夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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《秋の旅路》初秋の甲斐大泉の旅路、ささやかな思いで・・。《上》

2014-10-19 09:18:07 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は共通趣味のひとつとして国内旅行であり、
家内は秋の旅行を初夏の頃から検討してきた・・。

日本の秋は、落葉樹が朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の時節であるが、
もとよりその地域や気候により大きく変動するのが、悩ましいことでもある。

ともすれば錦繍(きんしゅう)を目的もせずに、旅先を移動している最中に、
偶然に朱紅色、黄色に染められる圧倒的な情景にめぐり逢えることもある。

このような状況もあるので、余り深く思案しない方が良いよ、と私は家内に言ったりしている。

このようなことを家内に言ったりした後、過ぎ去り2011年に甲斐大泉の地域の旅路の時、
初秋の時だった為、錦繍(きんしゅう)の前に訪れた旅行が思いだされた・・。


       序 文  初めて八ヶ岳の大泉高原

私は家内と共に、初めて八ヶ岳の山里にある大泉高原を一昨年の2011年の10月16日から3泊4日で訪れた。

有力な通販旅行会社のひとつのクラブツーリズムの雑誌に、
八ヶ岳の高原にあるリゾートホテルに三連泊する団体滞在型のプランが掲載されていた。

そして宿泊先の『八ヶ岳ロイヤルホテル』リゾートホテルは、
星空が観やすいところ、と何かの雑誌で私は読んだりしたこともあり、
その上、この地域は10月中旬の頃から、
数多くの落葉樹が朱色、黄色などに染め始める錦繍(きんしゅう)の情景が展開すると学んだりした。

こうした理由もあり、私は家内に、
日中は錦繍の情景、そして夜には満天の星空を眺められる・・
独断と偏見の多い私でも、三日間宿泊すれば、一日ぐらいは煌々と輝く数多くの星が見られる、
と家内を勧誘したのである。

この旅路の主旨は、新宿駅に集合し、特急『あずさ』を利用して、小淵沢駅で下車し、
ホテルからの送迎バスに乗車し、ホテルに3連泊する間、それぞれ好きな所を見てきて下さい、
滞在の自由プランである。


私は八ヶ岳連峰に関しては、若き学生時代にワンダーフォーゲル部に入部し、
まもない時に横岳(2829m)などを少しばかり登山したが、
もとより新人で余裕のない私は、先輩の指導に導かれ、ひたすら昇っていたので、
今としては、記憶はおぼろげである。

40代の後半に、家内と共に蓼科のリゾートホテルに夏季休暇の時に2泊3日で滞在した時、
ロープウェイに力を借りて、最北端の北横岳(2480m)を登山した後、周辺を歩き廻ったぐらいである。

この間に、私たち夫婦は、蓼科高原に幾たびか旅行し、
あくまで茅野駅からのルートで利用し、観光地めぐりしたりしてきたが、
小淵沢駅からの小海線の甲斐大泉、清里駅の周辺は未知の地域であった。
          

16日の昼の12時40分に新宿駅の南口前に集合し、
特急『あずさ』に乗車して、午後1時に発車し、小淵沢駅に午後3時に下車した後、
宿泊先の『八ヶ岳ロイヤルホテル』ホテルからの送迎バスに乗車した。

その後、ホテルのドライバーさんは、私たち一同に、
ホテルの周辺は、平年より紅葉は遅れ、東沢大橋だけは色づき始めました、
と解説されていたので、
私は昨今の自身の行いが悪かったかしら、と心の中で呟(つぶや)きながら、苦笑した。


       第1章  ホテルの屋上展望デッキからの山脈(やまなみ)の情景

私たち夫婦は、指定された部屋に入室した後、八ヶ岳連峰の赤岳(2899m)を中核に窓辺から観え、
もとより星空が観やすいところ、と学んできたこともあり、
周辺の山脈(やまなみ)の情景も良いかしら、と思いながら、
デジカメを取りだして、屋上展望デッキに行った。

雄大な八ヶ岳連峰の赤岳(2899m)を中核にした光景を観た後、
          
東方に金峰山(2599m)など、そして茅ガ岳(1704m)が観えて、その奥に富士山(3766m)が聳え立っていた。
          
そして南方に点じれば、南アルブスの甲斐駒ケ岳(2967m)、北岳(3196m)などが、
広大な情景が展望できた。

山の愛好者の方たちには、圧倒的に感動する光景かしら、
と登山から遠ざかっている私でも、魅了される情景であった。

そして山脈(やまなみ)の日の出、夕陽の光景も思い馳せたりした。

この間の私は、こうした情景をデジカメで20数枚撮ったりし、
山脈(やまなみ)の空気の流れ、光の粒などのは、無念ながら撮れないので、
せめて心の片隅にと思いを重ねたりしていた。

この後、夜のとばり星空に期待し、私は大浴場に向った。


       第2章  星空の中、赤く光を帯びる星は・・。

私たち夫婦は夕食後、星を眺めようと、ホテルの屋上展望デッキに行った。

数多くの星が広大な夜空に彩(いろど)り、満天の星空のように出逢った・・。

私は幼年期の小学校に入学する前の1950〈昭和25〉年の夏、
東京郊外の調布市で農家の児として育ち、
この当時は寺院の境内で、片隅にスクリーンを掲げ、
夏に一回だけ野外の映画の上映会が行われ、この地域の方たちが観覧していた。

私も母に連れられて、確か映画の『長崎の鐘』の作品を観たりし、
私にとっては初めての映画作品であり、詳細の内容は忘れてしまったが、
帰路、夜空は天の川となり、周辺には数多くの星が燦然と輝き、
今でも心の片隅に深く残っている。

