夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

風は、甘く・・♪

2006-01-15 16:39:00 | 定年後の思い
朝の10時過ぎに、玄関庭の陽射しの中は、春めいて暖かさであった。
微風が少しあるが、風は甘く感じ、樹木の間を通り過ぎて行った・・。


風の甘さに、昭和47年の頃が想い出された。

この頃の私は、勤務場所が六本木で、同資本系の会社と、共同システムをしていたので、
打ち合わせに原宿にある会社に週三回、午後の時間を通っていた。

六本木から恵比寿を通り、原宿で降りて、表参道へ向うゆるい下りの大通りを歩いた。

確か三月の下旬頃だった。
風が微風であったが、春の季節であったので、風は甘く感じた・・。

都会の華やいだ洋装店が数多くあり、時折、洒落た喫茶店、個性ある料理店もあり、
歩いている人も春に相応しい容姿で、
華やいだ大通りとなっていた。

私のようなスーツ姿は少なく、フリーな洋装を男女問わず、身につけていた。

歩いている人は圧倒的に10代、20代であり、丸の内、神田のビジネス街とは一変していた。

私はレコード会社でコンピュータの専門職をし、独身の身であり、
時代の先端の空気を満喫していると、
気負っていた・・。


今、煙草を喫いながら、思い返しているが、
恥ずかしくもなく、若き27歳前後の私に苦笑いを浮かべた・・。

門扉に近い椿が、春めいた暖かさで蕾が膨らんだように観えた・・。




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春めいた朝のひととき・・♪

2006-01-15 08:30:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日の昼の1時頃から本降りの雨となった。

このような本降りは、昨年の11月以来だった。
乾気につつまれた情景が、樹木、草花が洗い流されたかのように、
潤いを取り戻した・・。

数時間を過ぎると、しっとりした樹木の枝葉、そして地面は黒土を見せて、
私は小躍りしながら、庭先を見詰めた・・。

夜の八時過ぎには、雨は止んだが、微風が心地良い・・。

本日の朝は、何時ものように六時に目覚め、薄暗い庭先に立った。
暖かな空気につつまれ、樹木を見詰めた後、
新聞を取り込み、居間に戻ると、温度計を見ると、8度を指していた。

その後、ガス・ファンヒーターを点けると、直ぐに居間は15度を超えた。

煎茶を呑みながら、新聞を読み終えた後、日の出の時間となったので、戸を開けた。

しばらくすると、朝陽が居間に差し込んできた。

家内に『梅一輪の季節が、通り過ぎてしまったょ・・』と私は言った。



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久々の本降りの雨に・・♪

2006-01-14 14:53:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、1時過ぎた頃に雨が本降りとなった。

樹木、草花は、このところの乾気で土埃りであったが、
本降りの雨で洗い流されたようになった。

樹木の下にも、しっとりと雨水があたり、
黒土となった。

このように降るのは、昨年の11月以来である。

庭の所々に水溜りが出来てきた。

私は安堵したが、日本海沿いの例年にない豪雪地帯の人々を思えば、
気温が高くなり、降雨であるので、
雪崩による災害、融雪に伴う浸水、
そして土砂災害がなければよい、
と思いはせた。


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寒気と乾季にさいなまれて・・♪

2006-01-14 08:43:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨年の十二月からは例年より寒気で、
その上に降雨が少なく、乾季となっている。

日本海沿いは、例年の三倍以上の豪雪で、
生活面も脅かされ、災害に遭われた方も数多くいるので、
贅沢な悩みと知りながら、私の住み地域でも野菜の生長がひどいくなっている。

落葉樹の蕾も遅く、例年だったら、白梅、紅梅の蕾もほころばせているが、
降雨が少ないので、成長が遅い。

水仙も昨年だったら、咲いて芳(かぐわ)しい香りをたたえてくれるのだが、蕾のままである。

小鳥達は、冬場の餌が少なく、周囲の公園などの樹木の生長が遅いので、
我が家の白梅の幼い蕾を食べている・・。

昼過ぎに本格的な雨が予想されるので、
少しは樹木が潤(うるお)い、例年に近い状況を期待している。



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雨の前の買い物・・♪

2006-01-13 16:12:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりとした曇り空で午前中を迎えた。

