夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第四回 蒸(ふ)けの湯温泉

2014-10-23 18:59:47 | 
       第四章 蒸(ふ)けの湯温泉

『藤七温泉 彩雲荘』に三連泊した17日の朝、小雨降りしきる朝を迎えた。

やがて私たち夫婦は、午前9時半過ぎに八幡平の山頂近くのバス停まで、
当館のご厚意で送迎車に乗車し、次の宿泊地の『蒸けの湯温泉』に向かう為、
バス停で待ちわびた。

旅立つ前の時は、この日の日中に八幡平の山頂付近の遊歩道を散策した後、
午後の便で『蒸けの湯温泉』に向かう予定であったが、
『藤七温泉 彩雲荘』に初めて宿泊した翌日に晴れ間が予感して、結果的には周遊して、
私たちは幸運のぐまれた、と私たちはお互いに微苦笑したりした。

そしてこの日の移動日は、たまたま小雨降っていたので、
早めに『蒸けの湯温泉』に向かうことにし、10時過ぎの路線バスに乗車した。

そしてアスピートラインの八幡平の景観の良い中、路線バスは15分ぐらい下った後、
『蒸けの湯温泉』のバス停に到着した。
       

私は大きな旅行バックを手にさげたりしてきたので、小雨降る中、『蒸けの湯温泉』の旅館まで、
数分歩くこと予期していたが、、『蒸けの湯温泉』の旅館のご厚意で、送迎車が待機して下さり、
私は恐縮しながら御礼を言ったりした。


規約のチエックインは午後2時となっていたが、私たちは大広間か食事処で過ごされては、
とフロントの方から私たちは言われ、大広間に入室した。

そして私たちと同様にチエックイン前のご夫婦が3組がいて、
まもなく私たちはお互いに旅程のことを話題に、談笑を重ね、
やがて食事処でも話がはずんだりした。

12時過ぎに、客室関係者から入室の可能の連絡を受けて、
私たちは指定された2階の部屋に入った。

この『蒸けの湯温泉』は300年以前から地熱を活用した蒸かしの湯から命名され、
三角屋根の山荘風の老舗旅館であり、玄関先から客室まで青森産のヒバ材や秋田スギをふんだんに配置され、
白濁の名湯と知られている。

    
そして部屋の床柱、そして内湯のヒバ造り、大樹をくり抜いた湯船に掛け湯が張られ、
ひと昔は私のような平民には、とても宿泊できない高級旅館であったことが、
私は瞬時に感じられた・・。

http://www.ink.or.jp/~fukenoyu/
    ☆【蒸けの湯温泉】公式ページ ☆

その上、何よりも見せられたのはヤマウルシ、ブナが朱紅色、黄色に染められて中、
チシマサザ、アオモトドマツの緑色の濃淡の情景である。
                


古来から山が朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の情景を『山粧(やまよそお)う』と称してきたが、
私は見惚(みと)れながら、そうですよねぇ、と私は深く同意させられたりした。
       

そして私は部屋の窓辺、2階の通路の窓辺から、幾たびも眺めたりした。


翌朝、この館の近くに野趣あふれる外湯の露天風呂があり、
この周辺には八幡平地区の『治山の森』ふけの湯地帯となっている。
       

       

       

       

このような情景を見惚(みとれ)れたりすると、脳裏から言葉が舞い降りてこなく、
散文で無念ながら表現できずに、困ったなぁ、と独り微苦笑したりしていた。


やがて余情を秘めて、『蒸けの湯温泉』の地に別れを告げて、次の宿泊地の『後生掛温泉』の地に、
私たち向かった。                                        
                                     ≪つづく≫
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第三回 山の宿の『藤七温泉 彩雲荘』

2014-10-23 11:48:19 | 
  第三章 山の宿の『藤七温泉 彩雲荘』

源泉かけ流しの温泉が好きな家内が、5年前の頃から岩手県と秋田県の県境に八幡平(はちまんたい)の付近に、
『藤七温泉』があるが、たった一軒の『彩雲荘』の宿に気付いた。

そして八幡平より岩手県側の2キロばかり下ると、
東北地方の最高峰1400メートルにある山の宿と知られ、雄大な広がる樹海の彼方には、
岩手富士、茶臼岳の山並みが一望でき、湯量は豊富で幾重かの外風呂の露天風呂が点在する宿として、
多くの温泉愛好家に知られている。

この後、私たち夫婦はいつの日にか訪れたい宿のひとつであったが、
やがて東日本大震災もあったりしたりで、小心者の私は断念した・・。

しかしながら私は、いつの日にか八幡平の山頂付近の遊歩道を散策したく、
家内は効用あらかたな白濁色の湯が満喫てきそうと思いが合致して、
『行きましょう・・』
と私は家内に賛意したりした。

