ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

昔、お気に入りの店(2) 読売ランドの手作りパン屋

2009-07-14 09:45:59 | 昔話
寮生活を始めて3年目くらいに、読売ランドの駅から寮へ行く坂の途中、ダイエーの向かいに手作りのパン屋ができた。小さな店で、27,8くらいの女性が一人で切り盛りしていた。

私は朝食は寮で出されていたし,平日は会社で食べ,昼食や休みの日は外食、という生活をしていたのであまりパンを買う必要は無かったのだが、新しい店ができたので試しに菓子パンを買ってみた。

最初はパンの味よりもむしろ店長の女性の客扱いに魅かれた。どこがどうと、具体的に説明しにくいのだが、客がどう言う格好で来ているか,歩きか自転車か,買い物袋を持っているか、などを見ておいて微妙に包み方などを変えてくれる。よく気の付く人だなあと思ったのを記憶している。 店の中にはいつもFEN(英語のラジオ放送)が流れていた。

パンの味はそこそこおいしいと感じていた。 あるとき、出来立てのクロワッサンをその店で買ってきて、まだ暖かいのを食べたときに、パンに対するイメージが変わったように思う。正直、「パンとはこんなにおいしいものとは知らなかった」という感想を持った。それ以後は時々昼食にパンを食べるようになった。

昭和50年代の始めなので手作りのパン屋ができ始めた頃ではないかと思う。その後いろいろな手作りパン屋で買っているが、あの店のクロワッサンを超えるものはなかったように思う。

私は店長さんを気に入っていたが、話をしたことは無く、パンを自分で選んでお金を払い、「ありがとうございました」といつも言われていただけである。ところが、寮を出て数年振りに読売ランドを通りかかったので、件のパン屋に行くと、やはり同じ店長がいて「久しぶりですね。このごろお見かけしませんでしたが、引越しされたのですか?」と声をかけてきた。私を覚えていてくれたのはうれしかった。

この店も今はもうなくなっている

自民党総裁と内閣総理大臣

2009-07-13 08:53:12 | 社会
東京都議選で自民党が大敗を喫して、民主党が第1党になった。

予想されたことではあるがこの結果を受けて総理の責任だとか、総選挙だとかがマスコミの間で騒がれている。 ここで改めて思うのは麻生総理はどのような責任を取るべきか、ということである。

今回の選挙は地方選挙であり国政とは別だ、と言っているようだがそんなはずはなく、このままいけば衆議院選挙でも同じような結果が出るのは目に見えている。 今回の選挙は国民の心が自民党から離れていることを明確に示していると思う。

ただし、内閣総理大臣としての麻生総理を否定したかどうかは必ずしも明確ではないと思う。もっとも同じ人物が努めているので分けられないことは確かである。

掲題のタイトルにしたのは、自民党総裁としての麻生太郎氏は責任を取って辞職すべきだと思うが、内閣総理大臣としてはちょっと違うのではないかと思うからである。

過去に安倍総理と福田総理が辞任した時は総理大臣を辞任したのであって自民党総裁を辞任したわけではないと思っていた。しかし、自民党内部で選挙がおこなわれ新しい総裁が選ばれてその人が総理大臣になった。

今度は自民党総裁が辞任することになるのだろうがその結果として総選挙になるとすれば、自民党は総理と総裁の役割を取り違えていると思う。また、マスコミがどうしてそれを指摘しないのかと思う。

民主党にしても個人的には小沢一郎氏が党首、岡田克也氏が総理大臣候補、となればそれぞれはまり役でぴったりくるのだが、党首と総理大臣が同一人物でなくてはならないという固定観念から鳩山由紀夫氏が代表になるという妥協案を採択し、党としての魅力を大きく下げている。

