スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

追浜散策②

2009-11-24 | 横須賀・三浦


観音寺のある高台から街の中に下ってきました。

楽浦山 長立院 能永寺

市内では珍しい時宗のお寺です。 
1276(建治2)年に一遍上人が開基したと伝えられています。
ご本尊は阿弥陀如来。三浦地蔵尊第26番札所となっています。


1843(天保14)年築のご本堂前には 枝垂れ梅の古木と上人像。

中国の画工 陸信忠の作と伝わる「地蔵十王図」と
裏山の貝塚で出土した骨角器が市指定重要文化財とか。



少し先にあるだらだら坂を上って行きます。

医王山 正観(しょうかん)
    
「榎戸薬師」として知られる浄土宗のお寺です。
よく手入れされた境内にいろいろな植物が植えられている花の寺。

満開のノボタン(?)            おや、葵の御紋が
    

境内にある薬師堂には、智証大師(円珍)の作と伝わる薬師如来像と
江戸時代に逗子の神武寺から寄進された十二神将像が祀られています。

境内からは眼下に深浦湾が見渡せます。後北条氏の頃には、
出入りする船の見張り所がこの地にあったと伝えられています。




正観寺を出て、近くの浦郷公園の中を抜け
深浦湾に沿った遊歩道を歩いてみました。



嘗ては、先ほど訪ねた能永寺の門前辺りまで海が入り込み
「榎戸湊(えのきどみなと)」と呼ばれる海上交通の要衝だったとか。

鎌倉時代には 浦賀などと並び鎌倉の外港に数えられ、また
江戸時代になると 周辺や相模湾で捕れた魚介類を江戸の
魚河岸へ出荷する漁港として繁栄したそうですが
現在は、埋め立てられて昔日の面影はありません。





係留されているたくさんの船を眺めながら暫くのんびり歩いたあと
夏島方面へ続く車の往来の激しい道路へ出ると、追浜隧道手前の
左側に「西南役殉国者 官修墳墓 四十八基」とある石の道標。


階段を上がって行くと 山道のような道になり
右手のちょっと開けた場所に、ひっそりと
官修墓地



1877(明治13)年の西南の役で、有栖川宮熾仁親王を
総督とする政府軍に徴兵されて参戦した兵士のお墓です。

戦が終わって東京へ戻る船中でコレラが発生し、多くの
病死者が出ました。そのうち遺族不明の48名は火葬の後
黒崎海岸に埋葬されましたが、1913(大正2)年に其処が
海軍用地になったために 現在地に移されたそうです。
毎年5月 地元有志によって墓前祭が行われているとか。



更にその先の階段を上って行くと、急に視界が開けました☆

八景島シーパラダイスの三角屋根や左の方に横浜ランドマーク。
気持ちの良い尾根道からの眺望を楽しみながら やがて下界へ。


前半は寺社巡りでしたが 後半は海あり山あり、

18,065歩の追浜散歩でした

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4 コメント

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案内図以上に (kikyo)
2009-11-25 08:46:51
変化に富んだ見所の多いコースですね。
案内地図を片手に歩かれるのは、もうお手の物でしょう。
さらに、書いてないところまで匂いでわかるのでは?
そんな気がします。
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いえいえ・・ (夜猫子)
2009-11-25 16:02:13
初めての場所だったので、地図と首っ引きでした。
この地図は地元の観光ボランティアの人達が歩いて作られたものだそうで
分かりやすくて迷うことはなかったです。

いつもめくら滅法気ままに歩いているときは迷っても気になりませんけど、
地図があるとおかしなもので、「迷わないように」なんて考えるんですよね(笑)

此処以外にもいろいろな駅に置いてあるようなので、機会があればまた
違う場所も挑戦してみたいと思いまーす。
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便利な地図 (kikyo)
2009-11-26 08:56:04
夜猫子さんがおっしゃるように、地図といえば、先日主人がある駅で散歩コースの地図と見所の説明のあるパンフレットがあったからともらってきました。
 
今のところ、家から歩いていけるところを目標にしていますが、やがては近くの駅から歩くということもやってみたいと思います。

実際に歩いて作られた地図は、うれしいですね。
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新地開拓! (夜猫子)
2009-11-26 20:30:45
家の周りだけでも、季節やその日の天候によって様子が違ったりするので
飽きるということは全然ないですよね。
でも新しいルートはいろいろな発見があって、やはり楽しさが違います。

ご主人のご協力で、新地開拓ができそうですね。羨ましいワ!

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