そして当館のホームページを私たち夫婦は幾度も見たりした。
http://www.toshichi.com/
☆【藤七温泉 彩雲荘】公式ホームページ☆

やがて今回の旅路の始めに3連泊を予約して、
初めて『藤七温泉 彩雲荘』に訪れたのは10月14日であった。

東京駅発の東北新幹線で盛岡駅で下車した後、
駅前の路線バスで『藤七温泉』方面に行けるバスの便は、日にたった一本であり、
午前11時42分発のバスに乗車し、曇り空の中を盛岡市の郊外を通り、
やがて松尾歴史民俗資料館で乗り換えたりした。

そして路線バスは八幡平頂上に向い、乗客は私たち夫婦と25歳前後の山のいでたちの男性で、
中型のザックを身近に置いていた。

まもなくアスピーチラインと称せられた景観の良い中、
車窓から落葉樹の朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を眺めていた・・。
       

この25歳前後の男性は、八幡平頂上の少し前の茶臼岳(1578メートル)を登山した後、黒谷地湿原を歩き、
そして八幡沼、その後は蒸け湯への山道・・と私たちは談笑したりしたが、
もとより私たちは体力もない身であったので、この好青年に好感しなから、やがて彼は下車した・・。

そして乗客は私たち夫婦だけで、私たち夫婦は幾たび旅先で観光船、路線バスなどで体験してきたので、
『また・・ボクたちだけになってしまったよねぇ』
と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。

やがて落葉樹も消え、針葉樹のアオモリ・トドマツ林が点在する中、
小雨が降り、やがて本降りとなり、霧も濃くなり、視界は殆どなくなった。

そしてバスを運転されるドライバーの50代の方は、ゆっくりと徐行しながら八幡平頂上のバス停に到着した、

やかて濃霧と本降りの中、バスは下り10分過ぎると『藤七温泉』のバス停に到着した。
こうした中、数10メートル先の『彩雲荘』の玄関先まで、大きな旅行バックを私は下げながら、
小走りに着いた。

       
         ★翌々日、曇り空の中、記念に私は撮ったりした。★

そして家内と玄関先で苦笑いした後、フロントでチエックインの所定を記載し、
ロビーで少し休息した後、山の宿らしい指定された2階のある部屋に案内された。

この後、旅先の宿に到着したいつものように形態で、
私は先発隊として内風呂に入ったが、誰もいなく貸し風呂のようであったが、
身体が冷え切っていた為か、湯は熱く、やむなく断念して、
外湯に点在する露天風呂を小雨降る中、二か所ばかり入浴し、
やがて熱い内風呂に、日本男児だ、と思いながら私は入り、その後は身をゆだねたりした。

やがて、私は指定された部屋に戻り、家内は湯に向かった。
       
        ☆たわむれに室内を取ったりしたが、山の宿にふさわしく窓際に椅子とテーブルはなく、
         この後の私は幾たびも一階の談話室に通ったりした☆

この後、源泉大好きな家内は1時間半ばかりした後に戻り、
『内風呂・・確かに熱かったけど、一緒にいた方、水を入れていたわ・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。


この宿は外湯の幾つかの野趣あふれる露天風呂として名高く、
私たちが滞在している平日でも、立ち寄り湯の方たちも数多く来客され、にぎわっていた。
       
        ☆滞在した翌日の15日、八幡平の山頂遊歩道から帰還している途中、当館を撮った☆

私は滞在している館内の中では、指定された2階のある部屋から、通路を通り、
       

一階の宿泊者専用の談話室で、本を読んだり、地方紙の新聞を読んだり、
ときおり私たちと同世代の宿泊されているご夫婦と談笑したりした。
       

或いは私たちの部屋から当館の門前、バス停の先の山並みを観たりした。
       

食事に関しては、古来のより日本男児は発露することは恥となっているが、
私は幼年期に農家の児として育ったせいか、田畑の農作物は大好きのひとりである。

今回は異例であるが、山の宿で山菜づくしの多彩な乾物、塩漬け、水煮を調味したのを賞味できたりした。
山ウド、コゴミ、セリ、ゼンマイ、タケノコ、フキ、ワラビなど、少なくとも毎食ごとに10品は食事の友とした。

平素の私の朝食は、五穀米が入った白米のご飯、ワカメの味噌汁、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、
海苔(ノリ)、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰などを愛食している。

こうした根底には、幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)が、
何かと心身の波長に合うのであるので、頂いたりしている。

こうした心情のある私は、当館で夕食を頂いたりしている時、
ビールを呑みながら、塩をまぶした焼き上がりのイワナを食べたりした後、
山菜づくしに魅了されて、
『XXちゃんさぁ・・一汁十菜だよねぇ・・』
と私は微笑みながら家内に言ったりした。、
                            《つづく》

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