この時に幼年なりに深く感銘していたが、
やがて5年過ぎた頃から、生家の地域は急速に都心のベットタウンに変貌し、
夜空に輝く星は、わずかとなり、その後に私は旅行を重ねるたびに、
旅先で夜空を眺めることが多くなった。

しかしながら無学な私は、太陽と月しか解らず、
火星、木星、金星など惑星は、どの辺にあるかは無知であり、
ましてオリオン座、カシオペア座、おとめ座などの星座が、どこにあるの、
と戸惑いながら見つけられないひとりである。

このような私でも、何かしら幼年期で観た輝く星、
そして定年後には心の浄化をしてくれるような数多くの星、
観るのが好きで、できうれば満天の星を秘かに願い続けている。


数多くの星を眺めていると、満天の夜空かしら、と小声で私は呟(つぶや)くと、
満天の星は・・もう少しありますよ、
と近くにいる見知らぬ天文学に詳しそうな男性が教えてくれた。

この後、私は夜空の星たちを眺めていると、赤く光を放つ星を私は見つめた・・。
眺め見つめていると、少し赤い光が移動するので、
何の星かしら、と私は見惚(みと)れていた・・。
この後も、たえまなく星の数々を避けるように移動するので、稀(まれ)な星もあるよねぇ、と感じていた。

そして近くに家内がいるので、
『不思議な星・・』
と私は小声で家内に話しかけた。

『あらぁ・・赤い光で少しつづ動いているわ』
と家内は小声で私に言った。

『そうだろう・・先ほどから見惚れているが・・』
と私は応(おう)じた。

『でも・・確実に移動しているし・・飛行機みたい』
と家内は呟(つぶや)くように言った。

『航空機からの夜間照明灯か・・夜間飛行のねぇ・・』
と私は家内の呟(つぶや)きに応(おう)じた。


そして私は広大な夜空を改めて眺めると、数多くの星空の中、
五つばかりの夜間飛行の移動する赤い星を見つけたりし、
この山梨県の里山の夜空でも、夜間飛行で飛び続ける航空機の多さに驚いたりした。

この後、私は家内に、
いろいろと予期しない星も見られたので、良かったよねぇ、
と話しかけて、私たち夫婦は屋上展望デッキを去った。


       第3章  『清泉寮』、そして周辺の散策路は・・。

私たち夫婦は、今回の八ヶ岳の大泉地域を初めて訪れたが、
旅行の時の私は、その地の歴史、文化を少しばかり学び、訪れてきてが、
今回の私としては稀(まれ)に、どの地をめぐり観るかは、未知数であった。

ただ落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景、
そして夜空の満天の星空が観られれば、これ以上の享受はないと思っていたのである。
そしてたったひとつだけ、ネットに調べたのが、
『清泉寮』の周辺の『キープ自然歩道』の中の『カラマツ林の小径』を散策すれば、
という思いであった。

16日にホテルに到着する前に、
この大泉地域を観光めぐりするに最適な乗り物『清里ピクニックバス』を、
旅行会社の添乗員さんから頂いたパンフレットから知った。

この『清里ピクニックバス』は、周辺の点在する殆どの観光地に寄り、
一日周遊券600円(大人)で、どの観光地で乗り降りしても利便性のあるバスであった。

私たち夫婦は、滞在しているホテルの前から、この『清里ピクニックバス』を利用し、
観光めぐりをしょうと話し合った後、
17日に『清泉寮』に向かい、乗車した。

無学な私は、この『清泉寮』の原点を創設されたポール・ラッシュ氏のことも知らず、
富士山が一望できる休憩所で、家内と共にコーヒーを飲んだ後、
『八ヶ岳自然ふれあいセンター』で、この周辺の散策路を教しを受けたりした。

そして小学生でも歩きやすいアップダウンの少ない『カラマツ林の小径』、
或いは『富士山とせせらぎの小径』を知った。

私たち夫婦は、『カラマツ林の小径』を歩き始めたのであるが、
小径は整備され、ご婦人の方であったならば、ローヒールでも歩ける散策路である。
          
ミズナラ、コメズカ、コナラなどの落葉樹は色づきはじめ、
そしてモミ、アカマツなどの常緑樹の中、
ヤマウルシのたわわな葉は紅色に染められ、陽射しを受けたり、
木漏れ日の中を歩けば、私の心は小躍(こおど)りしたくなる情景であった。
          
途中で、先生方に引率された中学生の150名ぐらい人たちに逢い、
こんにち~わ、と私たちは挨拶され、私も大声で応(おう)じた。
しかし、それぞれのグループで歩き150名となれば、
私は楽しみながら、大声で応じたり、小声ではっきりと笑顔で言ったりしていた。

こうした予期せぬ出逢いに、私たちは好感しながら歩き、たった一周45分の小径を
ゆっくりと歩いた。


この後、『富士山とせせらぎの小径』と称せられた散策路を歩き始め、
ときおり富士山が一望でき、『カラマツ林の小径』と同様な樹木の中を歩き、
道沿いに小川が流れ、清流の流れを観ながら、一周30分の散策を楽しんだりした。
          

そして、昼食は富士山が一望できる休憩所に戻り、
         
売店、飲食コーナーで、私は農場で飼育されたジャージー乳牛のミルクのLサイズ、
少し大きなジャージー・ミルクパンを賞味した。

家内は婦女子らしくジャージー乳牛のヨーグルト、そしてプリン、
或いはソフトクリームを食べたりしていたが、
ビール、日本酒の大好きな呑兵衛の私が、ミルクを飲みながらミルクパンを食べていたら、
家内は笑いだしたのである・・。

この後、寮内を見学した後、『清泉寮』の前から『清里ピクニックバス』に乗車し、
大泉地域の情景を観ながら、ホテルに帰還した。
                                《つづく》

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