伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

スケーリング・クエスチョン

2012年11月08日 | エッセー

「痛みはいかがですか? 少しよくなりました? 一番痛かった時を0点として、全然痛くないのを10点としたら、きょうは何点でしょう?」
 4年前、入院していた時だ。看護師からこう聞かれた。おもしろい問いかけだなと感心しつつ、底意地の悪いボクは「んー、ルート2」と応じた。
 彼女は苦笑しつつ処置し、足早に出て行った。以後、同じ質問は二度と繰り返されなかった。ことさら邪慳にされはしなかったが、天使のような看護も受けはしなかった。ところが、最近読んだ雑誌で目が覚めた。
  “スケーリング・クエスチョン”というのだそうだ。
 臨床心理学のスキルで、「点数化」を意味する。問題の状況を客観視し、解決に焦点を合わせる技法である。たとえば、次のように使う。
「あなたが今どのくらい落ち込んでいるのかを、点数にしてもらえますか。今までに感じた最悪の状態を0点、最高の状態を10点として考えてください」
 と、問いかける。
 1、2点良かった時は、コンプリメントする(これも技の一つで、誉めて勇気づけること)。
 そして、それはどのような時だったか、例外探しをする(落ち込んでいないのはどんな時かを探り、解決の糸口をつかむ)。
 さらに1、2点改善したとしたら何が起きるか、などの質問を続ける(結果を予測することでモチベーションを上げる)。そのように解決に焦点を合わせた思考や具体的行動課題に誘導していく手法である。
 これだったのだ。件の看護師には大変無礼を働いたことになる。ゴメンなさい。(もう遅いか) 
 数字に具体化し、インタラクティヴにソリューションを探っていく。押し付けでないところがミソだ。教育、営業などさまざまな分野に応用されているようだ。
 この際だ。適用範囲をうんと広げて(最悪を0点、最高を10点として)、「人生の今は何点?」なんてのはいかがであろうか。この場合、√2 はなしとする。ありでもいいが、死ぬまでに計算が終わらない(どころか、死んでも終わらない)。
 わが家でも、わが町でも、日本の政治でも、世界経済でもよい。毎日のようにスケーリング・クエスチョンして、“コンマ0001”でも上向いたら我が世の春とばかりコンプリメントしまくる。ミクロ、いやナノ・レベルの「例外探し」をしつこく繰り返し、結果予測はLEDなどは夢のまた夢、せめて蛍の尻程度の光度なら大満足とする。あとは行動あるのみ。……てなことでもしないと、お先は真っ暗だべ。 □