夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

人生100年時代に「長生きリスク」防ぐには、79歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2024-06-03 12:29:51 | 喜寿の頃からの思い
先程、読売新聞の基幹ネットの【読売オンライン】を見ている中で、

人生100年時代に「長生きリスク」防ぐには…「継投型」で資金準備、散歩・体操そして「ポジティブ・シンキング」

取材帳 異次元の長寿〈8〉

男性88歳、女性93歳。何の数字かおわかりになるだろうか。
死亡する人が最も多い年齢(2022年)で、
これを見ると90歳まで生きるのは、決して珍しくないことがうかがえる。

90歳どころか、今では100歳以上が9万人を超え、
将来的に70万人台にまで増えると予測されている。

まさに「異次元の長寿」の時代。
最終回は、若いうちから知っておきたい老後資金や健康に関する話をお届けする。
(文・編集委員 猪熊律子、写真・鈴木竜三)


老後資金をいくら  めればよいか。悩む人は多いだろう。
長生きにより老後に備えた資金が足りなくなり、生活困窮に陥る「長生きリスク」という言葉を聞けばなおさらだ。

「人生100年時代」の長生きリスクに対応する知恵として、
参考になりそうなのが「WPP」という考え方だ。
18年に日本年金学会が提唱した。

働ける間はできるだけ長く働いて(Work longer)、
私的年金(Private pensions)や貯金で中継ぎし、
最後は公的年金(Public pensions)が抑えの切り札の役割を担う。

頭文字を取ってWPP。
かつてプロ野球で活躍したリリーフ陣が「JFK」と呼ばれたことにヒントを得て、
名古屋経済大学の谷内陽一教授が命名した。


継投型の利点は「5~10年分備えれば良い」など、
私的にいくら準備すれば良いのかの目標が明確になる点だ。
かつて「老後2000万円問題」が世間を騒がせたが、目安がわかれば不安は和らぐ。

公的年金に抑えの切り札を担わせるのは、「公的年金には『終身(死ぬまで)受け取れる』、
『物価変動に対応できる』という強みがあるから。
可能なら、その受給額を増やす方策も検討したい」と谷内教授は言う。

公的年金は、65歳から受け取るのが一般的だが、
「繰り下げ受給」といって受給開始時期を遅らせることができれば、
年金額は1か月遅らせるごとに0・7%増える。
最大で84%(75歳まで繰り下げた場合)増額する。

年金の受給見込み額をスマホで、簡単に試算できるツールもある。
厚生労働省の「公的年金シミュレーター」( nenkin-shisan.mhlw.go.jp )だ。

ID・パスワード不要で利用でき、働き方などに応じて受給見込み額が棒グラフで示される。
こうしたツールを使うのも一案だ。



☆散歩や体操を生活習慣に

「超高齢者(85歳以上)、百寿者(100歳以上)、超百寿者(105歳以上)、
スーパーセンチナリアン(110歳以上)の研究を通じて、健康長寿のメカニズムを解明したい」

そう話すのは、慶応大学の新井康通・百寿総合研究センター長だ。

同大学では約30年前から長寿研究に取り組んできた。
それらの研究によると、100歳以上で自立した日常生活を送っていたのは、約2割。

自立の高齢者に共通しているのは
〈1〉心臓、血管など循環器系の老化が遅い
〈2〉認知機能を保てている
〈3〉筋肉や骨量減少がもたらす虚弱になるのが遅い――だった。

これらの特徴は「体内で起こる慢性炎症を抑制できていることと関係している」
と新井センター長は話す。

慢性炎症は、肥満や腸内細菌 そう の乱れ、免疫老化などから起きる。

特に注意したいのが肥満で、肥満の人の脂肪細胞からは、
炎症性物質が多量に分泌され、炎症が慢性化し、
糖尿病や動脈硬化、心筋 梗塞こうそく などのリスクも高まる。

慢性炎症を抑える有効手段は、やはりバランスの取れた食事と適度な運動だ。
85歳以上元気高齢者の約7割が散歩を生活習慣にし、体操をしている人も多かった。


性格も、長寿と関係するようだ。
認知症のない百寿者への心理検査では、
「開放性(創造的、好奇心旺盛)」、
「外向性(社交的、活動的、ハデ好き)」、
「誠実性(意志が強い、 几帳面きちょうめん 、頑固)」が高い傾向が見られた。

物事を前向きにとらえる「ポジティブ・シンキング」や、
普段から、自分は幸福だと感じる「幸福感」が高い傾向もうかがえた。

長寿の遺伝的要因は2割程度とされる。
生活環境を見直すなど、工夫の余地は大きそうだ。

 

☆人間の柔軟性や強靱性を実感…取材を終えて

「老いの泉」(原題は「THE FOUNTAIN OF AGE」)という本がある。

米国の女性解放運動の草分けとして世界的に知られ、
2006年に85歳で亡くなったベティ・フリーダンさんが、
1993年に出版した(日本語訳は1995年刊)。

自身の体験や老年学の研究成果、エイジズム(年齢差別)への考察、
老年期における仕事や住まいのあり方などがつづられている。

フリーダンさんは当初、老いを肯定的に受け止められなかったが、
研究を重ねるうち、高齢者は「ただ衰えていくもの」という
「老いの神話」の犠牲者かもしれないと考え始める。
そして最後には「老いは、希望に満ちた未知の冒険」との結論に達した。

