先程、ときおり愛読しているネットの『 ディリー新潮 』を見ている中で、
【 84歳まで医者知らず「内海桂子」の心得
私はこうして「乳がん」から生還した 】と見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
幼年期に肺炎をこじらかして、街中で開業している医師に来宅して頂き、
危篤寸前で、強く心臓に与える注射で、30分後に死の淵から甦(よみがえ)ったりした。
やがて40代の半(なか)ばには、ギックリ腰を悪化させて、やむなく28泊29日間入院したりしてきた。
そして65歳に糖尿病となり、最寄りの医院の医師に基づき、
ウォーキング、食事の改善で何とか糖尿病の基準範囲を改善してきたので、
何かと病院にお世話になった身である。
このような深情を秘めている私は、《・・84歳まで医者知らず「内海桂子」の心得・・》に、
私は強く揺すぶられて、記事を精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊新潮』の2018年9月13日号に掲載された記事のひとつで、
関連のネットの『 ディリー新潮 』に2018年9月14日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・84歳になるまでは、病気らしい病気をしたことがなかったの。
まともに健康保険証を使ったこともなかったぐらい。
風邪を引いても医者にはかかりませんし。病院があまり好きじゃなかった。
そんな私が、胸の異変に気づいたのは、2007年の6月頃だったかしら。
この年は、春先から「冗談じゃない!」というドラマに出演させて貰っていて、
撮影が終わった時に、主演の織田裕二ちゃんが、花束を持って駆け付けてきてくれたのね。
私も嬉しくなって、思わず抱きついちゃった。
そしたら、そのまま裕ちゃんが抱っこしてくれてさ。
ぐるーっと回ってくれたんだけど、そしたら右胸のあたりが痛くて痛くて・・・。
まさか、その時は、乳がんだなんて思わないでしょ。
周りも“肉離れじゃなくて、乳離れかね”なんて笑っていたくらい。
その後、11月になって映画「能登の花ヨメ」にも出たんだけど、
おんぶをして貰うシーンがあったのね。
その時も痛くて、右胸に変なぐりぐりが出来ていることに気づいた。
それで聖路加国際病院へ行き、マンモグラフィーからエコー、MRIまで使って全部調べて貰って、
“はい、がんですね”ってな調子で、宣告されたわけ。
私は長男を膵臓がんで亡くしているから、遺伝的には何か関係があるのかもしれないけど、
乳がんになるとは思いもしなかった。
若いうちから子どもを産んで、お乳をあげていたし、親戚でも、乳がん患者はいなかったから。
進行のステージはIIで、しこりは2センチくらいのものが2つ。
摘出後に見たら、黒茶色というかコーヒーのような色をしていました。
結局、リンパ節への転移もなかったので、手術は1時間ほどで終わって、
退院後も放射線治療を1カ月くらい。
もう10年経つけど、4カ月に1回の頻度で、検査のために病院に通ってます。
今のところ再発はまったくありません。
歳をとると、病気というだけで、参ってしまう人が多いでしょ。
でも、私は病気なんかに、負けちゃいけない、そう思ってるの。
だから病院へ行く時も、大声で“お邪魔します”と言って入っていき、帰る時も挨拶は欠かさない。
ずいぶんと元気のいい患者だなぁ、と顰蹙を買ってるかもしれません。
私は芸人だから、芸事以外の心配は、しないようにしているんです。
病名を聞いてもピンとこないし、飲んでいる薬も、どんな効果があるのかさっぱり分からない。
そんな状態で、あれこれ自分の健康を憂えても仕方がないでしょう。
だったら、病気のことは信頼するお医者さんに任せておけばいい。
そう割り切って毎日を元気に過ごしています。
がんは、先生がキレイにとってくれたから心配してません。
むしろ最近は、転んで折った腰の方がよく痛む。
そっちの方が心配と言ったら、がんに怒られちゃうかもしれないけどねぇ。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は内海桂子さんは、芸人で漫才師もなさる御方で、確か90歳を過ぎた御高齢と思いながら、
ネットで調べると、1922年生まれで96歳、と判り、驚いたりした。
今回、芸人・内海桂子さんは、《・・84歳になるまでは、病気らしい病気をしたことがなく、
何かしら病院が苦手で、風邪を引いても、医者にはかからなかった・・》
と私は学び、驚いたのである。
この後、『乳がん』に遭遇しても、動揺することなく手術後も、たんたんと過ごされる御様子に、
高齢者の男性の私は学び、恐れ入りました、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
私は何かと気弱な面もあり、たとえば私が大病に遭遇した時、困苦したりして動揺すると思い、
芸人・内海桂子さんは、病状に対しも強い意志のある御方ですねぇ・・と思い深めたりした。