第1党の党首と総理大臣は別の仕事であるということを再認識すべきだと思う。

今後の政局では公明党の動きがカギになると思う。今回の都議選でも公明党は減っていない。浮動票がほとんどない証拠だと思う。自民党が野党になれば公明党は当然自民党との関係を見直すだろう。今度は民主党と組む可能性だってある。その時にあまりに露骨な大臣ポストと引き換えに組むといったことをやればそこで新政権はたちまち不人気になるという可能性もある。

いずれにせよ三権分立の意味をもう一度考えるべきだと思う

墓参り

2009-07-12 15:30:45 | 生活
明日は私の父の命日なので墓参りに行ってきた。

父のお墓は京都にあるので、大阪の実家に土曜日に来て、今日、日曜日に墓参りを済ませ、今、大阪の伊丹空港のラウンジでこの記事を書いている。

関西地方はこの週末天気が悪いて言われていたが、昨日も今日もよい天気だった。京都は暑かった。何か久しぶりに京都の夏を体験した気がする。 今回は息子と二人で来た。墓参りには母と息子と3人で行った。息子はこの春から大学なのでその報告に、と思っていたのだがなかなか日が合わず今日になってしまったものである。

息子と二人でもあまり話すことはなくポツリポツリと話すくらいだがそれでも普段よりはかなりいろいろ会話をしたと思う。 帰りの飛行機を遅めに取っておいたので時間が余った。京都見物をしようか、と誘っても全然乗ってこない。父親と一緒だといやなのか、神社仏閣に興味がないのか、多分両方だと思うが結局どこにも行かずに戻ってきた。

京都は14日から祇園祭である。タクシーの運転手さんは今、四条通りに行けば、山鉾の準備などが進んでいて、担いでいるところは見る事はできないが、置いてあるのは多分見られるでしょう、と言われたがそれも興味がないとのことで行かなかった。

私自身、山鉾などにはあまり興味がないので特に勧めなかったが、どこかお寺くらいは回ってもよかったのに、と思っている

マイクロソフト帝国の堤防に穴

2009-07-10 08:34:05 | 経済
グーグルがネットブック用のOSを発表した。無料で配布するそうである。これでついにマイクロソフトのOS独占にも穴があくかな、と思う。

最初は小さな穴でも水が流れ出すと穴はどんどん拡大しついには堤防決壊に至る。その理由は堤防内の地面が地盤沈下を起こして周りより低くなっているからだと思う。

グーグルは既にアンドロイドという携帯電話用のOSも発表しており、こちらのほうは既に対応した端末も出始めている。一部にはこれでネットブックといわれるパソコンの下位機種のOSとして使えるのではないかといわれていたが、今回のはクロームというブラウザと同じ名前のもののようである。

ネットなどで調べればこれがどういうものか、色々な情報があるのだろうが、別にパソコンおたくでもない私はそこまでやろうとは思わない。ただ、次に買い替える時はグーグルパソコンでもよいかなと思う。

仕事上はマイクロソフトオフィス(Word, Excel, Power Point)の資産をたくさん持っており、これからも少なくとも5年は使い続けると思うのでグーグルパソコンを買う気にはならずウィンドウズを使い続けるつもりである。

しかし、居間に置いてある家族用のパソコンはネットでの調べ物やゲームの用途がほとんどでありグーグルパソコンで十分だと思う。最初のうちは心配なので2重OSでどちらででも使えるようなものを選ぶかもしれないがウィンドウズが2万円以上することを考えると迷ってしまう。

今テレビにインターネットとつないでネットの情報を見られるインターネットテレビなども出始めている。ソニーなどはそのためのOSとしてリナックスをいろいろ研究していたようだがこういう動きはグーグルのものを使うように集約していくことだろう。

マイクロソフトの失敗はウィンドウズ・ビスタにあると思う。私は先進ユーザーではないのでビスタは使いたくなかったのだが、会社を辞めた時期にパソコンを買うとビスタが標準で付いてきてそれをわざわざXPに入れ替えるほどの情熱もなかったのでそのまま使っているだけである。

