇ、あの時代は、と私は思い馳せながら哀歓を深めたりした。
          
或いはまもなく到来する時代に、こうした風潮の時代になるの、
と著者から教示されて、憂いを重ねたりして読んだりした・・。

こうして著者の描写はもとより、行間から感じられる著者の思いを私なりに重ねると、
次のページが進むことが遅く、著者の的確な時代の表現に魅了されて読んだりしている。

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