ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

民主党は変われるのか?

2009-07-27 08:42:14 | 社会
最近、民主党の打ち出す政策が良くなってきたと思う。

インド洋の補給にも柔軟に対応するようになってきたし、消費税の話も柔軟路線になってきた。電波の管理を行う総務省の部門を政府の外部にする構想も打ち出している。

どうも、政策は岡田幹事長、選挙の顔は鳩山代表、選挙戦術は小沢前代表、という作業分担がはっきりしてきた感じである。そして岡田幹事長の政策は、少なくとも私から見て、共感できる部分が多いということである。

現状は自民党から過去の民主党の行動との矛盾点を突かれている段階である。ここをきちんと乗り越えれば本物の政策になっていくだろう。ただし、これで民主党が本当に変わったのかどうか、まだわからないと私は思っている。

前の代表は与党を困らせる、足を引っ張る、ことしか念頭になかった。今の代表はできるかどうかの裏付けもなく人気取りの政策を掲げている。そして民主党内の実権はまだこれらの前代表や現代表にあると思っている。

彼らの目的は権力を奪取することであり、権力を取った後どうするかはほとんど考えていない感じだった。 最近になって権力を取った後のことを言い始めたのだが、それがこれまでの党首の発言と少なからず矛盾しているということは、本当に権力を握った時にどうなるかは疑わしいものだという感触を捨てきれない。

この選挙期間中にこの不安を払拭できれば本物の民主党政権が誕生するだろうと思う

東海道踏破計画 第5回第2日

2009-07-26 18:30:38 | 生活

昨日のことになってしまったが、朝起きたら雨が降っていた。朝風呂に入って、7時からの朝食を食べてもまだ降っている。 今日はどうしようかと悩んでいたら8時ころになって雨が上がったので出発した。

どこまで行くかは別にしてとりあえず豊橋まで行くことにする。東海道線に沿って歩き、二川で国道一号線に合流することにした。 雨は止んでいるのだが湿度が高く歩き始めるとたちまち汗びっしょりになった。

少し行くとトヨタの創始者である豊田佐吉記念館の看板があったので大分遠回りになるが寄ってみることにする。行ってみると昔風の民家で昔の家としては大きめだが大富豪というほどでもない家である。ここが豊田佐吉の生家だそうである。

中は博物館のようになっており発明王と言われた佐吉の発明が展示してある。発明はすべて自動織機であり、自動車に関しては事業に進出することを決めはしたが、自ら開発にかかわったことはなさそうである。 展示室は20畳くらいの一室なのですぐに見て回れた。

それから湖西市を西へ向かって歩く。歩いていて気がついたのだが,このあたりの道は歩きやすい。車の多く通る国道一号線などは両側に民家というより商家が多く、たいてい車が出入りする。家の高さと国道の高さは若干違っており車が出入りできるように歩道が傾いているところが多い。

わずかな傾きなので少し歩くときにはほとんど気にならないが一時間以上歩いていると体が傾いて来るような気がして気になってくる。 これまでは、ほとんどの所で、特に車の交通量が多いところでは、傾いた歩道を歩いていたのだが、このあたりはきちんと平らになっており最後に広い道に降りるところだけが傾斜しているので歩きやすかった。浜松、豊橋あたりは豊かなのかな、と思った。

歩き始めて2時間ほどすると足にマメができて痛くなってきた。まだ豊橋までは半分くらいしか来ていない。新所原という町の喫茶店で休憩して、まだかなり距離があることを確認し、今回は豊橋から新幹線で帰ることにする。前回は無理して歩いたために変な歩き方になって大変だったことの反省である。

豊橋市内に入った二川の蕎麦屋で昼食にし、3時前の新幹線で新横浜に向かった。今回は3日歩く予定だったのを途中で断念することになった。天気は晴れてきてむしろ暑くなってきたのだが、無理はしないことにした。

それにしても最初のうちは足にマメなどできなかったのだが、最近は後半マメができてしまう。前の靴が壊れて買い替えた靴が合っていないのかもしれないが、歩くだけなので鍛えれば何とかなると思って、もうしばらく今の靴で頑張るつもりである。

