私は東京の調布市の片隅み住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、長らく愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
【 医師が語る、心を整え、人生を楽にするコツ 】と題された見出しを見て、
どういうことかしら、と私は好奇心に負けて精読してしまった。
この記事は、東京大学名誉教授の医師である矢作直樹(やはぎ・なおき)さんが、ダイヤモンド・オンラインに於いて、
定期連載している【医師が語る、心を整え、人生を楽にする】寄稿文であり、
今回は第2回として【 人間関係に悩まされることなく、自由に気楽に生きる秘訣 】で、
2017年1月27日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
《・・家庭や職場、学校、あるいは趣味の集まりなど、他人と関わり、交流すれば必ずついてくるのが人間関係の悩みだ。
しかし、そんな人間関係も、こうして考え方を少し変えるだけで驚くほど楽になる。

☆添付した今回の写真は、本日に散策した時に、たわむれに撮った☆
☆人付き合いが減ると、楽になる
悩みの種だった人付き合いが、気がつくと楽になっていることがあります。
経験のある方もいるでしょうが、これほどうれしいことはありません。
なぜ、楽になるのでしょうか?
(1)付き合う人の数(顔ぶれ)が減ると、物理的に楽になる
(2)気が合う人との交流が増えると、精神的に楽になる
(3)相手に何かを求めなくなると、関係的に楽になる
これらは、いわゆる「お互いさま」を理解した境地なのです。
少しずつこれができるようになれば、日常が変わります。
付き合う顔ぶれが減ることで、大事に思い合える人だけが残ります。
無理に減らす必要はありませんが、何かをきっかけにして、減ってしまうこともあります。
あるいは時間的、物理的(距離的)な要因でも、付き合う人は減ります。
そもそも、友人は作るものではなく、「できるもの」です。
さまざまな条件が重なった末にできるものであり、自然の成り行きなのです。
ですから減るのも、自然な成り行きであり、自然減はむしろストレスを解放してくれます。
友人といっても、関係は不変なものではありません。
お互いを取り巻く環境の変化などで、それまでの友人であり得た条件が変わり、疎遠になることもまた自然なのです。
気が合う人との交流を密にすると、共有力が高まります。
何かを共有したり、分け合ったりすることは、気づきと学びです。
そして、他者に求めなくなると、自分にも求められなくなります。
また、そこに何か加えるとすれば、「誰かを追いかけない」ということでしょうか。
意識が変わり始めると、必ず付き合いの中身が変わります。
それを繰り返すと、次第に自分と近しい人に出会うことになります。
すると、誰かを追いかける必要もなくなり、理想的な付き合いができるようになると思います。
☆評判は常に変わる。こだわることはない
あなたが思っているほど、他人はあなたに関心がありません。
身も蓋もないことを書きましたが、これは事実です。
私たちは日常の多くの状況において自意識過剰であり、自己評価も高すぎます。
その原因は、相対感が強すぎる、ということがほとんどです。
実績(キャリア)や人望があると自負する人に対しても、現実には皆さほど興味がありません。
そもそも人間は飽きっぽく、自分の興味の対象をコロコロと変える生き物です。
伝聞情報を真に受けてしまう傾向も強く、右に行ったり左に行ったりします。
他人はあなたに対して、一切の責任を持ってくれません。
ですから、他人があなたについて言うことなど、「ふーん」くらいの軽い態度で聞いていればいいのです。
「評判こそが唯一の資産であり、評判さえ落とさなければ、社会で成功する」と主張する人もいるかもしれません。
組織論や人間関係学において、評判・評価というのは、実にわかりやすい指標ではあります。
評判や評価次第で、人・物・金といった「資源」が動くからです。
しかし、そんな評判や評価は、いろいろな要素で、どんどん変わります。
それも一夜にして変化することさえあります。
仕事ができ、周囲から高い評価を得ていた人が、ある日、叩き落とされることがあります。
上司との関係、取引先との関係、組織内力学、いろいろな要素があるでしょう。
その人の評判を上下させる要素は、豊富です。
単なる一時的な感情で、プラス評価がマイナス評価に変えられてしまうこともありますし、
逆に低評価だった人物が、ささいなきっかけで評価・評判を上げることもあります。
評判や評価とは、それくらい「いいかげん(加減)」なものなのです。
いいかげんという言葉の真意は、「ほどほど」です。
どちらにも寄らず、感覚としてはプラスマイナスゼロに近い状態ということです。
他人からの評価や評判などにこだわらず、お天道さまに恥じないように生きればよいでしょう。