差し歯の治療に歯科医院に行き、
その後は内科医院と病院の梯子(はしご)をした。
内科の方は、昨年の12月に大学病院で検査した結果の所見だった。

総コレステロールと血液サラサラ度が年齢並みであり、その他は正常だった。

煙草は喫うし、晩酌も欠かさない上、運動不足もあるので、致し方がない・・。

明日から、私の住む地域では、
雨時々曇りの予報が出ているので、帰宅した後、
再び買い物の為に出かける。

主食の肉類と魚類は、昨日、家内がテニスの帰りに買い揃えていたので、
野菜物関連を求める。

大根、蕪(かぶ)、長ねぎ、ほうれん草、春菊、白菜と果物のバナナと蜜柑、
副食の納豆、佃煮、ちくわ等とお菓子類を購入した。

冷蔵庫の在庫と保管食材を考えれば、
天候が当面悪くても、我が家は大丈夫だと、小躍りして帰宅した。

帰宅後、家内と昼食を食べていたら、雨が降り出してきた・・。

『XXちゃん、明日から、雨が降るんじゃなかったの・・』と私は家内に言った。

『貴方、洗濯物、取り込んできますから・・』と家内は言いながら、庭先に出た。

私も家内の後を追いかけて、取り込みの手伝いをした。

その後、庭先に出て、ポツポツと降り出した空を見上げた。

私は煙草に火を点けて、
元旦から二回目の雨であったが、
この前の雨は、数時間で止んだらしかった。

煙草を喫っていたら、しばらくして雨はやんだ。

やはり、明日から本降りらしかった。

東京の郊外は、乾燥し切っているので、
この際、しっかりとした本降りとなってほしい、
と思ったりしている。

『貴方、ご飯、中途でしょう・・』と家内の声がした。


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記事の切り抜き・・♪

2006-01-13 08:53:00 | 定年後の思い
私は新聞、雑誌で興味を持ったのを切り抜いている。
或いはNIKKEI NETで検索した記事も同様にハード・コーピーをし、
書類整理箱に入れている。

数ヶ月すると、色果てた記事は、破棄しているが、
団塊の世代に関する記事は、中々捨てられない。

企業の一員として、中途入社し、社会人となったのが、25歳だった・・。

この頃に新卒の人達は団塊の世代で、
入社時がたまたま一諸となったので、
業務で接触していく内に、友人となった人が多い。

私の勤めた業界は、中小企業だったので、特にその時々に荒波に揉(も)まれたりした。

友人達と共にこの時代の空気に触れ、苦楽を共にしたので、
この中の三名は、戦友と思っている。

この二人が定年前に、この業界を去っていくのが、昨今の便りである。

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『ジモティ』の人々・・♪ ②

2006-01-12 11:22:00 | 定年後の思い
私は昭和19年に生を受け、
団塊世代の人達よりちょっと年上であ?E?br>
私は?E寮づ鎮㎰茲領拈椶靴浸圓農犬泙?E?br>小中学校は地元に通った。
そして、高校時代以来は都心で学んだり、勤務した。

私の兄達はもとより、
妹達の団塊世代は、私のようなコースを辿(たど)?E諭垢燭㎠辰拭?br>
私は都心の社会、文化に渇望し、
地元の風土・社会情勢、文化からいち早く脱出したかったのが、
本心であったと思う。

高校時代のクラスのひとつで、都心出身がクラスの半分程いて、
都心の人達はこうした言動をと?E里㎜?br>と考えさせら?E燭蠅靴拭?br>
大学時代に地方出身と学友になり、
地方の社会、風習、文化等を学び、
地方との融合の接点を見出したが、
私の都心文化の志向は深めていった・・。

大学を中退し、シナ?EⅣ陵楡蝓△海?E蕕亡慙△垢?E▲?E丱ぅ箸鬚靴覆♢蕁?br>都心とその時代の空気を満喫した。

やがて、30代の自分の姿を想?E靴浸⊆㌔鬚覆掘?br>中途の身で?E箸貌劼垢?E砲蓮△△?E?E蠅両魴?E☞⇆廚隼廚ぁ?br>コンピュータの?E膤惺擦帽圓①?br>あ?E膽蠅硫饉劼肪翕啼劼侏茲拭?br>
この時の私は、25歳の遅?E深匆饋佑離好拭璽箸箸覆辰拭?br>
やがて大手の会社の?E魁璽鰭腓蓮?br>分離独立となり、?E魁璽媛饉劼琉?E箸覆辰拭?br>
私は27歳過ぎに実家を出て、30歳過ぎに?EГ鬚掘召涼楼茲撚瓩瓦靴晋紂?br>実家の近くに家を建てたりした。

