昨晩は、今は亡き高校(廃校した都立秋川高校)の同期(八期)会に2年振りに出席した。
会場は例年通り、同期生が開いている築地のイタリア・レストラン。
西多摩(今のあきる野市)にあった高校ということもあり、遠方からの出席者を配慮して、開始は午後3時と早め。
今回唯一出席いただいた先生は、齢い90。
私が欠席した昨年に、ミスター秋川こと、宗方先生が亡くなったという。
毎回明らかにされる、高校(寮)時代のエピソード。
その情景が昨日のようにありありと思い出される。
その一方で、同期生たちの近況報告には、健康問題のウエイトが大きくなっている。
もうすでに鬼籍に入っている同期もいるくらいだ。
この旧友たちと一緒にいる間、自分がいつもとは異なる心になる。
全寮制ゆえに、人間(自分と他者)の醜さをも直視し、それとつきあわねければならなかったあの3年間。
その中で、育まれた素直さとタフさ。
その心が呼び覚まされる。
昔の心に戻った状態で、全員で肩を組んで寮歌を放吟し、来年の再会を約して別れた。
こんな中、立入り禁止になっているあきる野市の高校跡地には、残ったメタセコイアの並木だけが、いまだ天空に向って成長を続けている。
人間の10倍以上の寿命といわれるメタセコイアを選んだ宗方先生は、個人の寿命を超えて育んでほしいものを、われわれ生徒に託した。
たとえ体は衰えても、われわれの心の中に、跡地のメタセコイアとともに成長し続けているものがあるかもしれない。
そういえば、われわれの寮歌は次の歌詞で締めくくられている、「深き心のあればこそ 永遠(トワ)に残れり、秋川に」。