☆急に怒りっぽくなったら、体の病気も疑ってみる
些細なことにイライラしたり、怒ったりして、平常心を保てないことを悩む人がいます。
どんな時でも怒りをコントロールして、心を乱さないでいられるようになるためには、
規則正しい生活をし、何か打ち込めるものを持つことが必要です。
打ち込めるものとは、大したことでなく、ちょっとしたことでいいのです。
あるテレビ番組を見る、絵画を見る、音楽を聴く、でもいいし、人と話すことだという人もいるでしょう。
何でもいいから自分の気がまぎれることを持つことです。
これは、私にもあります。
例えば、読書や体を動かすことなどです。
「これをすることで、自分は気がまぎれるんだ」と思い込めることが重要です。
つまり、心が乱れた時の逃げ道を用意しておくのです。
しかし、忘れてはならないのが、怒りっぽい人に共通しているのは、人への感謝がない、ということです。
そして、足るを知らないのです。
これこそが「怒り」よりも、先に普段から意識しておくべきことです。
自分に尽くしてくれる妻を怒鳴りつける人や、頑固な人などが、その典型的な例でしょう。
人の悪いところばかり見るが、自分を振り返ることは決してしない、という人は少なくありません。
怒りっぽいと自覚したら、自分を振り返ってみることです。
しかし、怒りっぽいのは病気が原因ということもありますから、注意してください。
認知症の初期や脳血管障害、頻度は少ないですが脳腫瘍など、脳の器質的な障害でも怒りっぽくなることがあります。
また、躁うつ病でも躁状態の時や、統合失調症でも幻聴・妄想のために怒りやすくなることがあります。
そういう意味で自覚することが重要です。
怒りっぽいと自覚したら、まずは身体症状に原因があるかどうかを調べてもらってください。
また、怒りっぽくなったと家族などに指摘されたら、素直に受けとめ、注意してください。
感情面に急な変化が出たら、特に高齢になっていたら、病気の可能性も疑ってみたほうがいいでしょう。
体の病気が感情面に影響を及ぼすことがあることを忘れないでください。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は読み終わって後、そうですよねぇ、と微苦笑しながら賛意を深めたりした・・。
私は、東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。
そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭となっている。
年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。
こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

このように私は定年退職するまでは、何かと悪戦苦闘の半生であったが、
定年後の年金生活は、予測した以上に心身に於いて、安楽な生活を過ごしている。
そして我が家は裕福層には無縁であるが、何とか生活できて有りがたいわ、
と家内がときおり呟(つぶや)くように言ったりする時、私は微苦笑したりしている。
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昨夜、長らく愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
【 医師が語る、心を整え、人生を楽にするコツ 】と題された見出しを見て、
どういうことかしら、と私は好奇心に負けて精読してしまった。
この記事は、東京大学名誉教授の医師である矢作直樹(やはぎ・なおき)さんが、ダイヤモンド・オンラインに於いて、
定期連載している【医師が語る、心を整え、人生を楽にする】寄稿文であり、
今回は第2回として【 人間関係に悩まされることなく、自由に気楽に生きる秘訣 】で、
2017年1月27日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
《・・家庭や職場、学校、あるいは趣味の集まりなど、他人と関わり、交流すれば必ずついてくるのが人間関係の悩みだ。
しかし、そんな人間関係も、こうして考え方を少し変えるだけで驚くほど楽になる。

☆添付した今回の写真は、本日に散策した時に、たわむれに撮った☆
☆人付き合いが減ると、楽になる
悩みの種だった人付き合いが、気がつくと楽になっていることがあります。
経験のある方もいるでしょうが、これほどうれしいことはありません。
なぜ、楽になるのでしょうか?
(1)付き合う人の数(顔ぶれ)が減ると、物理的に楽になる
(2)気が合う人との交流が増えると、精神的に楽になる
(3)相手に何かを求めなくなると、関係的に楽になる
これらは、いわゆる「お互いさま」を理解した境地なのです。
少しずつこれができるようになれば、日常が変わります。
付き合う顔ぶれが減ることで、大事に思い合える人だけが残ります。
無理に減らす必要はありませんが、何かをきっかけにして、減ってしまうこともあります。
あるいは時間的、物理的(距離的)な要因でも、付き合う人は減ります。
そもそも、友人は作るものではなく、「できるもの」です。
さまざまな条件が重なった末にできるものであり、自然の成り行きなのです。
ですから減るのも、自然な成り行きであり、自然減はむしろストレスを解放してくれます。
友人といっても、関係は不変なものではありません。
お互いを取り巻く環境の変化などで、それまでの友人であり得た条件が変わり、疎遠になることもまた自然なのです。
気が合う人との交流を密にすると、共有力が高まります。
何かを共有したり、分け合ったりすることは、気づきと学びです。
そして、他者に求めなくなると、自分にも求められなくなります。
また、そこに何か加えるとすれば、「誰かを追いかけない」ということでしょうか。
意識が変わり始めると、必ず付き合いの中身が変わります。
それを繰り返すと、次第に自分と近しい人に出会うことになります。
すると、誰かを追いかける必要もなくなり、理想的な付き合いができるようになると思います。