写真は明日くらいに載せようと思う


東海道踏破計画 第5回第1日

2009-07-24 19:10:10 | 生活
今日は朝から東海道を歩きに出ている。

朝、横浜は雨だったのだが名古屋方面は降らないだろうと判断したのと、ある程度曇っているほうが暑くないと思って出発することにした。

朝の6時少し過ぎに自宅を出て、7時過ぎに新横浜で新幹線を待っているときは土砂降りだった。9時前に浜松に着いた時には薄日が差していた。「正解」と思ったものである。

浜松駅前から歩き始めたのだがどうも様子がおかしい。駅前の地図を見て東海道に来たつもりだったのだが、姫街道と書いてある。年配の人に「東海道はどっちですか」と聞くと、これは姫街道でこの道を行くと浜名湖の北側の前線違う方向に行きますよ、とのことである。東海道は浜松から南のほうへ向かって海沿いを歩くのだった。 駅前の地図を読み間違えたようなのだが、とにかくも戻るしかない。一時間近くこれでロスしたと思う。

ちなみに東海道について聞くときには年配の男性に限るようで、女性はほとんどわからないか適当なことをいうかのどちらかである、というのがこれまでの私の経験である。

そんなわけで昼食が弁天島の手前の舞阪になった。今回はカメラを持ってきたのだがパソコンとつなぐケーブルを忘れたので写真をアップできない。色々と失敗のある出だしである。

昼食をとりながら今晩の宿を考える。もともとは豊橋までいけるかと思っていたのだが、かなり厳しそうである。その手前で適当な宿泊場所を見つけられなかったので、東海道を外れて湖西市のビジネスホテルに泊まることにする。

東海道は弁天島を過ぎて新居に入ってから再び南に下り遠州灘を歩くのだが、私は浜名湖を渡ったところで北に向かい、湖西のグランドホテル湖西に泊まることにした。午後3時半ころ到着で、今回の計画の早めに宿に入るというのは達成できた。

ここのホテルは一泊5500円で朝食付き、夕食もバイキングにビール付きで1500円と良心的な価格である。更にビジネスホテルには珍しく大浴場があるのでここに決めたのだが、閑散としている。食事の内容も悪くないのだがレストランでは私ひとりであった。

豊橋や浜松のような都会ではないのだからビジネス客は少ない。旅行客には「面白い」と感じられるものが無いような気がする。 一応経営者である私はレストランでアルバイトのおばさんがだべっていると気の毒になってくる。

チェックインして中継していると4時半頃からしっかりと雨が降り始めた。早めにチェックインして正解だったと改めて思ったものである。 今回は夏場ということもあり、無理せずに行こうと思う

将棋の名人戦と囲碁の本因坊戦

2009-07-23 10:41:52 | 囲碁
少し前に、将棋、囲碁の大きなタイトル戦が私の気持ちとしてはどうも盛り上がらない、と書いたが、今は両方とも終わっている。

将棋は羽生名人が4勝3敗で防衛し、囲碁は羽根本因坊が4勝2敗で防衛した。 将棋のほうは熱戦ではあったのだが私には分かりにくい内容だった。羽生名人の将棋は相手によって変わる、相手の得意戦法に飛び込んでいくような感じがあるので来年もまた羽生名人の名人戦が見られるということでよかったと思っている。

囲碁のほうはやはり物足りないまま終わってしまった。内容的には挑戦者の高尾九段のほうが強い感じがするのだが勝負は羽根本因坊が勝ったという感じである。従って逆転が多いのだが本因坊がうまい手を打って逆転したというよりも高尾九段の心の弱さが逆転につながった感じがする。

