伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『こんこ』

2016年03月09日 | エッセー

 季節外れとでもいえそうな雪をテレビが伝えていた。
 つい、
 〽雪やこんこん 霰やこんこん
 と口ずさんだら、傍らの荊妻が「常識のない人は困るね。雪や『こんこ』だよ」と宣った。
 確かにそうだ。

1 .雪やこんこ 霰やこんこ。
   降つては降つては ずんずん積る。
   山も野原も 綿帽子かぶり、
   枯木残らず 花が咲く。
2. 雪やこんこ 霰やこんこ。
   降つても降つても まだ降りやまぬ。
   犬は喜び 庭駈けまはり、
   猫は火燵で丸くなる。

 題名は『雪』。「日本の歌百選」のひとつ。明治44年に文部省が定めた「尋常小学唱歌」が初出という。作詞、作曲者ともに不詳。稿者に限らず、『こんこん』と歌う“常識のない人”は多いのではないか。長く保育畑にいたからこそ、山妻は『こんこ』を“常識”にできたにちがいない。なぜなら長く謦咳に接してはいるが、ほかの畑で『こんこん』たる常識をお持ちであるようにはとても見えないからだ。要するに、たまたま知っていただけだ。
 「こんこん」には2つある。形容動詞の『渾渾・混混・滾滾』。広辞苑に拠れば「水が盛んに流れて尽きないさま。また、物の入りまじるさま」をいう。一方、副詞の『こんこん』は「木を軽く連打する音、軽い咳、雪や霰が頻りに振るさま」をいう。“常識のない”『こんこん』は後者だ。ところが、そうではない。詞は『こんこ』なのだ。
 これにも2説ある。1つは、「来む来む」の転訛。雪よ、『降れ降れ』との願いだ。2つ目は、「来む此」。ここ(此)に降れとの謂だ。国語学者の大野晋氏は前者を採っていたそうだ。だとすれば副詞の「こんこん」と同意だが、歌詞はあくまでも『こんこ』だ。悔しいが、愚妻の常識に軍配があがる。しかし、癪だ。枕流漱石を試みた。
 調べてみると、なんと『こんこん』があった。
 『雪』に先立つこと、遙か10年。明治34年文部省認定の「幼稚園唱歌」20曲のうちに、
 東くめ作詞、瀧廉太郎作曲『雪やこんこん』
 と題する唱歌があったのだ。
 歌詞は、

 〽雪やこんこん、あられやこんこん。
   もっとふれふれ、とけずにつもれ。
   つもった雪で、だるまや燈籠。
   こしらへましょー、お姉様。〽

 である。曲はまるっきり違うが、歌詞は紛れもなく『こんこん』である。これで枕流漱石せずとも、石に枕し流れに漱げるというものだ。
 実は、さらに遡ること明治20年に選定した「幼稚園唱歌集」が文語が多くて幼児には不向きであった。そこで、口語による童謡の作詞を始めた東(ヒガシ)くめに白羽の矢が立てられたというわけだ。彼女は『お正月』をはじめ瀧廉太郎と組んで数々の名曲を遺し、口語体童謡の母と讃えられる。
 如上のごとく、『こんこ』よりも『こんこん』が先輩格である。だからどうだといわれても困るが、このことも“常識”に加えていただければ幸いである。
 来シーズンまでもう歌うことはないだろうが、今度は声高らかに『こんこ』でいこう。これこそ“常識”の“こんこん”ちきなのだから。 □