今年6月の本ブログ「清流」に、こう綴った。
古い言葉に光を当てて、人びとは歩み始めている。
絆
それは糸を分かつのではなく、断ちがたいと訓む。その最初の結び目は家族だ。「あなたの家族」だ。断ちがたいその一員であったことを、彼はただ誇りたい。
80年のことだ。“My family my family!”と聴衆に向かい、彼は憑かれたように叫んだ。別ち難き糸。それこそ、「あなた」だ。父という名のあなただ。
拓郎の新譜を評する件(クダリ)である。「絆(キズナ)」の字源を辿ると、「絆(ホダ)し」に行き当たる。旁は生け贄のため両断された牛、偏の糸が双方を緊縛する。つまり手枷、足枷だ。だから、そう明るい出自ではない。
先人の明察であろうか。ここにきて、この言葉の隠された出自が露になりつつある。ここにきてとは、3.11以降ここにきて、との謂だ。
「絆ストレス」
書肆の平台から、書名が目に飛び込んできた。相反する言葉の併置が意外だったのだ。精神科医・香山リカ氏の近著である(青春新書、先月刊)。
詳しくは同書に当たってもらうとして、被災地では非常時の連帯心理である「吊り橋効果」が強烈に働く。さらに「ストックホルム症候群」という犯人にさえ共感する人質の特異な心理状態が惹起され、非日常的な信頼関係が生まれていく。そのような心情の総和として「絆」が掲げられた。
ところが、被災地では絆がストレスになっているという。人間同士の距離感が突如として激変した。賞讃される「絆」が、個々の事情を等し並みに跨いで重圧に転ずる。言いたいことが言えない。自分をごまかして忍従するストレスより、ストレスのない孤立を選ぶ被災者がつづく。
驚くのは、被災者以外にも「共感疲労」と呼ばれる病症があることだ。(◇部分は同書から引用、以下同様)
◇被災地に思いを寄せ、同情、共感しすぎるために、知らないあいだに心のエネルギーを使い尽くして起きる「共感疲労」と呼ばれる心身のすり減り状態。それがさらにひどくなった「燃え尽き(バーン・アウト)状態」に近い人もいた。これもある意味で、強く絆を感じている人々を襲う、「絆ストレス」である。◇
だから筆者は呼びかける。
◇大震災と原発事故は、その後の社会を生きる人たちの心を大きく揺さぶり、新たなストレスを経験する、という二次的被害をもたらしている。いまこそ、私たちは「これまでとは違う新しいしなやかな生き方」への転換を求められているといってもよいだろう。◇
大震災が顕在化し増幅したとはいえ、以前から伏流していた難題である。たとえば、「墓守娘」という言葉がある。
◇信田さよ子氏は、カウンセリングの経験から「母に苦しめられ続ける娘」の多さに驚き、彼女たちに「墓守娘」というネーミングを与えた。娘といっても、その人たちは40代、50代だ。その母親たちは、わが娘の進学、就職、結婚、自分の介護から死後の問題まで、人生の節目節目で口出しする。殺し文句は、「あなたのためを思って言っているのよ」「私以上にあなたのことを知っている人はいない」だ。◇
試行と熟慮の果てに娘は母親を介護施設に入所させ、終の住処とする。すると今度は、「母を捨てた、裏切ってしまった」という罪悪感に苛まれることになる。ストレスの連鎖だ。
◇地域や親戚の“濃いつき合い”は、それ自体大きなストレスになることがある。実際に昔も今も、いまだに強い結びつきが残る地域に住む人が、祭りや盆踊りなどでの役割分担が負担となったり、あらぬうわさを流されたりしてうつ病になることは決して少なくない。◇
宜なる哉だが、次の言及は興味深い。
◇統合失調症に関しては、80年代以降、その軽症化、さらには発症数の減少がさかんに報告されている。人間関係の希薄化が私たちにとってストレスになるのなら、この逆の現象が起きてもおかしくはないのに、現実はそうではないのだ。ある論文では、軽症化の原因を「都市型の生活で人とのつき合いが減ったことが、素因を有した人にとってはその発症を防ぐ効果をもたらしているのではないか」と分析されていた。◇
怪我の功名ともいえるが、どこか寂しくもある。
◇絆がなくて悲しい。逆に絆が強すぎて苦しくて、悲しい。あってもなくても、私たちを苦しめる絆。だとすると、いちばんよいのは「ほどほどの絆」ということになる。◇
さて、どうするか。次の紹介は極めて示唆的だ。
◇経済学者の松原隆一郎氏や文学者の内田樹氏は、奇しくも「ゆるやかな絆」の可能性のひとつとして、自分が所属していたり主宰したりしている武道の道場をあげている。たしかに、そういった道場では、お互いが社会的地位だとか年齢だとかにはあまり関係なく、仲間意識を持ち合い、困ったときには“武士の情け”で手を貸してくれそうだ。とはいえ、すべての人が武道を習いに出かけるわけにもいかない。では、ほかにどういう可能性があるだろうか。となると、いまのところ、信用できるのはとりあえず、「顔が見え、一応の素性もわかる関係」ということになるのか。繰り返すようだが、それは松原氏らの言う「武道の道場」以外にあるとしたら、いったいどこになるのだろう、というのがこれからの日本の社会の大きな問題になりそうだ。◇
当の内田氏はこう語っている。
「僕はね、去年(11年)の11月に道場つくったでしょ。ただ武道の稽古が存分にできる場所が欲しかっただけなんだけど、震災から8カ月で何が変わったかっていうと、そこを『アジール』にできないかなって思ったこと。『逃れの町』みたいなものを作ってね。震災が起きたときに避難所になるような場所。道場の設計のときにもそれは考えてたの。75畳あるから、100人ぐらいは入れるでしょ。あと、ここに、若い世代の人たちが次々に来て、出たり入ったりするような学びの場として確保しようと。」(「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」ロッキング・オン刊)
「武道の」である以上、価値観は共有される。当然絆も生まれるが、それは副次的なものだ。「ゆるやか」であり、「困ったときには」働く程度だ。「道場」では武道以外の位階秩序は意味をなさないし、道場以外のストレスのアジール、さらには物理的場としてのアジールともなり得る。ただ、香山氏が言う「すべての人が武道を習いに出かけるわけにもいかない」という壁をどう越えるか。「すべての人が」「習い」を要するテーマは、果たしてあるのか。……熟考を要する。
◇「講」の時代、「村八分」の時代から、「絆ゼロ」の時代へ。わずか数十年で起きたその変化のスピードに、私たちは本当の意味でついて行けずにいたのだ。
その純粋さ、誠実さばかりに目がいって、「絆? うん、いいものだよね。これぞ人間の美しさの象徴だ」とそこで思考停止になってしまうからこそ、これまで私たちは過剰でも不足でもない「ほどよい絆」を結ぶことができないまま、極端から極端を行ったり来たりしてきたのではないだろうか。◇
と、著者は語りかける。“My family my family!”は「『絆ゼロ』の時代」への熾烈な問いかけであり、「絆ストレス」は「思考停止」の報いであろうか。
古諺に「薪を抱きて火を救う」という。絆と絆し。表と裏、いや裏と表か。難題への挑戦だ。 □