伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

5年目の3・11

2016年03月12日 | エッセー

 5年が経った。ひとつの節目ではある。民放はニュースでの特集以外はいつも通りのおバカ番組を垂れ流していた。だから一日中、NHKの特番を見つづけた。なにができるか、なにをしているかではなく、ともかく忘れまいとの一心で見つづけた。
 直後の3月13日、「2度目の復興へ」と題し拙稿を呵した。末尾に、──すでにこれは国難である。ならば一国を挙げて対処せねばならぬ。このような未曾有の災厄に偶会するのもただならぬ因縁だ。日本の歴史、いな人類史的課題への挑戦と捉えたい。
 60数年前、わが国は全国規模の「空爆」の灰燼から立ち上がった。約10年で復興は成った。今度は、2度目の『戦』後復興ともいえる。幸い前回とは違い、国の大半は無傷だ。経験もある。心が没しない限り、再起はできる。どっこい、日本は沈んではいない。──と記した。
 いかにも甘かった。なぜ「国難」なのか。「復興」とはなにか。言葉が軽い。認識が浅い。読み返すに、忸怩たるものがある。

 11日、主要三紙は揃って社説に取り上げた。(──部分は要約)
 朝日は「震災から5年 心は一つ、じゃない世界で」とのタイトル。サブタイトルは3つ。
¶ 深まる「外」との分断
──「今年の漢字」にも選ばれた「絆」から、今「分断」を憂える声が聞こえる。住宅移転、巨大防潮堤、震災遺構、地元の意見は割れてきた。特に福島は線量による区割りで補償額が違い、家族や住民が切り刻まれている。放射能被害を克服しつつある福島の苦悩が外に伝わらず、風評も収まらない。「原発への否定を無頓着に福島への忌避に重ねる口調に落胆」する人も。──
¶ 「言葉」を探す高校生
¶ 伝わらないことから

 毎日は「大震災から5年 福島の現実 向き合い、そして前へ」と題し、小見出しが2つ。
¶ 被害の全体像なお不明
──放射能汚染の実態と、今も続く被害を正確に把握しなければならない。原発事故については、政府の事故調査・検証委員会のほか、国会や民間の事故調査委員会などが報告書をまとめた。だが、原子力災害による被害に焦点を当てた政府の総括的な調査や検証はいまだ不十分だ。福島大の小山良太教授は「原子力災害の政府報告書がないことは、事故の総括がまだされていないということだ」と指摘する。具体的には、避難状況や土壌などの汚染実態の把握、健康調査、農産物の検査結果などの現状分析、放射線対策への取り組みと、それに対する評価が必要だと説く。──
¶ 「福島白書」の作成を
 
 読売は「復興総仕上げへ 再生への歩みを確かなものに」との表題で、4つの副題。
¶ 将来見据えて事業の見直しを
¶ 住まいの再建にメド
¶ 人口減を食い止めよう
──テナント27店舗が並ぶ商業施設が誕生した地域がある。7億円近い整備費のうち、国の補助金が約7割を占める。現在、休日の午後でも、人通りはさほど多くない。復興の拠点としての役割を果たすには、地元住民だけでなく、観光客も足を運ぶエリアとして、にぎわいを創り出していくことが欠かせない。巨額の予算を投じて、高い防潮堤を設けても、その近くに住む人がいなければ、無駄になるだろう。安倍政権になって、国土強靱化の名の下に過剰な公共事業が息を吹き返した面は否めない。国費で整備された施設でも、維持管理は地元が担うケースが多い。その費用が財政を圧迫しかねない。──
¶ 福島支援に国を挙げて

 毎日には隔靴掻痒の感がある。「福島の現実 向き合い」どころか、われわれは国際社会に向かって「アンダーコントロール」「完全にブロック」と大嘘をついてオリンピックを招致した首相を抱えている。少なくとも世に真摯であろうとするなら、先ずはこの恥ずべき現実に向き合わねばならない。
 「復興総仕上げへ」とは、読売は相も変わらず脳天気だ。<企業誘致、観光客誘致、特産品開発>という地方振興三種の神器から発想が抜け出ていない(昨年11月の拙稿「“1%”が魅力!」を参照願いたい)。旧来のパラダイムを前提にしての効率論では去年の暦だ。
 3紙の中で出色だったのは朝日だ。ここだけが直截に内面へ問いかけた。分断は絆の反対概念だ。結合は善を招来するが、分断は悪を生む。しかも県の内外(ウチソト)の重層に亀裂が走る。5年が突き付けた一つになれない世界。共感を打ち砕く現実。タイトルも含意に富む。
 マスコミには発災前後を対比する数字が並ぶ。復旧のメルクマールではあろうが、復興のそれではあるまい。
 11年6月、政府が立ち上げた復興構想会議は「創造的復興」を理念に掲げた。論点にはいくつか興味深いものがあった。数例挙げてみると、
──“創造的復興”とは?
 旧結合の喪失/新結合の創造/思い切って大胆に新しいつながり、ネットワーク、地域社会再編を模索する時。
 まちの復興より「人」の復興/21世紀型の新しいまちづくり/真の「安全・安心」は高台移転だけでは担保できない。
 “未来”の震災に備える/「予防」減災/リスクの見える化
 社会の血液循環のクリエイティブ・デザイン──
 などであった。ラフではあっても「復興」にかなり太い線で輪郭を引いている。「旧結合の喪失」から発しているのは鮮やかだし、「予防」減災も納得がいく。社会の血液循環を創造するという視点も際立つ。特筆すべきは「震災からの復興と日本再生の同時進行」を原則にしたことだ。少子高齢化、人口減少社会、産業の空洞化、低成長社会などの日本全体が抱える問題群を乗り越えるモデルケースにしようとの理念である。極めて深い問題意識が裏打ちされていた。
 それが今、かつて来た道、公共工事の濫立に矮小化しているのではないか。5年の節目になすべきは、再度「復興」を問い直すことだ。遅くはない。1度立ち止まって原点を見つめ直す。振り返るに、「国難」とは「成長神話」の崩壊ではなかったか。経済成長がすべてを解決する。すでに崩れ始めいたその神話が、もう一つの神話「安全神話」とともに二つ乍ら瓦解したのが3・11である。国難とはパラダイムシフトなくしては存続できない事態のことだ。 
 資本主義の終焉を予告する水野和夫氏がいう「『より速く、より遠くへ、より合理的に』という近代資本主義を駆動させてきた理念」を逆回転させた『よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に』(集英社新書「資本主義の終焉と歴史の危機」から)を中核的価値に据えなければ乗り切れない時代である。「成長から成熟へ」をキーコンセプトに、マクロなスタンスから「復興」を問い直すべきだ。
 随分横柄な物言いになるが、ダウンサイジングを怖れるべきではない。拙速より巧遅がうんと賢い。大儲けより小商いでいい。遠くのお得意より近回りの顔が見える客だ。東北だけで経済が回れば御の字ではないか。そうやって、これからの日本にロールモデルとなる。態(ナリ)は縮んでも気宇は壮大。一番涙を流したところがやがて先頭を走り、一等多くの笑顔に包まれる。東北こそ、その資格ありだ。 □