40歳の頃、地元の中学校の同?E颪暴仞覆垢?E函?br>地元の高校を出て、農家、植木、商店を父から継(つ)いでい?E佑發△?E弌?br>市役所、農協、郵便局に勤めてたりしてい?E諭垢♠薀垢了擁♢琉?E紊い拭?br>
或いは私のように都心の?E箸剖个瓩燭蝓?Eだ茲こ阿凌佑發い拭?br>
このように私達の時代は、色々な面に接触できた世代であ?E♤?br>その地域で育ち、自己形成をさ?E板鮖繊△笋♢道笋里茲Δ烹僑浦个砲覆?E里蓮?br>ちょっと寂しいと思ったりしてい?E?br>
ジモティの人々は、他の地域との社会、文化を交流す?E海箸砲茲蝓?br>自己形成の際に、刺激あ?E萓⑱修鯑世董△呂犬瓩動羝佑涼罎㎠蘆个掘?br>融合した精神形成がさ?E?E隼廚Α?br>
こ?E盪紊虜弘曚㎠蕁△發燭蕕気擦?E箸覆里㎜?br>と思ったりしてい?E?br>



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『ジモティ』の人々・・♪ ①

2006-01-12 09:25:00 | 定年後の思い
ここ数?E∋葦此‥検瓩痢慍捨匆顱楚靴燭覆?E惱乎弔僚亳宗繊戮力誕?E鯑匹鵑任い?EΑΑ?br>
今朝、読んだ中で、第8章で《階層によ?E?E暫呂慮把?E修〠④討い?E①?br>という提示をさ?E討い?E?br>

団塊の世代が郊外に住宅を構えた?E漫?br>団塊ジュニアは、郊外育ちが大量化した世代であ?E?br>彼等にとっては、郊外が故郷なのだ。

小中学校がずっと郊外の公立だと、
大学も郊外に移転してい?E里如?br>大学生になっても都心に余?E个覆ぜ圓眥舛靴覆ぁ?br>
高卒で働く階層の人々だと、地元から出ない。

今や郊外にも、洒李誠百貨店やファッションビ?E♢△?E㎠蕁?br>特に都心に出?E⇆廚呂覆ぁ?br>こうして、ジモティが誕生す?E?br>
ジモティは、郊外という【村】で、
気楽に過ごしたいという価値観の若者であ?E?br>
以上が著笹慥の概要?E舛任△?E?br>
私はこうした人々は、どういう精神形成がなさ?E?br>社会に纏?E?E榲世鬚匹里茲Δ砲覆?E里㎜△閥縮鮖辰拭?br>
            《続く》
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私の生活信条・・♪

2006-01-11 09:45:00 | 定年後の思い
私は今年の年賀状の一部に、

野に咲く花のように、と生活信条を目指していますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。

と綴っているが、昨日、利休に関する本を読んでいたら、
茶室の花は、花は野にあるように、という言葉があった。

野に咲く花の生態を観た上で、その自然の容姿を活けなさい、
と解釈しても良いと私は理解した。

私は家内と結婚した時は、
家内は学生時代の頃から、師匠に付いて茶事を習っていた。

私は私自身の日本の伝統美に関することを独学で学んでいた上、
家内からの茶事に関する和事の影響も受けていた。

私が40歳頃、勤務先でシステム開発で忙しく、睡眠時間を削っている時だった。

夏期休暇の一部の三日間が取れ、
熱海の外れにある赤根崎にあるリゾート・ホテルに滞在した。

ある日、ホテルの庭園の外れに茶室があり、
お茶会があるというので、参列した。
簡素な茶室で素朴な茶道具であったので、私の心は小躍りした・・。

この頃、家内が従事していた師匠が、
掛け軸、茶碗、花瓶・・等の茶道具はある程度は高価なものを、
昇進したならば、お免状を頂いたお礼に何がし包む、
と家内から聴いていた。

