伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『らも教』について

2007年07月11日 | エッセー
 一作も読んでいない作家を語ることはできない。ただ、事の弾みということがある。友達の友達はまた友達だ、という『定理』もある。少なくとも、纏わる因縁や周辺事情については語れぬわけでもあるまい。
 fulltime氏の前稿へのコメントで、久しぶりにこの作家の名前を目にした。ブロクを始めて1年と3カ月、105回の投稿に対するコメントにも、記憶する限り一度もなかった。いや、懐かしい。これが、事の弾みである。

 中島らも ―― 1952年生まれ。小説家、戯曲家、随筆家、俳優、コピーライター、広告プランナー、脚本家、ミュージシャンなどさまざまな顔を持つ異色の芸術家であった。直木賞にノミネートされたこともある。
 異彩の例を一つ。亡くなる前年、おクスリの誤嚥で鉄格子の向こう側にお入りになった。猶予付きの判決後、獄中体験記を出版。なんとタイトルが『牢屋でやせるダイエット』。サイン会には手錠姿で臨む。なかなか常人のできることではない。
 余談だが、ものの本に確実なダイエットは……刑務所に入ること、という問題と解答があった。まさか、教祖はこれを下敷きになさったのではあるまい。

 かつてfulltime氏から薦められた作家が二人あった。一人は昨年、この容量の極めて小さい頭蓋に、無理矢理注入された。ために爾来、脳細胞の隅々に至るまで蚕食され続けている。浅田組長。一旦染まると、なかなか足抜けが叶わぬ。(この因縁については、昨年8月24日付けの本ブログに書いた。)
 さて残る一人がこちらの教祖さまである。氏から『改宗』を勧められたのは5、6年をゆうにさかのぼる。生来の食わず嫌いゆえに、言を左右に拒み続けた。生きていらっしゃれば、口から出まかせの「そのうち」がそのうちにやって来て、遂に見(マミ)えたことであろう。しかし故人とおなりになった今では、触手が動かない。教祖のいない伽藍に詣でても意味はなかろう。きっとがらんどうに違いない。 ―― 意味は、シンクロニシティーの問題だ。「今の時代」をどう捌くか。どのような御託宣を給わるか。これが興味の第一である。異教徒として邪推するに、『らも教』とは極めて今日的ではないのか。
 書籍の上で触れ合うことはなくても、外のメディアでは何度も拝見、拝聴することはあった。関西弁のまったりとした語り口、少し鼻に詰まった声がいまだに耳朶から離れない。 
 3年前の7月15日深夜、飲食店からの帰り際、階段で転倒、頭部を強打。10日余り死線を彷徨い、ついに26日朝事切れた。享年53歳。
 死に様が生き様のすべてを象徴することがある。来し方が凝縮する。畳の上で大往生など、この作家には最も遠い。痛飲し自らの歩調に戻った時、世人の歩幅に設えられた階段が足を掬った。非は、明らかに階段にある。
 なお夫人の話では、生前から「俺は階段から落ちて死ぬ」と予言していたらしい。両の手に余る才能のほかに、霊感まで具えていたのか。空中浮遊するどこぞの教祖より、余程にそれらしい。
 まことに彗星のように現れ、流星のごとく走り去った人生である。あと2週間で祥月命日を迎える。

 この稿を完結させるためには、いまだにというか、いやまして篤信の『らも教』徒であり続けるfulltime氏の協力を得ねばなるまい。作品を語らねば、作者を語ったことにはならないからだ。氏よ。迷える子羊どもに、願わくば教えを垂れ給わんことを。△

 以下、fulltime氏の筆による。
   ◇   ◇   ◇   ◇
 次郎組長と、らも兄貴、そして小生は同学年である。
 これがまずひとつ。普段の小生なら、同い年の相手には警戒感やコンプレックスが表にでる。比較されやすいからだ。何一つ業績もなく、エピソードにもロクなものはなく、経済的資質も成果もぱっとしない。結婚して女子を三人こさえたくらいのものだ。「ダイ・ハード」が進む頭髪のありさまや、突き出た下腹など、どこをとっても人様に優に伍するものとてない。だがだが、組長や、らもさんは生活エリアも、実績もかけ離れているせいか、そういう気遣いは無縁につきあえるのだった。況んや、ご両人との共通項のほうが多いとなると尚更に親和感のほうがまさるのである。
 曰く、鬱に悩み、有名校からの挫折やインフェリアなコンプレックスに世を拗ねながら倦むほどの本を読み、「ワルイ事」をしながら、転んでもタダでは起きない執念を抱き、そこから新たな地平を見出すという、小生にとっては「歩くバイブル」なお二人であったのだ。 
 長い前置きなのでスピードをあげる。

 らも兄貴を知るにはいろいろあろうけれども、小生は「今夜すべてのバーで」を読むことから始まった。確か「吉川英治文学賞」をとった。
 のんだくれた挙げ句の入院という己の体験をもとに書かれた小説だった。したたかさやたくましさを学んで安堵した本だった。「がんばれ!」などというセリフなど一言も書かれてはいない。なのに私を下支えして押し上げてくれた。「共感」はあらゆる理解の前提だ。
 「たまらん人々」「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」「変!」「ガダラの豚」「アンナパンセリナ」「頭の中がかゆいんだ」「愛をひっかける釘」などなど著作は思い出深いが、今にして思えば、まず「明るい悩みの相談室」全6巻?から入るべきであった。ちょうど、次郎組長のそれが「勇気凛凛」であるべきなのと同様に。
 リアルタイムでは読んでいなかったが、朝日新聞でのこの連載は実に無責任でおちゃらけで、言いたい放題な勝手な話の収録だった。思えば彼は大阪の偉人だった。投稿者は全国区に及んだであろうが、極めて多かったであろう大阪の読者との「かけあい漫才」の様相を呈すものであった。晩年の「固いおとうふ」などは確かに二番煎じが多かったし明らかに「衰微していく彼」が滲みでていたが。
 結論を急ぐ。
 彼らは「マジメ人間」の範疇外の人だ。
 彼らは挫折や世の辛酸をなめてきた。
 彼らは褒められるべきではないが、その信念(軸)がぶれなかった。
 彼らは「したたか」だった。
 彼らは類まれなユーモアセンスを持つ。
 彼らは「時代」を生きた。
 彼らは経験をただの「出来事」にして終わらずに「人生の華」に変えた。
 時折、私の世代に多い、「針小棒大さ」を面白がって書く、という面も見られる。評価は様々だろう。そしてなにより「人」を愛する「情」の人だった

 勿論、私見であるので異論はあろうが、これらが私の「見方」である。
 今年もその「らも忌」が近づいている。欠かせぬ祈りの日だ。□
   ◇   ◇   ◇   ◇


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