優勢な碁を勝ちきるのは大変難しく、自分でも逆転負けはしょっちゅうあるのだが、トッププロともなればあのくらいに優勢がはっきりすればきちんと勝ちきってほしいと思う。

この点で印象的だったのは名誉本因坊にもなっている趙治勲九段のやり方である。彼は優勢になってもそのまま逃げ切ろうとせずに、戦い抜く姿勢を基本としている。しかし、形勢判断は常にしていて「これで勝ち切れる」と感じるとそこからパタリの戦うのをやめて守りに入る。この判断をするのがかなり終盤の難しいところが少なくなってからであり、それまでは多少優勢であってもきちんと読んで戦いの中に踏み込んでいく。 従って、やりすぎて逆転負けをすることもあるが逃げに入ってから逆転を喫することはまずなかったと思う。

先日、テレビで高尾九段の師匠の(故)藤沢秀行九段の指導ぶりをNHKで放映していたが、藤沢さんの指導の根本は「逃げるな、立ち向かえ」だったと思う。戦おうとして踏み込めばミスも出やすく逆転されることもある。しかし逃げて逆転されるのと戦って逆転されるのでは後に残るものが違う。 今回の高尾九段の逆転負けは逃げの姿勢からの逆転が多かったように思う。

プロ棋士は勝敗が生活に直結している。色々言われても、勝率の高いのが一番である。しかし、まだ伸びる可能性のある人はやはり戦う姿勢を大切にしてほしいと思う。常に戦う姿勢を持っていた人が途中から引き揚げるようになると一時的にミスが下がって勝率が上がる。しかし1年もすると再び勝率が下がってくるのが常である。

少なくとも40歳くらいまでは、トッププロなら50歳くらいまでは戦いを中心にしてほしいと思う。坂田栄男九段、呉清源九段などの名棋士は生涯戦う姿勢を貫いていたと思う

衆議院解散 混迷への突入

2009-07-22 09:01:39 | 社会

衆議院が解散された。万歳を三唱している議員の映像を私は苦々しい思いで眺めていた。

何度も書いたが今回の解散は国政レベルからみるとまったく理由が立たない。内閣総理大臣の立場ではなく、自民党の総裁の立場での解散である。内閣総理大臣と自民党総裁をこれほどまでに混同してよいものかと思う。

通常は解散から選挙までは21日であるが今回は40日である。長い選挙戦になる。この期間に日本の国政は混迷の度を深めることになると思う。

国会が解散して国政が停滞するとか、官僚の予算編成が進まなくなるとかいう話ではない。それは、解散に付き物の現象で、もちろんあるのだが、今回はさらに別の問題が出ると思う。

私が気にしているのはこの40日は各政党がお互いに相手の悪口を言い合う泥仕合の期間になるだろうということである。

東京都議選の結果を見ても民意は民主党に傾いていることは明らかである。自民党はこれを何とかして巻き返そうとするだろう。巻き返すためには良い政策を打ち出すのが一番よいのだが、これまでできなかったことが急にできるわけはない。考えられる戦術は相手の悪口を言って「自分のほうがましですよ」という言い方をすることである。

これまでは野党は基本的にその戦術で、与党は自分たちの政策の良さを訴えるというのが基本的な構図だった。しかし今回は両方とも野党のようなものである。民主党にはもともとまともな政策はないし、今回は自民党も同じレベルかそれ以下である。政策として訴えるのはだれもが喜ぶようなばらまき政策ばかりになるだろう。

2大政党体制の本来の趣旨はどちらの政党も政権を担当できるように政策を真剣に考えそれを訴えることになることのはずである。しかし、日本型の2大政党体制はどちらも野党化して、政策をまともに考えず、相手に失策をあげつらうだけになる、という感じがする。

我々はそれを見てうんざりしてしまうだろう。投票率も下がるのではないかと思う。案外浮動票に頼らない公明党あたりが目線は低いながらも地道な活動を続け、躍進するかもしれないという気がする。それはそれで問題だと思うのだが。

私の予測は外れることを願っている。しかし、選挙に勝とうと思えば上記のような行動に出るのは普通のことだろうと思う。それを抑止するのはジャーナリズムの力だと思うが、日本のジャーナリズムには失望しており、私は期待していない