私は本来の茶道の精神から逸(そ)れているのではないか、
と思ったりしていた時だった。

お茶会が終わり、庭園内を家内と散策していた時、
『野に咲く花のように・・だったょね・・』と家内に話しかけた。

自然に出た言葉で合ったが、何気なく心に蓄積され、発露された言葉でもある。


清く貧しく美しく、については、
宝塚の校訓からと、松山善三・氏の映画『名もなく貧しく美しく』から借用し、
発想したものである。

宝塚の【清く正しく美しく】は格好よすぎ、
かといって【名もなく貧しく美しく】は今日の社会状況だと、綺麗過ぎる、と思った次第である。

時流に流されず、確固たる精神を持つには、
と根底に宿っているので、
清く貧しく美しく、適度な生活目標となった。


屈折した心情の日々を歩んできた私には、
このような発想となり、年賀状を綴ったのである。





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苦手なミリオネーゼ族・・♪

2006-01-10 17:55:00 | 定年後の思い
ここ数日、私は読書で忙しい。

長尾秀美・氏の『日米永久同盟』を数行読み、その時代を思い浮かべて、
想像し、理解して、次のページには、中々進まない・・。

先日、外出した時、話題作の三浦 展・氏『下流社会~新たな階層集団の出現~』を購入し、
読み始めている。

その中で、私の知らない用語が数多くあったが、
ミリオネーゼも未知の用語であった。

この本の中での定義として、
1986年の男女雇用機会均等法の施行以降、
学力が高く、職業志向の強い女性、
主に4年制大学を卒業した女性が、
企業の中で総合職のキャリアウーマンとなり、
男性と同じ賃金を得るようになった。

それらの女性が今や30代から40代となり、
1000万円以上の年収を得る人もいる。
それがミリオネーゼである。

私は61歳の現役を引退した身であるが、
現役時代にこのような女性と二人業務上で接触があった。

その中で、お一人は均等法前に入社したのであったので、
男性社会の企業で昇進したのだから、
人一倍努力された状況を見ていたので、
私は好感していた。

もう一人のお方は、政府のある省に入省し、留学を得て、
アメリカの会社で勝ち抜き昇進し、
私の勤めていた外資系の会社に引き抜かれた真のエリートである。

温和な態度で接しているが、
冷静に社内の基幹業務の改善と提示を大胆に実施できる人である。

このように私は恵まれたお二人と接触することができたが、
家庭の妻という視点から見ると、私は苦手である。

私が30代で独身であったならば、やはり専業主婦志向の『お嫁系』タイプで、
性格が素直で、可愛らしい笑顔と女性らしいしぐさのある方に魅せられる。

私は負けん気が強い女性には、苦手であり、
女性だったら、謙虚さがある心の余裕を感じさせる方に魅了される、
古いタイプのひとりの男性である。



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雪の跡もなく・・♪

2006-01-10 11:46:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、夜の間に初雪が少し降ったが、
快晴になり、乾き切った地表は片栗粉を撒き散らしたような雪跡を吸収してしまった。

午前中の今は、『なかにし礼 アンソロジー ~昭和・忘れな歌~』の
三枚組みのCDを聴いている・・。

昭和30、40年代に発表された作品の数々である。

この作詞家は、あらゆる分野に書き分けた才能は賞賛に値する。
私の知る限り、これだけの作品を書き分けられる人は、阿久 悠・氏しか知らない。

このように思いながら、才人・なかにし 礼・氏の昭和に残した名曲を聴いている・・。
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東京の郊外は、湿雪が少し・・♪

2006-01-10 08:45:00 | 定年後の思い
五時過ぎに目覚めると、庭先が少し白っぽくなっていた。

目を凝らしてみると、片栗粉を巻き散らかしたように薄っすらと雪の降った後だった。
東京の郊外は、昨年の12月より極端に降雨が少なく、乾燥し切っている。
日本海沿いの豪雪で生活面まで脅かされている人々には、返す言葉を失うが、
傲慢な考えを許してくれれば、
東京の郊外でも十五センチ前後は降って欲しいと思ったりしている。

