夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の幼年期のある日、危篤の状況となり、この世と別れの宣告をされ、やがて蘇生して・・。

2012-03-08 07:20:07 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の世田谷区に隣接した北多摩郡神代町(現・調布市)で、
1944〈昭和19)年の秋にに農家の子として生を受けた。
この当時の生家の地域に於いては、田畑、竹林、雑木林が圧倒的に多く、緑豊かな町村であり、
生家は祖父と父が中心となって、程々に広い田畑を小作人だった人たちの手を借りて、耕していた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊となったが、
この当時は戦時中で、食糧、医療条件が乏しく、やむなく病死することもあったが、
跡継ぎの候補は、兄ふたりのいずれかとなって、万全と思え、
このような中で、祖父と父は三番目の児として女の子を期待していた思いがあった。

やがて、私の下に1947(昭和22)年1月に2歳下の妹が生まれ、
祖父と父は、女の子を待ち焦がれたように溺愛し、
私は幼児なりに疎外されたように感じで過ごしていたが、
いじけた可愛げのない子の上、無口であった。

このような状況下で、私は3歳過ぎた時、
風邪をこじらせて肺炎となり、町の内科の医師に来て貰い、
診察を受けたのである。
父と母は、幼児を放置していたかのような状態に、医師から叱咤を受けたりした。

しかしながら、あの頃は敗戦後のまもない時であり、
あの当時の私の地域の農家は、
富山の薬の販売員が、担当地域のそれぞれの家を2ヶ月に1度ぐらいで巡回し、
家庭置き薬として常備薬を配布していた時代であった。

そして家庭の誰かが風邪などの場合は、この常備薬の風邪薬を飲んでいたし、
腹痛、歯の痛みなどは、この常備薬に対応した薬を飲んで、治したりしていた。

まして、あの当時は専門の小児科などは私の住む地域にはなく、
1955〈昭和30)年の頃から、住宅街に変貌して、
初めて小児科の病院が開業された時代であった。


私は医師から診察を受けたが、
熱が高く、ときおり呼吸が困難となり、やがて危篤の状態となった・・。
そして、医師から父と祖父に、
手遅れで治療のしょうもないので、残念ながら、まもなく・・
と宣言された。

この後、やむなく祖父は、親戚のひとりに、
3番めXXX(私の名前)が危篤状態であるが、無念ながら助からない、
と意味合いの言葉を親戚、隣人、知人に伝達するように依頼をしたりした。

私は次第に青ざめ心臓が止まったかのような状況が30分ぐらい続き、
死の淵をさまよう表情に苦悶し、
まもやく祖父と父は断念して、ガーゼを水に浸したのを私の唇につけたのである。

私の住む地域では、古くから医師などにより死の宣告をされると、
家族はもとより兄弟姉妹などをはじめとした近親者が、
ガーゼなどで水に浸し、亡くなった人の唇につけてあげる習慣があり、
長老の言葉に寄れば、『末期の水』と称していた。

そして、母、叔母に続いて、長兄、次兄は、ガーゼを私の唇につけたのである。
この後は、『死に水』と称された、おのおの茶碗に少し水を入れ、
各自が飲んだのである。

このような状況の時、医師が、祖父と父、そして母に向かい、
『残念ながら・・まもなく亡くなると思われますが・・
この注射を最期の手段で・・試みて診(み)ます・・』
と言いながら、強心剤の注射をした。

そして、30分過ぎた頃、私は赤味を取り戻した身体になり、蘇生した・・。


こうしたことは、父は私が小学2年、まもなく祖父も亡くなった後、
まもなく父の妹のひとりの叔母から、私は教えて頂いたことである。

その後、長兄とか次兄に、
私が二十歳になるまで数回、
『XXXの・・死に水・・俺は飲まされた・・』
と苦笑しながら、私に言ったりした。

或いは叔母のひとりが何かの会合の時、
『XXXは・・一度死んだ身なので・・長生きするわょ』
と私に励ましの言葉のような意味合いで、言われたこともあった。


私の父は肝臓を悪化して42歳で亡くなったので、
私は中学生の頃から、父の死の42歳を乗り越える責任がある、と漠然と思ったりした。

やがて私が42歳になった時は、せめて60歳のサラリーマン定年退職までは、
生きる責務を強く感じてきた。

そして、定年退職の5年前の55歳の頃は、
定年後10年間だけは、何とか五体満足に生かして貰らえれば、
あとの70歳以降は余生と思ってきたりした。

このように私は死生観は移り変わってきたが、
もとより死は、天上の神々の采配に寄るものだ、と67歳の今は受け止めている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブログの投稿文、齢を重ねた... | トップ | 私のブログ発信名称『夢逢人... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
100歳近くまで生きれると思いますよ! (masamikeitas)
2012-03-08 09:55:44
夢逢人さん、おはようございます。
名古屋で大金持ちで有名だったFさんは、一度死なれて葬式の時に生きかえられ、100歳近くで亡くなられました。
一度死にかかった方は長生きすると言われています。
夢逢人さんも100歳近くまで生きれると思いますよ!
返信する
私は長生きは、無縁と思いまして・・。 (夢逢人)
2012-03-08 23:57:55
masamikeitas様・・お久しぶりです。

コメント、ありがたく拝読致しました。

私の父の妹の四人は、長生きをし、長女の叔母は94歳、次女は89歳で亡くなり、
3女は84歳、末妹は79歳で元気です。
しかし父は42歳、父の弟は21歳で病死しましたので、
父系の男性陣は長生きに関係なく死去しています。
母系は平均寿命で、死去しています。

このような事情で、私は長生き関係することないと思ったりしています。
そして私は煙草を愛煙していますので、80歳は夢の世界と思ったりしています。

しかしながら、こればかりは天上の神々が采配することですので、
解らないのが現状です〈笑〉

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

幼年・少年時代の想いで」カテゴリの最新記事