ウィトラのつぶやき

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土居健郎氏の訃報

2009-07-06 09:16:31 | 社会
精神分析学者の土居健郎(どい・たけお)氏の訃報が流れている。

以前、このブログに京都大学教授である河合 隼雄氏の講義を受けて私は精神分析に興味を持ったと書いたが、土居氏の「甘えの構造」も70年代の代表的な精神分析の本で私も読んでいる。多分、精神分析の単行本では最も読まれている本ではないかと思う。河合氏もすでに亡くなっており、時代の移り変わりを感じる。

考えてみると70年代は精神分析のある種ブームの時期だったのではないかという気がする。「甘えの構造」と同じようなテーマとして河合氏の本では「母性社会日本の病理」という本がありこちらの方が直接的タイトルであるが同じようなことを両者言っていると思う。

「甘えの構造」では「甘え」という言葉は日本独特の言葉であり英語にはこれに対応する言葉がない。強いて言うと「Spoil」という言葉になるのだが、これは「甘やかしてダメにする」という否定的なニュアンスを含んでいる。

甘えというのは母性愛から来ているが、それが幼児の時だけでなく子供がかなり大きくなる時まで続く、というのが日本の特徴であり、精神分析の専門家から見るとその行き過ぎで精神的にやわなまま大人になった人が病気にかかることが少なくない、というのが趣旨である。

私自身にとっても反省材料であるのだが日本の社会、特に戦後から1990年代くらいまでは家事・育児はほとんど妻の仕事で夫が家事に参加することが少ないのが日本の特徴だった。これが「甘えの構造」を生んでいるという。

夫が家事に参加していなくても、自分の家で商売をやっているような家庭は父親の仕事ぶりを子供が見ているので、ある種の影響力が子供にある。しかし、サラリーマンの子供は父親がどんなことを会社でしているのかほとんど知らない。子供が知る大人は母親とそのつながりの人たち、というのがほとんどになる。これがある種の偏りの原因となることは容易に想像できる。

なんとなくではあるが、有名になるような人はサラリーマンの子供でないような人の割合が高いような気がする。 私の場合も会社を辞めて個人事業を始めてからは家族と私の働きぶりの距離感が近くなった。これは良い影響を生んでいると思う。

外国ではどうか。今私は出張で外国人と話すことが多いが、サラリーマンの子供は親の仕事ぶりを見ていない、という点では同じはずである。しかし、外国では「週末に家をあけると奥さんに叱られるので帰らないといけない」という人が非常に多い。つまり夫の家事参加が日本よりもはるかに強いのが普通であり、その分父親と子供が接触する機会が増えているのだと思う。

最近では経済的な事情から共稼ぎをせざるを得ない家庭も増えており、そのぶん夫の家事参加も増えている。20年後くらいには日本も変わってくるかと思うが、まだしばらくは母親の影響が圧倒的に強く子供に残る母性社会の状態が続くだろう