東京の郊外は、曇り空であるが、午後になると快晴になる。
金曜日まで晴れ間が続き、土、日曜日で曇り時々雨が予報されている。

雨がある程度降らないと、野菜はもとより、樹木、草花の生育に欠かせない。

何より乾燥しきった日常に潤いがないので、
贅沢な悩みと知りながら、私はときたまため息をしている。


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成人の日の想いで・・♪

2006-01-09 09:04:00 | 定年後の思い
本日は『成人の日』とカレンダーを見て確認したが、
私の心には成人の日は15日と残影が強いので、しっくりとしない。

私は61歳の身であるが、
私の20歳の頃は何をしていたのだろうか、と想いめぐらした・・。

大学を2年で中退し、芸能学校のシナリオ科に行き、
シナリオ・ライターの夢を目指していた頃だった。

この学校は演技科が併用されていたので、
学校からの斡旋でアメリカ・テレビドラマ用を制作していたので、
アルバイトで出演させて貰ったりした。

確か、少年と熊、そして炭鉱夫のドラマだった、と記憶している。
私は炭鉱夫の役を貰い、炭鉱内で崩落に遭うシーンを演じていたりした。

日本のある映画会社の撮影所に三日ほど通ったが、
撮影後は入浴させて貰い、報酬は破格な待遇を頂いた。

ある時は、アメリカのテレビドラマで
日本で放映している日本語の吹き替えも
テストに出たが、これは難しく辞退した。

この様にシナリオ科の専攻の生徒の私でも、
演技科の生徒と共に、英会話、日本舞踊・・等を学習させられ、
何で・・と思いながらも学んだりした。

肝心なシナリオは、同期の3人で共同作業をしたが、余り誉められたことがなかった。
1年過ぎて、養成期間は終わり、同期はそれぞれの分野に散った。

私はこの中の講師のひとりに付き、
この講師が契約している月刊誌の下書きを1年ばかりした。
テーマを与えられ、取材し、下書きをして、
この講師が加筆・削除し、出版社に提出され、
この講師からある程度の額を頂いたり、
新劇のメンバーの紹介を受けたりした。

この様に漠然と夢に向って過ごしたのが、私の20歳過ぎの姿であった。


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冬のお墓参り・・♪

2006-01-08 18:20:00 | 定年後の思い
私の母が1月の中旬に亡くなって7年となるが、
毎年この週の直前の日曜日にお墓参りをしている。

妹の二人と駅前で待ち合わせ、お墓に行ったが、風もなく、暖かな冬の晴れ間だった。
お線香の紫煙がゆっくりと空に舞い上がり、やがて空に消えていった。

その後、恒例の食事会をしているが、
昨年に利用したイタリア料理店は貸切の状態であったが、
止む得ず中華料理店に入ったが、思ったより美味しかったので、
家内と妹の二人が喜んでくれたので、
私は安堵した。

こうして他愛無く話をしていると、時間が過ぎて行くのも忘れてしまう・・。

妹達と別れた後、新宿の伊勢丹のデパートに行ったが、
日曜日のためか、込み合っていて、疲れを覚える。

私は家内に、今後は平日にデパートを利用し、平日以外は行くのを止めよう、
と話し合ったりした。

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何歳になっても、教示させられる・・♪

2006-01-08 08:40:00 | 定年後の思い
昨夜の夕食は、七草粥でなく、ステーキとなった。
私は肉食が好きで、牛肉、豚肉,そして鶏肉が食卓に上がることが多い。
ときたま、ラム肉を食べたりしている。

昨日のステーキは二枚で、300グラム程度で私は四分の三程度、
何時ものように食べたりしている。

夕食後は、布団にもぐり、最近購入した長尾秀美・氏の『日米永久同盟』を読み始める・・。
アメリカの「属国」でなにが悪い!、と掲げ、ちょっと刺激的な副題である。

序章の「迷走する日本外交」、第一章の「在米軍軍は鬼か?」、
第二章の「1908年 米大西洋艦隊来航」を昨晩に読み始めたが、
日本を取り巻く政治、外交、軍事、社会・・等がここ百年に渡り、明示されている。

数行を読むたびに、あの時代はこうしたことが背景にあったのか、
と教示させられる。

私は61歳の身であるが、歴史学、現代史は興味があり、
ある程度は知っているつもりであるが、
まだまだ知らない事が多い、と自覚したりしている。


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