しかし、ビスタは色々な面で良くない。メールとブラウザがよくないので他の物を使い始めたと以前書いたが、それ以外にも立ち上がりの遅さは大いに気になる。

今、家庭ではNECのテレビも見られるパソコンを買って、テレビを見ながらゲームをしたりしているのだが、このテレビ機能を立ち上げるソフトの出来が悪く、2回に1回くらいは失敗する。そうするとOSを再起動しないとテレビが見られない。いつもイライラしている。

こういう問題がグーグルパソコンではなくなるような気がしている。 秋にはWindows 7というマイクロソフトの新しいOSが出るようで、その頃にパソコンを買い替えようかと思っているのだが、少し待ってグーグルの動きを見ようかという気持ちになってきた。

パソコンに対して保守的だと思っている私がこういう気持ちになることがマイクロソフトの地盤沈下を支援していると思う。

グーグルOSをサポートする会社として何社か発表されているがその中ではQualcommが注目だと思う。日本の会社では東芝が名を連ねている

昔、お気に入りの店(1) 喫茶室オレンジ

2009-07-08 09:37:09 | 昔話
私は会社の独身寮に5年間いて、それからはアパート暮らしだった。結婚したのは35歳のときだったので独身時代が長く、いくつか行きつけの店ができた。 その中で3店をこれから紹介しようと思う。ただし、どの店も今は存在しない。

入社して5年ほどは、私は小田急読売ランド駅から読売ランド方向に歩いて(坂を登って)15分ほどのところにある会社の寮に入っていた。最初の2年ほどは6畳ほどの部屋に二人で暮らしていた。

部屋の相棒のH君は実家が埼玉のほうで、土曜、日曜毎に帰っていたが、私は当時実家が大阪にあったこともあって、殆ど帰らなかった。土曜日に溜まっていた洗濯と部屋の片づけを終えると寮から外に出てぶらぶらするのが通例であった。特に最初の一年ほどは殆ど毎日のように土曜,日曜共に出歩いていたように思う。

特に用事も無いのに外に出ることが目的で出歩いたことがかなりあったように記憶している。 その中で良く通ったのが(2週に一度程度)、読売ランド駅前にあった「喫茶室オレンジ」という喫茶店である。

ここで、ホットドッグセットか何かを注文して、置いてある「少年マガジン、少年サンデー、ビッグコミック」などを読んで1時間から1時間半くらいは過ごしていたように思う。どうしてここが気にいったかというと、いくつかの理由がある。

まず、小さな店であまり客がおらず、(客は私一人のことも多かった)静かだったことである。店は料理を作る(喫茶店の料理であるが)マスターと若い女性のウェイトレスが一人で、席は全部で10席ほどであった。

また、これが一番大きい理由だったと思うが、ウェイトレスの感じがとても良かったことである。食べ終わっても漫画を読んでなかなか出て行かない客はあまり好ましくない客だと思うのだが、全くいやな顔をせずに、食べ終わって水を飲みながら漫画を見ているとコップに水のなくなったのを見て「失礼します」といってコップに水を継ぎ足してくれる。これでこちらはまだ出て行かなくても良いと考えて、粘ることに負い目を感じなかったのである。運動の後などは何杯も水を飲んだが、こちらが注文しなくてもコップに無くなるとそれを見て向こうから「失礼します」と言って注いでくれた。

この店には何年も通ってその間にはウェイトレスも変わったが、人が変わっても態度は変わらなかったので、マスターの教育が行き届いていたのであろう。

また、いつもバックグラウンドにカントリー・アンド・ウエスタンの趣味の良い音楽が流れていたのも良かった。ジャズ喫茶のように音楽を売りにしているわけではないので、音は控えめで、特にどう言う演奏家のものを流しているかと言う説明も無かったが、なんとなく聴いていて心地よいものが多かった。この店で「ハンク・ウイリアムズ」と言うカントリーの歌手が大変味のある歌手であることを知った。

