伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

長生きは『事故』か?

2007年07月30日 | エッセー
 まずは以下のコラムをご一読願いたい。

【年金 ―― 保険は支えあい、長生きほど得】  
◆老後の年金は原則65歳から(生年月日によっては60代前半)。遺族や障害の年金も条件を満たさないともらえない。「父が払い続けた保険料は何だったのか」。横浜市の女性(39)は訴える。父は96年、56歳10カ月で亡くなった。厚生年金は当時60歳から。母は亡く、女性ら子どもは成人しており、遺族年金も出なかった。「貯金していればかなりの額になったはず。国に寄付しただけなんて」「妻が受給直前に死に、保険料がムダに。ぼったくりだ」「夫が50代で亡くなり遺族年金も出なかった。保険料を返して」。同様の投書が多く寄せられた。
◆自動車保険が事故をカバーするように、収入が減りがちな老後という「事故」に備えて現役時に保険料を納め、当事者になった人だけが現金をもらえる。その点が貯金とは全く違う。制度上「老後は65歳から」と決まっている。死ぬまで受け取れるから長生きするほど得だ。一方、65歳を前に亡くなると「事故」に当たらないので、もらえない。保険料は「掛け捨て」になる。しかし、年金は老後だけでなく、遺族になったり、障害を負ったりした人に現金を給付する「遺族・障害保険」でもある。保険料を納めることで、万が一の備えという安心感も得られ、「払い損」ではない。 ―― これが政府の理屈だ。ただ、国民には伝わっているのだろうか。遺族や障害の条件も、当事者になる前から知っている人は少ない。この仕組みでいいのか考えるためにも、制度を伝える努力は欠かせない。(07年7月25日付朝日新聞から)

 自動車保険の譬えは非常に分かりやすいが、反面辛辣だ。『まかり間違って』長生きした場合に備えるのが年金である。つまりは、65歳以上の長生きは『事故』になるのだ。制度上、そうなる。最新の調査によると、男性の平均寿命が79歳、女性が86歳。『事故』は確実に起こる。そこいら中で頻発する。
 さらに、「支えあい」の仕組みについて。年金制度には、積立と賦課の二つの方式がある。日本は賦課方式を基本とする。積立方式は、自分が積み立てて自分が受け取る。賦課方式とは、現役世代から保険料を徴収して、高齢者に年金を支払うという仕組みである。世代間の仕送りともいえる。支払う者と受け取る者がちがう。問題は、人口の構成だ。当初は人口が三角形のピラミッド型であった。これならうまくいく。ところが、見込み違いがおこった。少子化と高齢化が同時に進んだのだ。このままいけば、逆三角形になる。マッチョ・マンならお似合いだが、お国の場合はそうはいかない。現役世代が押し潰されてしまう。
 さて、どうするか。議論は囂(カマビス)しい。政府は今のシステムのままで、保険料と年金をギリギリまで絞った。100年安心だという。さて、どうか。生臭い話はしない。ただ確実にいえることは、永久に高齢化が進むわけではないということだ。あと30年もすれば天井を打つ。青天井ではない。『事故』は確実に減っていく。そこまでの辛抱だ。
                                      前述のコラムに戻ろう。
 老後という「事故」 ―― 長生きが『事故』になる「転倒」はなぜ起こるのか。「制度上、そうなる」と前述した。「制度」とはなにか。すなわち、人為である。人為の対極には「自然」がある。この制度は相手が悪い。寿命は人間にとって究極の自然である。どんな名医だって、自分の命日は判らない。寿命はいかんともしがたい。余談だが、わざわざ自然に抗(アラガ)って自分で勝手に命日を決める手合いがいる。日本では9年連続、年間3万人以上の自殺者が出た。しかし組み敷いたつもりでも、自然には太刀打ちできない。勝利宣言ができない以上、彼らは『討ち死に』である。なんのことはない。自然に絡め取られただけだ。
 ともあれ、養老孟司氏の受け売りをすると、「こうすれば、こうなる。ああすれば、ああなる」が脳化社会である。当然、社会のシステムも脳化社会の申し子である。そのシステムが自然を対象とする時、往々にして齟齬が生じる。なぜなら自然とは、脳のコントロールが効かない世界である。脳化不能の領域だ。「こうしても、こうならない。ああしても、ああならない」。予測も、制御も儘ならない領分なのだ。
 養老氏の紹介するエピソードにこういうのがある。ある時、医学部の解剖実習で学生がこう言った。「先生、このライヘ、間違ってます! 教科書とちがいます」と。「ライヘ」とはその道の隠語で、解剖の献体のことをいう。教科書は脳化の産物。ライヘは自然そのもの。しかもそれぞれに個性をもつ。同じ顔が二つとこの世にないように、違っていて当たり前なのだ。この倒立も例の『事故』に似ている。脳化社会と自然とのズレだ。大地に刻まれた活断層のように、時として地震を生ずる。その一現象ではないか。
 年金のシステムは自然に対する人為である。脳化社会と自然とのせめぎ合いだ。御し難い暴れ馬が相手なのだ。この前提を忘れると、ものごとが逆さまになる。□


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