当時78歳だったフリーダンさんに米国で取材したことがある。
「子育ての義務や野心や名声のための仕事、周囲のしがらみから解放された高齢期は、
素直な自分をさらけ出し、やりたいことができ、
社会や隣人のために、何かができる『最も人間らしく過ごせる時期』」と語っていたのが印象的だ。

今回、90代の方々にインタビューして、
人間の持つ柔軟性や 強靱きょうじん 性、好奇心や探求心の強さを実感した。

戦争や不況、家族との離死別、健康や仕事の喪失など様々な体験をしてきた方たちが、
若い頃には想像もしなかったネット社会、キャッシュレス社会を当然のように受け止め、
前向きに、一日一日を大事に生きている。
老いの持つ豊かさを感じさせてくれた取材だった。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


・・》、
私は学びながら、多々教示されたりした・・。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。



こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、
遠方の地に一戸建てに住んでいる。


ここ10年数前の頃から、5年少し前まで、

長女の家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなったりしていた・・。

                          
やがて家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に5泊6日前後で宿泊して、 

家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、

これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしてきた。


              
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風が更に加速なる中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社を余儀なくされた同僚、後輩に少し後ろめたく、

退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

                         

私が年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、
家内から依頼された品を求めて、 独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、
買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを散策して、
季節の移ろいを享受している。

このような午前中の過ごし方を、過ぎし4年前の春に新コロナウィルスの烈風のまでは、
定例事項のように過ごしてきた・・。



例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、過ごしてきた。

そして散策する時には、殆どデジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩き、
歩いている中で瞬時に魅了された情景を、無念ながら忘れることがあるので、
記憶のかたみの代わりに、撮ったりすることが多くなっている。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。             

私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

或いは雑木の多い小庭に古ぼけた我が家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、 ゆっくりと時を過ごし、
苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。



私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、

無念ながら病死したりした。

まもなく、知人のひとりの50代の奥様が病死されて、 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは通夜の時に哀悼をしながらも、動顛してしまった・・。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。                                                                      

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、
この世を去ったり、 ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、

数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、私は震撼させられたりしてきた・・。




私たち夫婦は、過ぎし年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきたが、
やがて2019年は予告もなく私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

こうした中、退院の一日前、40代の男性の担当医師より、
『私もタバコを喫っていましたが、やはり身体によくないと思い、3年前にやめまして・・
貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。

私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
『これを機会に、タバコやめます』
と私は担当医師に向かって言ったりした。

そして自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。

こうした根底には、何かを断念しなければ、この先はないと思い、
断腸の思いで禁煙したのは本音であった。

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。



この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。






やがて手術後、5年が過ぎた今年の5月、

定例の精密検査をし、幸運にも転移がなく、私たち夫婦は安堵をしたりした・・。

しかしながら、こうした病状は、やはりどのような変貌するか、判らない・・。

このように、この当時、私は入院生活を2回も体験し、
そして家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑をしたりした・・。

こうした中、家内の母のお世話は、近くにいる家内の妹に依頼して、
やがて家内の母は『要介護・3』となり、やむなく介護施設に入所し、
月に5日間だけ、家内の母は自宅に帰還し、家内の妹がお世話しているのが、
実態なっている。

このような体験を私たち夫婦をしながら、
一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。



私は友達、知人は自身が選ぶことができ、こうした中で悪感情の末、疎遠になったり、解消できるが、
家族の親子、兄妹は、たとえ愛憎、確執があっても、

一生つきまとい、手を切ることができない間柄となっている。

しかしながら血は、水より濃いと称されるように肉親、夫婦、親子、兄妹だけが
知りえる互いの喜びがあり、互いに共有してるのが家族である。

このように家族に対しては、私はプラス思考となっているひとりである。

こうした考えをぼんやりと思い馳せると、モーリス・メーテルリンクさんの童話『青い鳥』のように、
幸せな『青い鳥』は、人誰しもそれぞれのお住まいの身近な所にいる、

と私は確信を深めたりしている・・。



私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして人だれしも長所、短所はあるが、
私は短所の方が多いので、家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。

              

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、

血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、
ボタンの掛け違いのように差異が発生し、険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、
私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりする時もある。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、

と私は微苦笑したりしている。



こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、

婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。


やがて2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ・・』と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、『ボケチィンねぇ・・』とか、
ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』と家内は微苦笑しながら、

私に言ったりしている。



私たち夫婦は年金生活を過ごして、丸19年半過ぎているが、
48年ばかり寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
こうした年金生活は、定年退職するまで何かと悪銭苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽の日々を過ごしてきた。

世の中は少年時期から青年時期を過ごした後、やがて後年になって、
ボクの青春時代はあの時期だった、と回想する走馬灯ように、
その時の出来事を思い馳せたりすることがある。

このようなことも人生に於いてあるので、
いつの日にか現在の生活を思い馳せた時、

 今こうして過ごしている私たち夫婦は最良の日々かしら、
と私は感じたりしている。



これからの晩秋期の日々は、体力の衰えを増すことを実感しながら、
やがていつの日にか、どちらかが不運にも大病になったり、
最悪の場合は死別して、おひとりさまとなったりする。


こうしたことは自助努力も必要であるが、 
こればかりは神様か仏様か采配する世界と思ったりしている。

このように思案している私は、

こうして過ごしている昨今こそが、いつまで続くか解らないが、
私たち夫婦にとっては最良の日々、と私は感じ深めている。
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