伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

51番目の!?

2007年07月01日 | エッセー
 大掴みの話をしたい。ディテールも大事だが、木を見て森を見ない愚に陥ってはなるまい。小数点以下は丸め、かつ四捨五入して括ると、存外に物事があきらかになろうというものだ。

 アメリカは「権力政治」の権化である。権力政治とは、すなわち御身大事ということだ。自国の利害がファースト・プライオリティーである。アメリカに限ったことではない。国際社会の常態である。覇権は断じて放さない。そのため、敵味方を峻別する。敵の敵は、すなわち味方となる。だからスタンダードは臆面もなくダブルとなる。イランとインドでは核開発に対するスタンスがまるで違う。出る杭は打つ。御為ごかしも衒いなく為す。しかし行動を貫くものはユニラテラリズムである。
 ところがである。血は水よりも濃い、であろうか。時として肇国伝来の血が滾ることがある。メイ・フラワー号に乗ったピルグリム・ファーザーズのロマンチシズムに先祖返りすることがある。「日本国憲法」はその一典型だ。
 焦土と化したアジアの一角に、アメリカは自らの理想を託した。白眉は、言わずと知れた第9条である。 ―― 戦争の放棄、軍備・交戦権の否認。優に数世紀を先取りした歴史の華であった。「あった」と過去形で語るには理由(ワケ)がある。

 敗戦5年にして、朝鮮戦争が起こる(50年6月)。不幸にして、アメリカのロマンは微塵に砕ける。日本再軍備に舵を切る。同年8月、「警察予備隊」が発足する。治安維持の「警察」権であれば、9条に抵触しない。表向き、ここまでは問題ない。
 52年10月、警察予備隊は「保安隊」へと発展する。そろそろ怪しい。当初、政府には国家としての自衛権を認める異見と、自衛権自体を認めない意見の両論があった。しかし、自衛権の「行使」は戦争に変わりはなく違憲としていた。それを変える。一変させる。 ―― 自衛のための武力行使は憲法上禁止されていない。また、戦力については、「戦力に至らない程度の実力」は違憲ではないとし、警察予備隊および保安隊は、警察力であって戦力ではないから合憲とした。このあたりから迷走が始まる。「戦力に至らない程度の実力」とは狐につままれたような話だ。
 51年9月、日本は独立を回復する。対日講和条約(サンフランシスコ条約)を48カ国と結ぶ。同時に、アメリカとは日米安全保障条約を締結。アメリカの軍門に委ねることを代償に手にした独立であった。
 米軍の駐留は、戦力不保持の9条に反するのではないか、との疑念がある。これに対し、安保条約は ―― 日本が独自に自衛権を行使する手段をもっていない間の措置として、アメリカ軍は日本の自衛権行使の手段だ、という。これが、米軍駐留の根拠であった。稀代の詭弁である。ならば、今や日本は一国に二つもの自衛権行使の手段をもつことになる。贅沢を通り越して戯画に等しい。
 さらに安保条約前文には、対日講和条約および国連憲章にもとづき日本が個別的および集団的自衛権をもつことが記されている。56年も前、アメリカは覇権国家としての「布石」をキチンと打っている。総毛立つ手際のよさだ。
 
 さて、話頭を冷戦後に転じよう。
 国際政治に対するアメリカのスタンスは「バランス・オブ・パワー」である。ここが急所だ。バランス・オブ・パワー(勢力均衡)は欧州で生まれた。権力政治に特有な思考である。「出る杭は打つ」である。勢力に不均衡が生ずることを徹底して嫌う。一国の突出を許さない。杭が出そうになると、寄って集(タカ)って叩く。ナポレオン戦争はその典型である。
 冷戦後のアメリカにとって、脅威は中国である。ソ連はもはやない。後身のロシアは戦略的パートナーといってよい。EUは価値観を共有する。ライバルとはなっても脅威ではない。「ならず者国家」もいて、手は焼くが覇権を争う脅威ではない。やはり、中国だ。
 200年10月、「アメリカと日本 ―― 成熟したパートナーシップにむけて」と題する報告書が発表された。アメリカ国務省副長官アーミテージの作になる。ブッシュ政権が執る対日政策の基本だ。「アーミテージ報告」の要点は以下の通りだ。
① アジアは米国の繁栄にとって死活的に重要である。
② そのアジアは紛争の可能性が高い。
③ 経済大国であり有力な軍事力を持つ日本はアメリカのアジアにおける要である。
④ しかし、冷戦後アメリカの日本への関心が薄れていた。 
⑤ 安全保障の分野で、今また新しい日米関係を築かねばならない。
⑥ 日本が集団的自衛権の行使に踏み込むことが日米軍事同盟強化のカギである。
 さらに、2001年5・6月、「アメリカとアジア」、「日本とBMD(弾道ミサイル防衛)」と題する二つの報告書が発表された。アメリカのシンクタンク、ランド研究所(RAND)が発表したものだ。RANDは国防関連のシンクタンクで米政府に大きな影響力をもつ。というより、一体とみていい。
 要約すると以下のようになる。
① 中国脅威論 ―― アジアの不安定要素は朝鮮半島ではなく、地域覇権国家となった中国こそ脅威である。
② 対中国軍事包囲網の形成 ―― 周辺国家との軍事同盟を強化し、中国を封じ込める。
③ 対中戦争の原因は台湾 ―― 台湾独立への動きが米中軍事対決のトリガーとなる。
 アメリカのアジア軍事戦略はこの二つの報告書に尽きる。 ―― 日本を軍事的パートナーとして中国と対峙する。自衛隊と呼ぼうが、自衛軍と名乗ろうが、一朝事あらばともに戦う。ストラテジーは明白である。特に、「アーミテージ報告」の⑥に注目していただきたい。56年前の「布石」をいま活かせ、といっているのだ。

