ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

京大理学部について

2008-12-26 10:47:38 | 昔話
大学4回生の就職活動について書いたが、囲碁部のほうの依然としてかかわっていた。部長職は下の学年に譲っていたが個人戦などは関西代表として出ていたし、団体戦も選手として出ていた。

私よりも上の学年は1学年数人という状態が続いていたが、私の学年は最後まで10人を超える部員がいて層が厚かった。私より1年下もあまり強い人はいなかったが人数は多かった。私より2年下はまた強いのがいた。そういう意味では囲碁部は活発な時代だったと言えるだろう。

さてここで私から見た京都大学理学部というものを語ってみたい。落ちこぼれから見た京大理学部である。 京大理学部は入るのが難しく出るのが易しい大学の典型であると思う。卒業するだけなら実に簡単にできる。

私の感触では大学教授は大学院生からが本当の教育の対象で学部生は基本を身につけてくれればよい、と考えていたようである。科目の選択も物理が好きだから物理ばかり、というのではなく、出来るだけ幅広く勉強しなさいというような指導だった。 私から見ると、大学院に入って伸びる素材を求めていて、あまり伸びそうもない人は早く卒業させてしまおうというような考えだったように思う。

従って宿題のような課題が出ることはなく、まったくの放任主義である。当然勉強しない学生もたくさん出てくる。 しかし、京大理学部の良いところは勉強しない人でも何もせずに遊んでいるような人はほとんどおらず、何かテーマを求めてそれに打ち込む、といったタイプの人が殆どだったことである。音楽や美術に打ち込んでいた人もいたし、文学部に編入していったような人もいた。多分「大学に入ったら羽根をのばして遊ぼう」などと考えている人は元々ほとんどおらず、学者の道を目指しているのだが、途中から道がそれていったというタイプが多いのだろう。

もともと理学部に入る人は社会的功名にはあまり興味がなく自分のやりたいことをしたい、というタイプが多いのでそういうことになるのだろう。授業にほとんど出ないからと言って人間的価値が下がるとは感じられなかった。

京大理学部は放任主義であるので、その分自分の進む道は自分で決めなくてはならない。その意味では「個」が確立する人が多いと思う。京大全体が「個」を大切にしている感じがあって、学閥を作ったり、京大卒業生同士で何かするということはほとんどない。慶応や東大など関東の大学は組織化して閥を作る傾向が強いようだが、京大閥というのはほとんどない。一緒に飲みに行って昔話をするくらいである。

最近、指示待ち傾向の若者が多いと言われるが、私自身を振り返っても高校を卒業するまでは先生から言われることをこなしていればよかったというイメージがある。それが自分で考えて動かないといけないというように変わったのは大学の4年間であると思う。

京大理学部は専門知識を持つ人材を量産するマシーンとしては機能していないが味のある個人を生み出す上では貢献していると思う。やはり私の好きな大学である

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