昨日の午前中のひととき、いつものように付近の遊歩道を歩いていたら、
ときおり北風が強く吹き、私は歩きながら、何かと単細胞の私は、
♪春は名のみの風の寒さや・・かぼそい声で『早春賦(そうしゅんふ)』の歌を唄ったりした。
本日の午前中、散策していると、陽射しは燦燦と、風もなくも暖かなく、防寒着も不要かしら、
と微笑んだりした。
先程、カレンダーを見ると、まもなく到来する2月4日は『立春』と明示され、
昨年の今頃は・・と私は思い馳せたりした・・。
やがて私は、自身の昨年の2月4日に投稿した、
『 暦(こよみ)の上では『立春』を迎え、年金生活14年生の私でも、微笑みを重ねて・・。』
と題した文を読み、独り微苦笑したりした。
《・・私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの73歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、『立春(りっしゅん)』と朱記され、私は微笑んだりした。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの73歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、『立春(りっしゅん)』と朱記され、私は微笑んだりした。
過ぎしの1月5日には『小寒』となり、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、やがて1月21日には『大寒(だいかん)』を迎えると、
一年で最も寒い時期と古来より、伝えられている。
こうした中、『小寒』から『大寒』までの15日間、
この後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。
そして『寒の内』と称せられる『小寒』、『大寒』そして『立春』までの時節は、
旧暦であるので、今の暦(こよみ)に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域でも、寒い時節となる。
こうした中で、3月中旬のような暖かい日もあれば、平年より寒い日もあり、
この時節は三寒四温の時節、と遥か千年前の頃から名言されている・・。
やがて女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は日本水仙、福寿草、椿(ツバキ)、或いは白梅に励まされながら、
冬麗の美を心の友と私は思いながら、冬の季節をここ13年ばかり過ごしたりしてきた。
私は年金生活を始めた当初より、自主的に平素の買物専任者を宣言し、買物メール老ボーイの身であり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチな為か利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
この後、帰宅した後も自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
私は民間会社の中小業で35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めたので、年金生活は丸13年が過ぎ14年生の身である。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった2人だけ家庭であり、
東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みで、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。
そして私の生家に近くにあり、この地域に私は結婚前後5年を除き、早や68年となっている。
私の住む地域は、年末年始を通して、1月20日頃までは殆ど冬晴れが多い中、
ときおり朝方に屋根が霜(しも)を見たり、小庭の黒土に霜柱が見られた程度であったりした。
こうした中、私は自宅の近くに流れる野川の川沿いにある遊歩道、小公園、
そして歩いて45分ばかりの都立・神代植物園などを、その日の心情に応じて、歩き廻ったりしている。
昨今はスポーツシャツにカーディガンに準じたフリーフで、歩くことが多く、
北風が吹いた時だけは、更に防寒着のフィールド・ジャケットを着たりしてきた。
自宅の近くに流れる野川の水辺の近くには、コサギ、ダイサギ、カルガモ、カワセミなどが数多く観られ、
愛好者の方たちは写真を撮る方も見かけることがあるが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられている。
そして遊歩道に隣接したマンションの数10棟の広い庭が、小公園として解放されている中を
歩いたりした。
私はこうした情景が好きで、毎週ように歩いて、季節のうつろいを享受している。
或いは帯状に小公園となり700メートル前後あり、
この時節は、桜(サクラ)、クヌギ、コナラ、白梅、公孫樹(イチョウ)などの冬木立となり、
暖かな陽差しを枝越しに眺めたりすると、
時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、と定年退職後から深め過ごしてきた・・。
ときには公園を訪ねたりすると落葉樹の冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラ、ケヤキの樹木が中核となっている・・。
そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。
私は足を止めて、陽だまりとなっている木のベンチに座り、しばらく見つめたりすることが多い・・。
そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。
このように冬木立の眺めたり、光がきらめく空を眺めたりし、
古人から冬麗(とうれい)と称されている情景に、心を寄せている。
そして数年に一回ぐらい小雪が舞い降る時もあるが、5センチ前後である。
こうした中、過ぎし1月22日の10時半より、突然に雪が降り始めて、まもなく雪がこんこんと降り、
やがて翌日には4年ぶりの20センチぐらいの積雪となったりした。
そして私は、自宅の玄関の軒下から門扉まで、或いは敷地のはずれにある郵便受取り箱まで小路などを、
久々に私は雪かきをして、体力の衰えた私は、疲れたりし、苦笑をしたりした。
この後、数日過ぎた後、野川の遊歩道を散策している中、たわむれに撮ったりした。
そして2月1日の深夜の11時過ぎから雪が舞い降り、翌朝はわずか数センチの積雪であり、
これ位だったら雪かきもしなくて済むょ、と薄化粧した情景に微笑んだりした。
そして陽射しを受ける中、まばゆい冬麗の情景となっている。
このように私は、女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は冬麗の美を心の友として歩いたりしている。
やがて2月下旬になれば、玄関庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら10数輪ばかり咲き、
その後は澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)となる中で、
小庭の白梅は数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らむ。
そして3月を迎えれば、予告もなく南の風が吹き、
私は三寒四温の時節は、女の子が全国的に祝賀される『桃の節句』で終わりにしてょ、
と毎年心の中で願ったりしてきた。
その後、南の風が吹くたびに暖かさを増して、主庭の水仙、白梅は満開となり、やがて紅梅に咲き、
我が家の小庭は遅ればせながら水仙、白梅、紅梅が彩(いろど)られてるのが、毎年の習わしとなってきた。
このように『立春』を迎えれば、冬麗の美からやがてお別れとなり、
早春の美に私は友として、寒さ暑さは彼岸まで、と古人から伝えられる名言によりそい、
歩きまわってきたので、今年も大病もせずに『立春』を迎えられて、微笑んだりしている。・・》
このように綴ったりしていたが、まもなく到来する2月4日の『立春』の日、
過ぎしこの一年の間には、色々と体験をしてきたが、何とか迎えることができたよなぁ・・、
独り微笑んだりしている。