今年も やっぱり見たくなりました!
「吉高の大桜」☆
北総鉄道「印旛日本医大」駅から ぶらぶら歩いて
例の 竹藪の道を通り・・
やがて 畑の向こうに
樹齢300年とも400年ともいわれるヤマザクラです
根回り 6.65m 樹高 11.7m 枝張り最大幅 24.5m
印西市指定天然記念物
今年は 満開を少し過ぎてしまい 茶色の若葉が目立ちます
うーん・・・ちょっぴりザンネン!
それでも
しっかりと枝を広げた力強い姿に
今年も 元気の‘気’をいっぱい貰いました~
途中の「松虫寺」の枝垂れ桜も 綺麗でしたよ☆
やっぱ サクラって いいね~~
散歩の途中に立ち寄った、住宅街の中にある児童公園。
八重桜が満開!
ぽってりと愛らしい ピンク色のくす玉みたい
この辺りの桜は もう終わりと思っていたので、何だか とてもトクした気分♪
歩くと、いいことがあるもんですね~
12,671歩
海岸通りに 今、「ハマダイコン(浜大根)」が花盛り☆
あのダイコンが野生化したものといわれますが、牧野博士によると
古い時代に渡来した薬用ダイコンが野生化したもので、食用のダイコン
ではないそうです。花色は、白っぽいものから薄紫のものまでいろいろ。
アブラナ科
ところで
時期を同じくして咲く、こちらは「ハナダイコン(花大根)」
別名: ショカツサイ(諸葛菜)・ムラサキハナナ(紫花菜)
これも アブラナ科の4弁花。 名前も酷似で紛らわしい・・
ハマダイコンの方が野性味があって、逞しさが感じられる?
厳密な違い ご存知の方 教えてくださいな!
またまた「吾妻山」へ☆
「役場口」から 山頂までは約700m
300段の石段を上り 更に坂道を上って
標高 136.2m の山頂へ
今日は 富士山はうっすらだけど・・
相模湾の青海原と 45,000株の菜の花&満開の桜 桜 桜
吾妻山の一番美しい季節です
13,248歩
公園前の桜並木
花吹雪です~
季節が駆け足で過ぎて行きます・・
公園も 少しずつお色直しして
もう 次の彩りが始まっています
「ポピーまつり」
4月12日~6月8日
10,271歩
左岸に戻って、大師橋を少し過ぎた川沿いに
「大谷政吉商店」
創業120年という 羽田名物の佃煮製造・販売の老舗。
ふっくらとやさしい薄味の佃煮で、我が家でも好評☆
「六郷水門」
嘗て 六郷領の田畑を潤した六郷用水の水門。
「昭和六年三月成」
1918(大正7)年~1933(昭和8)年に施工された河川改修工事の
一環として建設され、金森式鉄筋レンガが初めて使用されました。
現在は 殆どその役目を終え、多摩川のシンボル的な存在です。
川下の方をふり返ると・・河川敷で、思い思いの時間を楽しむ人達☆
行く手に「六郷橋」が見えてきました。
「穴守稲荷」駅~「六郷土手」駅まで、お花見しながら
20,162歩
「大師橋」を渡って、右岸(川崎側)へ。
渡り切った所に、旧橋の親柱が残されてあります。
旧大師橋は、1939(昭和14)年 都と川崎大師を結ぶ橋として
建設され、1997(平成9)年に新旧交代するまでの58年間
京浜工業地帯発展の一翼を担い、経済の進展に貢献しました。
その規模と優美な姿から、名橋として大変親しまれた橋でした。
川沿いにある「水神社」
江戸時代に村社として建立されたといわれます。
祭神: 天津罔象女神 (あまつみずはのめのかみ)
灌漑用水を守る神様だそうです。
堤の上をぶら~り散策☆
お花見している人もいますね~
「羽田の渡し」の標柱 ツクシンボいっぱい!
