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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

妻は強く、夫は弱くなった30年、高齢者の私は真摯に学びながら、やがて微苦笑して・・。

2018-09-10 14:00:35 | ささやかな古稀からの思い

先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 妻は強く、夫は弱くなった30年
          「平成夫婦」の自然な姿とは 】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

こうした中、私は体力の衰えは実感しているが、好奇心ばかりは益々旺盛となり、
今回の《・・妻は強く、夫は弱くなった30年・・》に強く心が揺さぶれる中、
こっそりと読んでしまった・・。

この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年9月14日号に掲載された記事のひとつであり、
藤嶋  亨さんが綴られた文で、
関連のネットの【AERA dot.】に9月10日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・妻は強く、夫は弱くなった30年  「平成夫婦」の自然な姿とは

              

寿退社、亭主関白、夫唱婦随、良妻賢母……。
最近すっかり使わなくなった夫婦に関する言葉は多い。


【図表で見る】家庭の総合的な決定権を持っているのは?

博報堂生活総合研究所が6月にまとめた「家族30年変化」の調査結果は、
最近の夫婦の変遷を映し出す。

調査対象は、妻が20~59歳の世帯。
家庭の総合的な決定権を、だれが持っているかについて、「主に夫」が約39%で、「主に妻」が約30%。

昭和最後の時期の1988年以降、夫の比率は下がり続ける。
「妻は強く、夫は弱くなった30年」と同研究所。


夫の収入は1990年代後半をピークに下がっており、
内濱大輔・上席研究員は「家庭内での夫の発言権が、弱くなった一因ではないか」とみる。

また、「夫婦それぞれの自立性が高まり、男女の差がなくなり、個人と個人でつき合う意識になった」という。


調査で理想の夫婦像の移り変わりも、浮かび上がる。

亭主関白、友達夫婦、カカア天下の三つの選択肢から、夫と妻の双方に理想像を聞いてきた。

夫側で1988年に最も多かったのは、亭主関白で約50%。
次いで、友達夫婦約39%、カカア天下約9%と続いた。

しかし、亭主関白は右肩下がりで、2018年は約18%。
友達夫婦は約65%まで増えた。


結婚すると、妻は寿退社で家を守り、夫は稼いで亭主関白をめざす。
それが昭和の夫婦像の一つだった。
現実は、妻の尻に敷かれるカカア天下も多かっただろう。


対して、平等な友達感覚で、出産・育児期も、共働きを続けて、
家事をシェアするのが、平成夫婦の自然な姿。


「歌は世につれ世は歌につれ」と言うが、
「夫婦は世につれ世は夫婦につれ」とばかりに、その姿は移り変わる。

新元号の時代には、どんな夫婦像が主流になるだろうか。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              
                     
私たち夫婦が結婚したのは1976年(昭和51年)の春であるが、
この当時は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、

そして家族全員で、明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中で、私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、
一家の主(あるじ)、或いは夫として、もとより家計の責務で奮闘して働いていた。

そして妻の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮戦し、
昭和妻の責務を果たしてきた。
            
やがてバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
まもなくソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。

そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などの労働力の安価の国際競争力に敗退し、
かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
そして殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。

             

やがて私は確か8年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年)の時点の頃から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10数年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。

そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

このように私は漠然としながら、昭和の半ばより昨今まで感じ受け止めてきた・・。

             

この間、バブルが終息し、そして平成元年(1989年)を過ぎた頃から、          
殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下し、
やむなくそれぞれの家庭の妻は、フルタイムのような共稼ぎが本格的に増えてきた・・。

こうした共稼ぎの時代を迎えると、妻は勤務に疲れても、育児も相変わらず妻の責務となり、
たとえ良き夫でも、妻がしている掃除、洗濯、料理、育児の助力の程度であり、
妻の発言が増すのは、当然の結果と私は微苦笑させられる。

私の兄、妹の子供たち、私にとっては甥っ子に当たる4人の40代の夫婦を見ても、
平成の時代を重ねても、甥のお嫁ちゃんは何かと大変だなぁ・・と思う時がある。

             

私たち高齢夫婦でも、年金生活の中、妻は長らく専業主婦の体験者が多く、
少なくとも妻は掃除、洗濯、料理などの家事に関しても、家庭内の達人である。

私は年金生活を14年生であるが、やはり掃除、洗濯、料理などの家事の全般は家内に依頼して、
ときおり助力する程度である。

このような生活をしていると、何かしら決めることは、私は家内に従順となり、
私が現役サラリーマン時代と大きな変貌となり、独り微苦笑する時もある。

たとえば私たち夫婦の共通趣味は国内旅行であり、行きたい処の選定権は家内に優先権として、
日頃の感謝を浮かべて、そうだよねぇ・・と安易に私は妥協している。

そして何かと気弱な私は、家内の手の平に乗れば、何事も年金生活は安楽に過ごせる、
と微苦笑したりしている。

             

このように私は家内と共に、昭和51年の春から、今日まで長年に於いて、
寝食を共にして、ささいなことでも語り合い、歳月を過ごしてきたが、
少なくとも私より少し若い団塊の世代と共に私たち夫婦は、幸運な時代だった、と思い深める時がある。

コメント
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