今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ゴジラ-2.0へ

2024年01月16日 | 作品・作家評

『ゴジラ -1.0』のモノクロ版が公開されたので、あえて観に行った。→ゴジラ-1.0観てきた
その行為が、この映画に対する私の評価を示している。

そしてこの映画を2回観て思ったことを記す。

ゴジラ映画は原点(1954年の第一作)を忘れてはならないが、同時に単なるリメイクやオマージュであってもならない(モノクロ版という部分はオマージュ的だが)。

その一方で、(シン・ゴジラのように)”現代的”にこだわる必要もないことも示された。

そうなると、ゴジラの原点をより遡ってみてはどうだろう。

すでに第一作において、ゴジラは水爆実験によって”誕生”したのではなく、それ以前に大戸島の伝説として認知され、地元の神事にすらなっていた。

すなわち、水爆実験によって巨大化する以前の、ジュラ紀の恐竜の生き残り(進化形)として、大戸島で伝説として認知されていた荒ぶる神・呉爾羅こそが、真の原点であるはず(この呉爾羅は-1.0で登場)。

となると時代設定は少なくとも江戸時代以前に遡るから、タイトルは「ゴジラ-2.0」となる。

そこでは怪獣というより荒ぶる神、といっても(放射能前ということもあって)超越的なパワーなしの、神道的神としての神性にウエイトをおく。

そもそも呉爾羅は人類最大の愚行である”戦争”の象徴・怒り(第一作でのゴジラの東京襲撃は東京大空襲の再現)であるから、時代設定は”戦国”末期にして、大戸島を支配しようとする北条水軍、そしてその北条を滅した秀吉配下の九鬼水軍に襲いかかる(最終的には江戸を開府した家康によって封印され、太平の江戸時代とともに長い眠りにつく)。

尤も、時代設定的にも怪獣ゴジラの前身である点でも、現代装備の軍隊あるいは他の怪獣とのバトルのような迫力ある映像は望めない。
それでも-1.0の呉爾羅も対人間では迫力あったので(まるで『ジュラシック・パーク』)、当時の合戦シーンレベルは凌駕できる(たとえば、小田原を囲んだ20万の秀吉軍との対決)。

私の構想はこの程度で尽きるので、あとはどなたか作品化するストーリーを作ってほしい(こうしてネットに公表しているので私の案の権利は主張しない)。


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