んー、気持ちいいナ~~
再び 橋を渡って、左岸(大田区側)の続きを歩いて行きます。
(続)
(前回の続き)
「海老取川」の遊歩道を ぶらぶらと歩いて行くと
左手に「弁天橋」
親柱が燈台の形をしてる~☆
橋を渡らず 道を横断して直進すると、広々と視界が開けます。
海老取川が注ぎ込む「多摩川」の河口に出てきました。
海に突き出すようにして、突端に小さな祠。
「多摩川五十間端水死横死之諸零位追善供養」の文字が見えます。
関東大震災の時などに、この川で亡くなった人々を供養する祠だそうです。
左手の先には「羽田空港」。
時折 磯の香りが漂う堤防の上を、川上に向かって歩いてみました。
堤防より数mは低い場所に、お社。
「玉川弁財天」
説明板によると;
ご神体は、830(天長10)年 弘法大師が護摩の灰を固めて自刻した
と伝わる 身の丈4寸5分の弁天様で、嘗ては 安芸の宮島・江ノ島と
並び「日本三弁天」の1つに挙げられていたといいます。
この神社も「穴守稲荷神社」と同様に、終戦直後にGHQの指令で
現 空港敷地内から強制退去を余儀なくされ、この地に遷座したとか。
先程の「弁天橋」の名の由来は、この神社だったんですね。
干潟で貝を獲っている人も。
羽田洲は、『羽田史誌』に「干潟広大にして諸貝を産し、
中でも蛤貝を名産とし 汐吹貝 赤貝多し」とあるように、古く
から多くの美味しい貝類が獲れることでよく知られています。
対岸は川崎市。
向こう岸には、綺麗な桜並木が続いているようですね~
中洲の小島は「ねずみ島」。 嘗ては川崎側と地続きだったそうですが、
川の改修工事の際、立ち退きの係争から取り残されて島になったとか。
桟橋が並び、釣り船が係留されています。
前方に見えるのは「羽田の水門」。
羽田沖の漁業は、平治年間(1159年)に7人の落人が羽田に住み
ついた時に始まると言われます。 此処で水揚げされた新鮮な
魚介は将軍家に献上されたほか、江戸の街へと運ばれました。
赤レンガの旧堤防が残っています。
高さ1mの鉄筋レンガ造りで、長さ約1km。
1918(大正7)年の河川改修工事で築かれ、1929(昭和4)年に完成。
水害から住民を、また空襲の時 川へ逃げた人を炎から守ったそうです。
「大師橋」
東京と川崎を結ぶ、多摩川でいちばん海に近い橋。 1997(平成9)年完成。
高速道路(首都高・横羽線)と交わるように、対岸へ伸びています。
橋の袂に「羽田の渡し」の碑
この橋の下流辺りに、古くから羽田漁師町と上殿町(川崎側)を
結ぶ「羽田の渡し」があり、小島六佐衛門という人が営んでいたので
「六佐衛門の渡し」とも呼ばれていました。 渡し場付近の川幅は
約80mで、「オーイ」と呼べば その声が聞こえたといいます。
船は20~30人乗りの大きなもので 住民や生活必需品を運んだほか
江戸末期には、穴守稲荷や川崎大師の参詣者にも利用されていました。
1939(昭和14)年 大師線の開通により、その役目を終えました。
では、橋を渡って川崎側(右岸)へ
桜を見に行ってみることにしましょう!
(続)
京急羽田線「穴守稲荷」駅の改札を出ると、目の前に
朱塗りの鳥居と、 綺麗なおべべでおめかしした狐「コンちゃん」の石像。
赤い鳥居を抜け、こじんまりと飲食店などが並ぶ駅前商店街を左へ。
少し先の角を右へ曲がり、草花の鉢などを並べ下町の雰囲気が
漂う民家が並ぶ道を行くと、まもなく 大きな朱塗りの鳥居。
「穴守稲荷神社」
祭神: 豊受姫命
江戸・文化文政の頃 新田開発の折、海が荒れて激しい波で度々堤防に
大穴があいて海水が浸入したため、堤の上に稲荷社を祀ったところ
以後 風浪の被害がなくなったといいます。 堤防の「穴」の被害から
村が守られたことから、「羽田の穴守さん」として信仰されてきました。
羽田の海岸で潮干狩りができたり 温泉が湧いたりして、 次第に訪れる
人が増え、1913(大正3)年には 門前まで電車の線路が伸びるに至って
都内随一の行楽地として、戦前までおおいに賑わったということです。
1945(昭和20)年 米軍による羽田空港拡張のため 強制退去を迫られ、
その後、地元有志の土地700坪の寄進を受けて1956(昭和31)年に
現在の社殿が再建されました。 人々の篤い信仰に支えられた神社には
今日も 参拝者が本当に次々と訪れ、お参りしていきます。
本殿右手から、奥之宮に続く千本鳥居。
奥之宮
奥之宮の「招福の砂」を持ち帰って撒くと、営業繁盛や
家内安全、病気平癒などのご神徳が授かるとか。
奉納された沢山の鳥居が 無造作に
積み上げられていて、独特の雰囲気・・・・
千本鳥居の横など境内の其処此処に、「出世稲荷」
「必勝稲荷」「狐塚社」など いろいろな名の小社があります。
何だか圧倒されてしまった気分になって、神社をあとに
近くの「海老取川」の方へ行ってみました。
その先が「羽田空港」の敷地。 飛行機がたくさんいます。
時々、飛び立って行く飛行機も よく見えます。
遊歩道は、満開の桜並木
川を隔てて 大きな鳥居が見えてきました。
空港拡張の際に多くの鳥居は取り壊されましたが、この大鳥居は
取り壊そうとした工事関係者らが相次いで病や事故に遭ったり、また
飛行機事故も続いたりしたことから 取り壊しが中止になったとか。
1999(平成11)年 元の場所から800m離れた現在地へ移動したそうです。
右手には、「多摩川」が 海へと注ぎ込んでいきます。