 ここで3点、明確にしておきたい。1点目は、「自衛権」について。20世紀初頭、第一次世界大戦の総括がハーグで行われた。はじめて世界は「難敵」と向き合う。つまり戦争だ。武器の発達により戦争が一変する。総力戦であり、大量破壊、大量殺人の悲劇に直面した世界は戦争回避へ第一歩を印す。その合意は ―― 侵略・攻撃の戦争は許せない。しかし自衛のための戦争は致し方ない。すなわち国家は自衛権をもつ。ここに初めて公式に自衛権が登場した。
 自衛権とは、他国から不法な武力攻撃を受けた時、それを排除するために反撃する権利である。しかし条件がある。①侵害が急迫不正である場合 ②侵害を排除する外の手段がない場合 ③実力の行使は必要最小限度であること、である。国家の自衛権行使の三要件といわれる。
 さらに後の国際連合は「難敵」に対し厳しく臨む。憲章で、あらゆる武力行使を違法とする。違法行為があった場合には安保理が集団的措置を執る。国際社会の警察権たらんとした。集団安全保障体制である。ただ、速やかに安保理が有効な集団的措置を執れないこともある。その場合に限り、自衛権を認めた。固有の自然権としてではない。一定の条件下でのみ認められた権利なのだ。ここが重要だ。自衛権とはすなわち歴史の産物なのだ。ハーグでは固有の権利としたものが、憲章では条件付きの権利となった。人類史の格段の進歩である。
 よく自衛権を個人の正当防衛・緊急避難と同列に論じる向きがある。この論議には落とし穴がある。つまり国内では警察権・司法権が確立されていて、犯罪者は罰せられる。公的な暴力装置がある。したがって個人の実力行使、暴力の行使が認められるのは極めて限定された状況でのみだ。あくまでも例外である。国際社会では、国連憲章で集団安全保障体制が謳われるまで、国家の上に立つ警察権はなかった。だから自衛権は国家にとって唯一の手段とされたのだ。もっとも集団安全保障体制はいまだ機能してはいないが、憲章の理念が実現すると国家の自衛権も例外でしかなくなる。
 2点目は、「集団的自衛権」について。国家固有の権利として国連憲章に書き込まれたこの権利はアメリカの無理強いであったこと。アメリカが憲章違反を問われることなく軍事行動をとるための抜け道であった。「力による平和」はアメリカの国是である。自らの手足に枷を嵌める愚は避ける。
 集団的自衛権そのものの説明は不要であろう。問題はこの言葉が形容矛盾であることだ。「自衛」とはいうものの、本質は「他衛」であることだ。『集団的他衛権』を『自衛権』と言い換えたところに狡智がある。この権利は決して固有の自然権などではない。アメリカの専横による国連の鬼子である。鬼子に振り回されるのは、いかにも美しくない。
 3点目に、国連への協力について。憲章第2条には、国連がとる集団的措置には積極的に協力することが謳われている。これを金科玉条とする手合いがいる。しかしである。
 憲章は、安保理は軍事行動をとる事態に備えるため、あらかじめ加盟国と協定を結ぶこと。その協定では加盟国が安保理に提供する兵力などに関して定めること。安保理の軍事行動に助言と援助を与えるために、安保理常任理事国の参謀長などで構成する軍事参謀委員会を設置すること。兵力の使用計画については、軍事参謀委員会の援助を得て安保理が作成することなどを定めている。
 だが同時に憲章は、この協定は署名国によって各国の憲法上の手続に従って批准されなければならないと定めている。憲章は加盟国の憲法を尊重する立場を鮮明にしている。つまり、加盟国は憲法に反する協定を安保理と結ぶことは義務づけられていないということだ。非軍事での協力は明確に謳われているものの、軍事での協力は各国の憲法の定める範囲内であることが明記されている。国連を錦の御旗にするには無理があるのだ。ここをしっかりと押さえておかねば、大事を誤る。

 冗長になった。「大掴み」するには力量が不足しているようだ。枝葉は刈ったつもりだが、相手は巨木に過ぎる。少し見えてきた幹を括って稿を終える。

 憲法9条は、アジアの片隅に投影されたアメリカのロマンであった。しかしすぐに潰える。「自衛権」の名のもとに9条は浸食される。冷戦後、中国がアメリカの世界戦略に立ち塞がる。脅威の出現にアメリカは「集団的自衛権」の布石を甦らせようと躍起になる。しかして、現政権による「集団的自衛権」の『研究』に至る。
 北朝鮮の核開発問題は一時のモラトリアムでしかない。アメリカの対中軍事戦略はなにも変わりはしない。60年間、4万もの外国軍が駐留し続ける日本は、はたして独立した主権国家といえるのか。それとも、51番目のステイトなのか。□


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