昔、お気に入りの店(3) 定食屋「多摩」

2009-07-21 09:15:04 | 昔話
私は寮に約5年いて宿河原のアパートに引っ越した。

南武線の宿河原の駅から7分ほど多摩川の方に行ったところに、1K(6畳+台所3畳)のアパートを借りた。家賃は1万9千円だったと思う。小さいながらも庭がありなかなか気に入っていた。

部屋で自炊することは殆ど無く、9割以上外食であった。朝食にトースト程度は焼いていたと思う。

宿河原での気に入った食堂は線路沿いにあった「多摩」という定食屋である。5席ほどのカウンターと8席ほどの畳席で、中年の夫婦二人でやっていた。メニューは肉じゃが、トンカツ、おひたし、シラス下ろし、モツ煮込み、秋刀魚と言った家庭料理が多く、私はビールとあと2-3品注文して、漫画を読みながら食べることが多かった。たいてい1000円前後だった。

ここの店はどれも味付けが大変良かった。常連がかなりいていつも顔を見る人がいたが会話をしたことは無かった。雰囲気も明るく楽しいところであった。私の晩酌の習慣はここに通っていた頃についたように思う。週に2-3回この店に通っていた。時々、娘さんが手伝いに来ていた。私が通っていた7年ほどの間に中学生から高校生、大学と進学したようである。

この頃には仕事も忙しくなってきていて夜遅くまで会社にいることも多かった。「多摩」は11時に閉まるので、それに間に合うように帰っていた記憶がある。

食事を一人で食べながら幸福感に浸るというのはめったにないことだが、この店ではよくそれを感じていたように思う。特に秋刀魚とやり烏賊が美味しかった。

後にはこの店の10倍もする高級レストランにも出入りするようになったが、この店ほど食べることの幸福感は感じなかった。多分、料理評論家が食べ比べれば、高級店のほうがよい味なのだと思うが、私にとってはそういう時は大抵は人と話すことが目的であり、「美味しいな」と感じても心は食べるほうに向かっていなかったからだと思う。

この店も今はもう無い。店をやっていたご夫婦は、今はもう70歳を過ぎているだろうから、引退していて当然である。娘さんが後は継がなかったのだな、と少しさびしく思う

日本式ベンチャーファンド

2009-07-20 09:24:09 | 経済
最近、私のもう一つのブログ、「ウィトラの眼」のほうのアクセスが増えている。

「ウィトラの眼」では情報通信白書の内容を紹介していて、その内容が面白いところに差し掛かってきたからではないかと思っている。 最近の話はアメリカではどんどん新しい企業が出てくるのに、日本ではなぜ出ないか?アメリカのベンチャーの起業家は理科系が大半なのに日本ではほとんどが文科系である、などの話である。

その大きな要因として白書はアメリカの起業家を助けるエンジェルファンドの存在をあげている。 確かに、アメリカには新しいチャレンジをサポートする社会風土があり、日本では足を引っ張るような社会風土があるような気がする。

そう思っていたところ、今朝の日経新聞に官民共同のベンチャーファンドができる、という記事が出ていた。 しかしよく読むと、1000億円のファンドのうち9割以上は政府の出資であり、民間は大手の企業が1社5億円ずつの出資ということである。 なんとなく、役人の天下り先作りのためにファンドに民間がつきあわされたような感じを持つ。

日本の場合、ベンチャーがうまくいかないのは資金の問題もあるが、それよりもむしろ起業家がビジネスを知らない、という面が大きいように思う。

したがってファンドが出資する場合には、出資とともに財務担当責任者を派遣するような体制が不可欠だと思うのだが、そのような人材の手当てはできておらず、財団の理事長の知り合いの大学教授などが怪しげなベンチャーを立ち上げ、返さなくてもよい資金なので散在してつぶれてしまい、何年かのちに野党の非難の的になる、というストーリーが見えるような気がする。

やはり、この種のファンドは身銭を切って、そのベンチャーが失敗したら痛みを感じるようでなくてはうまくいかないように思う。

そのためには余剰資金を持っている人が不可欠なのだが、日本ではまだベンチャーマインドを持った富豪が育っていないように思う。 それでもチャレンジを促すには政府系のファンドを作るよりも、ベンチャーファンドの対する投資の税制上の優遇措置などをするほうが効果があるように思う