今は、喫茶店に入ることはまれになったし時間をつぶすということもなくなった。単身赴任でもすればまたこういうところを探すかもしれない

公取のセブンイレブンへの排除命令

2009-07-07 10:10:48 | 社会
少し前のことであるが、公正取引委員会がセブンイレブンに対して排除命令を出したことが報道されていた。

売れ残りそうになった弁当を安売りしないように加盟店に圧力をかけていたというものである。加盟店に圧力をかけて価格を維持しようとしたという点で公正な取引ではない、という視点なのだろう。マスコミは弁当が売れ残って廃棄されるのはもったいないので安売りでも売るべきだという論調で報道していた。しかし、私はこれに対してかなり異なった見解を持っている。

だいぶん前のことであるがセブンイレブンの立役者である鈴木敏文氏の書いた本を読んで「後入れ先出し」というのに感心した記憶がある。

牛乳などの生鮮食料品は殆どのスーパーなどで古いものを手前に、新しいものを奥に置いている。しかし、セブンイレブンでは古いものを奥に、新しいものを手前に置くように指導しているという話である。

こうすると当然のように古いものはますます売れなくなり、売れ残ってしまう可能性が高い。その代わりに二つのメリットがある。
① 利用者がセブンイレブンは正直でいつも新しいものを売ろうとするという評判が立つ
② 店主は仕入れの量に敏感になり、できるだけ売れ残らないだけの量を仕入れようとする。そのことで能力が高まる。

私はこの②がセブンイレブンの強さの本質だと思っている。そして今回の弁当安売りを抑えるように指導したのも同じ趣旨ではないかと思う。

確かに売れ残って捨てるのはもったいない。しかし、安売りをして売りさばくのではなく、売れ残ってしまったら捨てるしかない、という状況に追い込んで売れ残らない仕入れ量はいくつか、ということを敏感に判断できるようにするほうが長い目で見れば加盟店にとってもメリットがある、というポリシーではないかと思う。 同時に待てば値段を下げる、といった値下げ期待も防げる。

長い目で見ればむしろこの方が地球にやさしいかもしれない。安易に外部から批判をしないほうがよいと思う

土居健郎氏の訃報

2009-07-06 09:16:31 | 社会
精神分析学者の土居健郎(どい・たけお)氏の訃報が流れている。

以前、このブログに京都大学教授である河合 隼雄氏の講義を受けて私は精神分析に興味を持ったと書いたが、土居氏の「甘えの構造」も70年代の代表的な精神分析の本で私も読んでいる。多分、精神分析の単行本では最も読まれている本ではないかと思う。河合氏もすでに亡くなっており、時代の移り変わりを感じる。

考えてみると70年代は精神分析のある種ブームの時期だったのではないかという気がする。「甘えの構造」と同じようなテーマとして河合氏の本では「母性社会日本の病理」という本がありこちらの方が直接的タイトルであるが同じようなことを両者言っていると思う。

「甘えの構造」では「甘え」という言葉は日本独特の言葉であり英語にはこれに対応する言葉がない。強いて言うと「Spoil」という言葉になるのだが、これは「甘やかしてダメにする」という否定的なニュアンスを含んでいる。

甘えというのは母性愛から来ているが、それが幼児の時だけでなく子供がかなり大きくなる時まで続く、というのが日本の特徴であり、精神分析の専門家から見るとその行き過ぎで精神的にやわなまま大人になった人が病気にかかることが少なくない、というのが趣旨である。

私自身にとっても反省材料であるのだが日本の社会、特に戦後から1990年代くらいまでは家事・育児はほとんど妻の仕事で夫が家事に参加することが少ないのが日本の特徴だった。これが「甘えの構造」を生んでいるという。

夫が家事に参加していなくても、自分の家で商売をやっているような家庭は父親の仕事ぶりを子供が見ているので、ある種の影響力が子供にある。しかし、サラリーマンの子供は父親がどんなことを会社でしているのかほとんど知らない。子供が知る大人は母親とそのつながりの人たち、というのがほとんどになる。これがある種の偏りの原因となることは容易に想像できる。

