伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

縄文か弥生か?

2012年11月07日 | エッセー

「〇〇さんですよね。老けられてるんで分かりませんでした」
 先日、喫茶店でのこと。六つかそこいら年下の、かつて同じ町内に住んでいた後輩に声をかけられた(そいつだって相当馬齢を重ねて、くたびれた顔をしているのに)。世が世なら蹴りの一発でも見舞うところだが、体力勝負は4年前に沙汰止みにしたので苦汁の微笑を返しておいた。
 んったく、失礼な。還暦も越えて、老けるもなんもないだろう。なことは当たり前田のクラッカー(古い!)、老けないのがおかしいんだ。老けなかったら、お化けだ。差し当たり日本では、吉永小百合がひとりだけいるけど。
 小百合といえば、彼女の顔は典型的な「縄文顔」なのだそうだ。凹凸があって立体的、眉が太く二重瞼で唇が厚い。夏目漱石もそうらしい。文字通り縄文時代1万年の主人公であり、原日本人ともいえる。インドネシア、フィリピンなどに繋がる南方アジア系民族である(と、通途には聞く)。
 片や「弥生顔」というと、凹凸が少なく平坦で、眉は細く瞼は一重、唇は薄い。シベリアからモンゴルを発地とする北方アジア系だ。坂本龍馬と沢 穂希がその代表らしい。この北方系が2300年前に、米を携えて大挙九州北部へ乗り込んで来た。弥生時代の幕開けだ。この渡来民がまたたく間に日本列島を席巻した。ために、縄文人としてはアイヌだけが残った。
 現代日本人はほとんどが両系統の混血。そのうち北方弥生系が7、8割、南方縄文系が2、3割だそうだ。小百合型は少なく、穂希型が大多数というわけだ。
 福岡伸一氏の「できそこないの男たち」(光文社新書)によると、遺伝的にもそういえる。

◇O3型(アジアに展開した男性のY染色体O型のうち、朝鮮半島に極めて高い頻度で分布するO2b型によく似た型・引用者註)に分類されるY染色体は、漢民族、チベット、満州、モンゴル、朝鮮半島などに多く見られる。特に漢民族では3分の1を占める。
 日本におけるO3型は、10数%から20%の率で全般に見られる。しかしアイヌの中にはO2b、O3ともにO系のY染色体は全く見出されていない。
 O2b型が分岐したのは3300年前、移動を開始したのが2800年前頃と推定されている。O2b型の人々こそが弥生時代、稲作と金属器を持って日本列島に人ってきた渡来系弥生人であると考えられている。◇(上掲書から、以下同様)

 しかし「アイヌの中には・・・O系のY染色体は全く見出されていない」となると、前述の縄文人が「インドネシア、フィリピンなどに繋がる南方アジア系民族である」とする説明と食い違ってくる。だから「(と、通途には聞く)」と書いた。さらに福岡氏の論究を引く。

◇大まかにいってC3型が旧石器人、D2型が縄文人、O2b型が弥生人、O3型が大陸人といえる。そして各地域で頻度の差がある。アイヌにはD2型が、八重山諸島にはO2b型が多い。東京はすべての型の混成だ。意外なことにアイヌの中にも多型性が混在している。日本列島こそが“人種”のるつぼなのだ。◇

 日本列島がるつぼなのは解ったが、頭の中もるつぼになりそうだ。やれ、やれ。
 意地悪くいうと、日本列島に上陸し、ネイティヴ日本人であるアイヌを北海道に押し込めたのが現日本人の祖先だったことになる。だとすると、ボクたちは侵略者の末裔か? アメリカと同じだ! ……んな、バカな話はない。ないが、“民族主義”のばかばかしさも同じくらいバカな話になるのではないか。たかが2千数百年のあわいで起こった出来事だ。ピュアな日本人は、一体どこにいる? 第一、どう定義するんだろう。
 今や本邦のハーフもどんどん増えている(ニューハーフではない! こちらも増えてはいるが)。少子化とグローバリゼーションを勘定に入れると、数世紀で日本人の顔も今とは大きく変わるだろう。親戚に外国人がいるのが普通になる。そうなりゃ、縄文顔も弥生顔もへったくれもない。
 老けたから顔が分からない、だと……。笑わせるない! そのうち日本人だかなんだか、顔じゃ見境が付かなくなるんだから。 □