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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第五回 あこがれを秘めた後生掛温泉

2014-10-24 16:24:20 | 
       第五章 あこがれの後生掛温泉

『蒸けの湯温泉』にわずか一泊した18日の朝、小雨降りしきる朝を迎えた。

やがて私たち夫婦は、午前10時15分過ぎに、次の宿泊地の『後生掛温泉』に向かう為、
路線バスに乗ろう、と同じご夫婦とロビーで私たちは談笑していた時、
当館のスタッフのご厚意で『後生掛温泉』まで送迎します、と私たち4人に言われ、
やがて私たちは当館のスタッフの送迎車に乗車した。

そしてブナを中核にヤマウルシなどの落葉樹が朱紅色、黄色に染められて中、
アスピートラインと称された道を小雨降り続ける中、夢街道のような情景を観ながら坂道をゆっくりと下った・・。
       

やがて10時半過ぎに『後生掛温泉』に到着した。
       

そして当館のチエックインの規約は午後3時となっていたので、
私たちは食事処で休息した。
旅先の宿泊所の多くは、朝夕食は私たちの平素より多かったので、昼食は軽食とすることが多く、
今回は私はビールを呑み、家内は当館独自のケーキのような品とコーヒーを飲んだりして、
休息とした。

おがて小雨は本降りとなったが、隣接している『自然研究路』を散策しょう、
と私たちは即決したりした。

樹木はまばらな山岳風景の中、硫黄の匂いが充満し、数多くの所から温泉や高温の泥水が吹き上がる、
と名高い『自然研究路』である。

そして館内より大きな傘をお借りして、私たちは歩きだした・・。
       

この『自然研究路』の路は石畳で歩きやすく、ところどころ噴煙を上げたりし、
私たちは立ち止まり観たりした。
       

そして一周しても一時間ぐらいで、私はデジカメで撮ったりして、ゆったりと周遊したりした。
       


帰還して、まもなく当館のご厚意で指定された宿泊する部屋に入ったのは、午後1時過ぎであった。
そして私は大浴場に入ったが、やはり後生掛の湯は、湯・泥・蒸気で多彩な形で享受でき、
日本の各地から温泉愛好家が訪れ、或いは『湯治の後生掛』と称されて、長逗留される湯客も多いと知られ、
数多くの方が入浴していた。

私は『後生掛温泉』を知ったのは、遅ればせながら1997年(平成9年)秋で、
この当時の私は嵐山光三郎・著作の『温泉旅行記』(JTB、刊行)を読み、
この中の一章に後生掛温泉について掲載されていた。

そして私は誘発されて、いつの日にか訪れたい、とあこがれを秘めていた宿であった。

http://www.goshougake.com/
☆【後生掛温泉】公式ホームページ ☆

やがて部屋に戻り、家内が湯に向かった。
       

そして私は途中で、売店で買い求めた地酒を窓辺に移して、呑み始めたりした。
       

やがて窓辺の彼方の情景を眺めたり、あこがれの地に来た、と漠然と思い深めたりした。

そして8月初旬の当初の希望は3連泊する予定であったが、20日は満室と旅行代理店から言われ、
やむなく本日の18日、そして明日の19日と連泊と決定しまったが、
それだけこの宿に数多くの方が宿泊したい宿なので、私は満足しなければ、と微苦笑したりした。
       

この後、館内の通路を歩き、休憩室の窓辺から、小雨降る中のヤマウルシ、ブナが朱紅色、黄色に染められて中、
チシマサザ、アオモトドマツの緑色の濃淡の情景に長らく見惚(みと)れたりした。
       

やがて明日の19日の日中のひととき、『玉川温泉』に往還するので、
果たしてお天気は・・と漠然と思ったりした。                                
                                     ≪つづく≫
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