なんとなくではあるが、有名になるような人はサラリーマンの子供でないような人の割合が高いような気がする。 私の場合も会社を辞めて個人事業を始めてからは家族と私の働きぶりの距離感が近くなった。これは良い影響を生んでいると思う。

外国ではどうか。今私は出張で外国人と話すことが多いが、サラリーマンの子供は親の仕事ぶりを見ていない、という点では同じはずである。しかし、外国では「週末に家をあけると奥さんに叱られるので帰らないといけない」という人が非常に多い。つまり夫の家事参加が日本よりもはるかに強いのが普通であり、その分父親と子供が接触する機会が増えているのだと思う。

最近では経済的な事情から共稼ぎをせざるを得ない家庭も増えており、そのぶん夫の家事参加も増えている。20年後くらいには日本も変わってくるかと思うが、まだしばらくは母親の影響が圧倒的に強く子供に残る母性社会の状態が続くだろう

お茶くみ

2009-07-05 04:06:39 | 昔話
私が会社に入社したころは女子社員が10時と3時くらいに他の社員のためにお茶を入れるお茶くみをするのが普通だった。

私の入社した電機業界では高卒または短大卒のサポート役の女子社員がお茶くみをするのが普通だったが業種によっては大卒の女性でもお茶くみをしていたようである。テレビの女子アナが「お茶くみもしてます」と言っていたのを記憶している。

私の入社したころはそのお茶くみが廃止されていく頃だった。業界としては早い時期にお茶くみが廃止されたと思う。

女子社員がお茶を入れる代わりに職場の一角にお茶コーナーを設けてそこにお茶とかコーヒーとかを置く。飲みたくなったらそこで自分でお茶を入れる。 女子社員の仕事はお湯の補給と茶がらを捨てることになった。さらに数年たつとそれも当番制になった。

このお茶コーナーは好きな時にお茶が飲めるので私にとってはむしろ歓迎だった。そのお茶コーナーが雑談の場になり違う仕事をしている人と話をしたりしてアイデアが浮かぶときもあった。今、多くの会社が「喫煙ルーム」を設けていてたばこの煙が広がらないようにしているが、この喫煙ルームがやはり違う部門間の情報交換の場になっているようである。ちなみに私自身は1度や2度はたばこを吸ったことがあるが習慣的に喫煙したことはない。

当時のNECではこのお茶コーナーの資金は各自が出し合って当番の人が買い出すような仕組みになっていた。私が当番のときには色々な違った種類のお茶や紅茶、コーヒーなどを買いそろえたものである。

この経費は一人一月数百円くらいだが、それでも色々な意見の人がいる。自分はお茶を飲まないので払わない、というような人がいたり、自分は日本茶しか飲まないのでコーヒーは不要だという人がいたりする。

お茶コーナーのメンテナンスも女子社員が自主的にやっていた職場もあったし、当番制にして運営していたとこともあった。当番というが全員の当番にするか入社2-3年くらいまでの仕事にするかでも色々なポリシーがあった。

わずかな金額でも、当番の人は新入社員などの権限の少ない人が多く、先輩にごねられると困ってしまう。1年に1回くらいはこの種の話題で職場が盛り上がっていた。

職場によっては共同購入を廃止して個人が買って個人が飲むようにしていたところもある。私などはわずかな額なのだから交際費だと思って共同で運営すればよいのに、といつも思っていたしその種の意見を言っていた。メンテナンスもできるだけ当番制にしないで気のついた人が自主的にやるようにする。そうしたときに特定の人に負荷が偏って不満が出てしまうのは良くない職場だと思っていた。

お茶コーナーをどのような運営をしているかを見れば職場の雰囲気が分かるような気がしたものである

井山八段、囲碁名人戦に連続挑戦

2009-07-04 02:51:18 | 囲碁
囲碁の井山八段が昨年に続いて囲碁の名人戦挑戦者に決定した。

昨年は19歳の名人戦挑戦者、としてこのブログにも何度か書いたが3勝4敗で惜しくも名人奪取はならなかった。今年は20歳になって一層たくましさを身につけた感じがする。