☆評判は常に変わる。こだわることはない
あなたが思っているほど、他人はあなたに関心がありません。
身も蓋もないことを書きましたが、これは事実です。
私たちは日常の多くの状況において自意識過剰であり、自己評価も高すぎます。
その原因は、相対感が強すぎる、ということがほとんどです。
実績(キャリア)や人望があると自負する人に対しても、現実には皆さほど興味がありません。
そもそも人間は飽きっぽく、自分の興味の対象をコロコロと変える生き物です。
伝聞情報を真に受けてしまう傾向も強く、右に行ったり左に行ったりします。
他人はあなたに対して、一切の責任を持ってくれません。
ですから、他人があなたについて言うことなど、「ふーん」くらいの軽い態度で聞いていればいいのです。
「評判こそが唯一の資産であり、評判さえ落とさなければ、社会で成功する」と主張する人もいるかもしれません。
組織論や人間関係学において、評判・評価というのは、実にわかりやすい指標ではあります。
評判や評価次第で、人・物・金といった「資源」が動くからです。
しかし、そんな評判や評価は、いろいろな要素で、どんどん変わります。
それも一夜にして変化することさえあります。
仕事ができ、周囲から高い評価を得ていた人が、ある日、叩き落とされることがあります。
上司との関係、取引先との関係、組織内力学、いろいろな要素があるでしょう。
その人の評判を上下させる要素は、豊富です。
単なる一時的な感情で、プラス評価がマイナス評価に変えられてしまうこともありますし、
逆に低評価だった人物が、ささいなきっかけで評価・評判を上げることもあります。
評判や評価とは、それくらい「いいかげん(加減)」なものなのです。
いいかげんという言葉の真意は、「ほどほど」です。
どちらにも寄らず、感覚としてはプラスマイナスゼロに近い状態ということです。
他人からの評価や評判などにこだわらず、お天道さまに恥じないように生きればよいでしょう。

☆急に怒りっぽくなったら、体の病気も疑ってみる
些細なことにイライラしたり、怒ったりして、平常心を保てないことを悩む人がいます。
どんな時でも怒りをコントロールして、心を乱さないでいられるようになるためには、
規則正しい生活をし、何か打ち込めるものを持つことが必要です。
打ち込めるものとは、大したことでなく、ちょっとしたことでいいのです。
あるテレビ番組を見る、絵画を見る、音楽を聴く、でもいいし、人と話すことだという人もいるでしょう。
何でもいいから自分の気がまぎれることを持つことです。
これは、私にもあります。
例えば、読書や体を動かすことなどです。
「これをすることで、自分は気がまぎれるんだ」と思い込めることが重要です。
つまり、心が乱れた時の逃げ道を用意しておくのです。
しかし、忘れてはならないのが、怒りっぽい人に共通しているのは、人への感謝がない、ということです。
そして、足るを知らないのです。
これこそが「怒り」よりも、先に普段から意識しておくべきことです。
自分に尽くしてくれる妻を怒鳴りつける人や、頑固な人などが、その典型的な例でしょう。
人の悪いところばかり見るが、自分を振り返ることは決してしない、という人は少なくありません。
怒りっぽいと自覚したら、自分を振り返ってみることです。
しかし、怒りっぽいのは病気が原因ということもありますから、注意してください。
認知症の初期や脳血管障害、頻度は少ないですが脳腫瘍など、脳の器質的な障害でも怒りっぽくなることがあります。
また、躁うつ病でも躁状態の時や、統合失調症でも幻聴・妄想のために怒りやすくなることがあります。
そういう意味で自覚することが重要です。
怒りっぽいと自覚したら、まずは身体症状に原因があるかどうかを調べてもらってください。
また、怒りっぽくなったと家族などに指摘されたら、素直に受けとめ、注意してください。
感情面に急な変化が出たら、特に高齢になっていたら、病気の可能性も疑ってみたほうがいいでしょう。
体の病気が感情面に影響を及ぼすことがあることを忘れないでください。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は読み終わって後、そうですよねぇ、と微苦笑しながら賛意を深めたりした・・。
私は、東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。
そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭となっている。
年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。
こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。

午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

このように私は定年退職するまでは、何かと悪戦苦闘の半生であったが、
定年後の年金生活は、予測した以上に心身に於いて、安楽な生活を過ごしている。
そして我が家は裕福層には無縁であるが、何とか生活できて有りがたいわ、
と家内がときおり呟(つぶや)くように言ったりする時、私は微苦笑したりしている。
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