伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

男国会どこへ行く

2012年11月26日 | エッセー


 「CM天気図」は、天野祐吉氏の筆による朝日の名物コラムだ。先週の水曜日には『党名診断』と題する作品が載っていた。以下、引用(◇部分)。

◇①志士気取り型。言わずと知れた「日本維新の会」。国を憂える悲壮感や使命感が売り。決起の意気込みが党名にモロに出ている。勢いはいいが、男の「生きざま」なんて言葉が出てきそうなところが、ぼくは苦手。
 ②消費者は王様型。「国民の生活が第一」や「国民新党」など、「国民」がいちばんエライんだと.いう主張が前面に。昔「消費者は王様」という広告があったが、消費者は結局「裸の王様」だった例もあるから油断は禁物。
 ③お友だち気分型。「みんなの党」とか「みどりの風」とか。「国民」を「みんな」、「自然」を「みどり」と言ったところに、工夫の跡が。ただし、しゃれた分だけインパクトは弱い。
 ④新製品強調型。「新党大地・真民主」「新党日本」「新党改革」など。新党が一つならいいが、こうも並ぶと新しさの安売りみたいに見えてしまう。で、違いはあまりわからないという結果に。
 ⑤ヤケッパチ型。「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」。わけのわからない党名たちへの批評にはなっているかも。◇

 ①はえらい勘違いだ。本物の維新は中央集権国家の樹立が眼目であった。ところが、こちらの維新は地方分権が旗印だ。中身はまったく逆ではないか。だから売りの「国を憂える悲壮感や使命感」、「決起の意気込み」だけで名を借りたことになる。木に竹を接いだ似て非なるもの、『似非維新』ではないか。本物の志士たちに失礼であろう。草葉の陰から憤怒の呻きが聞こえてきそうだ。
 なんだか庇を貸して母屋を取られる展開だが、庇を借りた元知事は「太陽の党」と名乗った。『たいようのとう』と聞けば、われわれ団塊の世代にとっては「太陽の塔」以外ない。こちらも品の悪い駄洒落といえる。本物の『たいようのとう』は、千里万博公園で苦虫を噛み潰しているにちがいない。
 蛇足ながら、元知事がかつて「青嵐会」なる政治集団を自民党内に立ち上げた時、三島由紀夫は次のように諭した。
「昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙って耐えました。何ものかに属する、とはそういうことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ない一点にしかありません。」(石原慎太郎氏への公開状)
 三島の美意識とは雲泥の懸隔を持しながら、傘寿を越えてなお美しくはない道行のようだ。
 ②での天野氏の指摘は鋭い。かつての「ほめ殺し」が蘇ってくる。加うるに、語感が古くはないか。それをリファインしたのが③か。天野氏の分析はさすがだ。しかし、「みどり」も相当に古い。苔むしつつある。
 ④は万一大望を遂げて(失礼!)長命を得ても、なお「新」を戴くのであろうか。それとも、短命を承知の上での名乗りなのであろうか。おそらく後者だろう。
 ⑤は単にスローガンを並べているだけだ。「わけのわからない党名たちへの批評」かもしれぬという天野氏の懐は深いが、筆者には思考停止にしか見えない。「そんなものはどうでもいいだろう」というこだわりのなさが薄気味悪くもある。

 前回の総選挙が行われた09年8月、ゴミ屋敷の住人を描いた新作『巡礼』の発表に際して橋本治氏が朝日新聞のインタビューに応えた。
──さらに総選挙については、「政権交代してもうまく行くわけがない」とみる。「次に選挙をしたら逆の交代が起きるかも知れないし、与党がバラバラになって小党の乱立状態になるかもしれない。政権交代すれば何とかなるという考え方自体が自民党的なんです。抜本的に変えるなら、新しいシステムを構築するために自分がどう動くか考えないといけないけど、その考えを持てる人はどれだけいるだろうか」──
 政権交代しても不首尾、次は逆の交代、与党分裂、小党の乱立。なんともそのものズバリだ。炯眼に恐れ入る。恐れ入りついでに、橋本氏にあやかって一句。

   止めてくれるなおっかさん 
      胸のバッジが泣いている 
         男国会どこへ行く

 お粗末。 □