囲碁の名人戦は九人のリーグ戦で挑戦者が決定される。普通は名人戦の挑戦者は7月末ごろ最終局が終わって決定するものなのだが、今期の井山八段はここまで全勝で一敗者がいないため早々と挑戦が決まったものである。

内容を見ても危なげない勝ち方である。他のメンバーと比べて頭一つ抜けている感じがする。現在、本因坊戦で挑戦者として戦っている高尾九段にもいつの間にか優勢になってそのまま押し切ったという勝ち方である。

井山八段の碁は細かいところに気配りが行き届いているうえで厚く構える、そして深い読みでじわじわ攻める本質的には攻めの碁だと思う。江戸時代の碁聖、本因坊秀策を思わせる。

迎え撃つ張栩(ちょう・う)名人(29)は今年の春に5冠を達成して波に乗っている。名人は台湾出身であるが日本人と変わらない感じを受ける。碁は、先に地を稼ぎ、しのぎに回るしのぎの碁である。やはり深い読みが特徴である。

二人の戦いは基本的に井山八段の攻め、名人のしのぎとなると思うが二人とも読みが深く考え方が柔軟であるので、一方的な攻めとしのぎで、取れるか取れないか、というような戦いではなく、地が多いのと厚みが多いのでどちらが優勢かプロでも判断が分かれるような状態が続き、後半でどちらかが抜け出すようなパタンになると思う。

この井山八段でも今年の春の世界戦では四勝三敗である。中堅どころには勝っているが世界戦で優勝するようなレベルの人には勝てていない。

世界はさらに上にある。昨年も書いたがぜひ世界のトップを目指してほしいと思う

日揮の世界における活躍

2009-07-02 03:43:33 | 経済
プラントエンジニアリング大手の日揮が世界、特に中近東、アフリカなどで事業を拡大しているという記事を読んだ。

日揮は大規模工場の設立などのプラント建設を請け負う会社で一つのプロジェクトが何年もかかるような大規模プロジェクトを受注する。私は日本人はこのような大規模システムの構築は苦手だと思っていたので、この分野で日本の会社が欧米の会社に競り勝って受注を獲得して事業を拡大していると聞くとうれしくなる。

日揮の強さは現場力にあるようである。何年もかかるような大規模プラントの建設を受注し、いろいろな会社に発注して日揮の人が現場に張り付いて現場監督を行う。期間中には経済変動、自然災害など様々な予測不能な事態が起こるがそれを現地の人たちと一体になって解決していく。その過程で発注側から信頼を獲得する。多少の困難があってもあきらめずに当初の目標を実現すべくやりぬく姿勢が欧米企業に比べてずば抜けているそうである。

「黒部の太陽」に出てくる黒部ダム建設のプロセスを思い出させる。

欧米の企業は仕組みを作るのがうまく、全体が回るような体制を構築して合理的なやり方でプロジェクトを回していく。このあたりの仕組みの作り方と、合理的進め方は欧米企業のほうがうまいような気がするが、予期せぬ事態で苦境に陥った時の粘りと頑張りは日揮の方が優れているのだろう。

最近は企業の買収などが盛んで、トップの判断力の重要性が経済全体で増してきている。日本の社会、文化はとびぬけたトップを育成するのに向いていないので、日本企業が徐々に地盤沈下を起こしているのだと思うが、このような日揮の在り方は日本人本来の良さ、強さをうまく引き出して事業につなげている感じがあり、日本の世界の中で存在感を示す手法を示しているように思う。

日揮のような日本人の強さは戦後の高度成長時代の強さそのものという感じがするが、社会の中で次第に失われてきているように思う。

文化が変わるには何十年もかかる。強さを失わないうちに、それを生かすような産業の育成を考えたいものである