JR平塚駅から北へ10分ほど歩くと「平塚八幡宮」の
朱塗りの大鳥居が見えてきます。
仁徳天皇が国土安穏を祈願したのに始まる
1,600年の歴史を誇る由緒ある神社です。
祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰命。
神社裏の緑豊かな「八幡山公園」には
いろいろな施設があります。
「平和慰霊塔」は第二次大戦の戦没者慰霊塔
平塚には海軍火薬廠など軍施設や軍需工場が
あったので空襲の被害が大きかったそうです。
市内に唯一残る明治期の洋館
日本火薬製造(株)の建物で、海軍所属を経て戦後
横浜ゴム(株)に払い下げられたものとか。ここに
移築され現在修復中で、内部は公開されていません。
1968(昭和43)年まで御殿場線を走っていたD52
博物館には、江戸期の民家が復元展示されていたり
里山の歴史や相模湾の漁業に関する資料の展示なども。
プラネタリウムもありましたが、時間が無く・・残念!
気ままに歩いて17,967歩
いろいろ盛り沢山でおもしろい散策でした。
う~ん、今回も歴史的遺産を見せていただけましたね。
これも、入念な下調べがあったからこそと思いますが。
(御殿場線、一昨年路線をめぐってきました。
以前から路線名に惹かれていたので)
聞いていたので、いつか行ってみたいと思っていました。
八幡宮は知っていましたが、ほかは皆行き当たりばったりなんですよ。
地域の歴史や文化がこんなに集約されて見られるとは思わなかったので
とってもトクした気分になりました~
現在は私が担当した建物はなくなりました。何故か?ほッとしています(笑)
平塚八幡は知っています。参拝したこともありますが、その他は全く知りません。
”デゴニ”まで実物があるのですね!驚きです。Dは動輪の数を示します。
貴婦人と言われるC47も見たいところですね。大宮まで行かないと・・・。
へんなコメント ゴメンね
平塚と聞いてです・・・。
八幡宮は車のお祓いをしてくれることでも有名ですよね。
以前大井川鉄道でSLに乗りましたけど、それは何と日本にたった1輌しか
走っていないというC10型の機関車が引いていました。古びた洗面台、硬い座席、
煤けた窓、多分わざと薄暗くしてある車内、汽笛の響き、煤煙の匂いも
何だかとても懐かしかったです。Cは何を表しているのかしら?
ラジオも作りましたよ。鉱石ラジヲに始まってナミヨンからダルマ管5球スーパーヘテロダインまで造りました。部品を買って来て楽しかったですね。ラジオの組み立てはシャーシーは買って来て後は部品をはんだ付けです。
電波関係の進化は進駐軍の影響で物凄く早くダルマ管は直ぐにミニ・アチュア管に替わりました。そこで高校卒業して、何もかも卒業・・・。
卒業しなかったのは異性に対する興味かな?
若かったな~ァ~~
通学列車の中で学友と、それぞれのマドンナを追っかけたものです。(笑) 古きよき時代でしたね
英文でラブレターを出したのも懐かしい・・・。そのごは???
ラジオは兄がよく作っていて、真空管だのバリコンだのハンダだのを
買いに行かされたり、兄の傍で作業を眺めていたりしました。懐かしい!
osamuさんのマドンナはどんな女性だったのでしょうね。
いつかblogで紹介してください
過日、信州の大町市、市立図書館の横に機関車が展示されていました。
興味があったので写真を撮ってきました。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/04/cd46ad960d3b81e6f97b2b9f2bfe9d37.jpg
序に、説明文も写真に撮りました。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/29/7aed9a5c6820efe6b825767e90cec486.jpg
昔の蒸気機関車に出合うと、なんだか哀愁とロマンを感じますね。
バリコンなんて麗しき女性の言う言葉ではないですよ!
バリアブル・コンデンサーですね!今はもう昔の形はないと思いますが?12A,12F,6ZP1等 ダルマ管を思い出しました。
卒業 間際には42(ヨンニ)プッシュの高出力のアンプが出来かかっていましたね。スピーカーもそれまでのマグネットからダイナミックスピーカーを使って、後は後輩に託しました。どうなったのかナ~~???放課後 物理クラブ室で3~5人集まって遅くまで作ったものでした。
走っている姿が目の前に浮かんできます。
「鉄男」でなくても、いいなぁと思います。
ただの使い走りだったので「バリコン」という物だと思っていましたよ~(笑)