浜松町のインド料理専門店

2009-07-17 10:07:30 | 生活
昨日の昼食は浜松町のインド料理専門店で食べた。

貿易センタービルのすぐ近くの田町寄りの小さな建物である。店の外側には「インド人が調理する本格的インド料理店」とある。

ランチだったのだが建物の外に券売機が置いてあり、そこで券を買って注文する庶民的な店である。私は「本日のランチ:かぼちゃカレー750円」を注文した。

中に入ると4つほど座席のあるカウンターがあったが、インド人のおじさんが2階へどうぞ、という。狭い階段を上がって2階に来ると全部で16席くらいの小さなところで、すでに何人か(日本人)客が入っている。インド人のウェイトレスが一人で切り盛りして水を出してくれた。立派とは言い難い庶民的な感じの店で、ウェイトレスも愛想がよいとは言えない。

しばらく待つと注文したカレーが出てくる。どうも下で調理して搬送用のエレベータのようなもので上げてきている。大きめのカップに入ったカレーと特大のナン、それにミニサラダが付いてくる。ナンは長さ30cm以上あるような特大のものでこれを手でちぎってカレーをつけて食べる。

カレーも結構な量があり、食べきれないのではないかと思ったナンのほうが先に無くなり、むしろ具が残った。ウェイトレスのお姉さんが「ナンお代わりする?」と聞いてくる。 もう一つあの大きなナンを食べるほどの食欲はなく、お代わりは断ったが、最初に食券を買う店のシステムを考えるとナンのお代わりは無料のようである。なかなか良心的だ。

ブログにこの店を書いたのは、とても味が良かったからである。少し残念だったのはあまり辛くなかったことである。インド人並みの特別辛いカレーが好きな私にとっては物足りなかったが、店から出るときにウェイトレスに聞くと「辛口もできます」とのことだった。

辛くなくても十分においしかったので、辛ければもっとおいしいだろうと思う。今回は初めてだったので食券を買って出しただけだったが、次回行く時は容量がわかってきたので「辛口」を注文しようと思う。

浜松町あたりに行くのが楽しみになってきた

梅雨明け

2009-07-15 08:39:31 | 生活
関東地方の梅雨が明けた。 朝から強い日差しで、私も今日は今年初めて帽子をかぶって徒歩通勤した。

暑いのは確かであるが朝のうちはまだ気持ちがよい。空気もなんとなくサラッとしていて、汗をいっぱいかくにも関わらず、歩くのがつらいという感じはなく、むしろさわやかな気持ちで歩いてこれる。

川沿いの梨畑にはいつの間にか黄色い電球のようなものが建てられている。夜これで照らして促成栽培するのだろうか。梨の実もかなり大きくなって直径7cmくらいある。

気がつくと栗の木にはすでに大きなイガが付いている。これかもう最終的な大きさのようである。栗の実は最初にイガが大きく育ち、秋になるにつれて中身が充実してくるのかな、などと思う。

朝の好調さと比べると、帰りの歩きは結構つらいものがある。出るときの気温がすでに高いのと、歩き始めた時にもうある程度昼間の疲れがたまっているからかと思う。40分くらい歩くと次第に疲れがたまってきて「あと少し」などと自分を励ましてみたり、歩くペースを早くしたり遅くしたりして気分を変えたりする。

それでも、ちょっと大げさな言い方だが、「これが人生だ」などと思いながら歩いている。気分の良い時もあればよくない時もある。よくない時を乗り越えてよい時の楽しみがわかるので、気分の良いときだけを求めていると体はどんどん弱っていくのではないか、という気がする。

東海道を歩いていると特にそれを感じる。気持ちの良い田園風景もあるし、横を車がびゅんびゅん走るまっすぐな長い道をとぼとぼと歩くこともある。その両方をひっくるめて歩くことを楽しむのが東海道を歩く醍醐味である、つまらないところはバスやタクシーに乗ったりしては歩くことに意義が大幅に下がってしまう気がしている