今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

藤沢周平を愛読中

2007年08月03日 | 作品・作家評

映画にもなった、あさのあつこの『バッテリー』が人気あるという。
書店で文庫本を手にしてみたが、読んでみようという気にはならなかった。
熱くなりたい10代向けの感じだから。

そういう私が今ハマっているのは、藤沢周平。
私を藤沢周平に導いたのも映画、映画界での藤沢周平ブームだった。
『たそがれ清兵衛』(監督山田洋次、主演真田広之 2002年)
『隠し剣鬼の爪』(監督山田洋次、主演永瀬正敏 2004年)
『蝉しぐれ』(監督黒土三男、主演市川染五郎 2005年)
『武士の一分』(監督山田洋次、主演木村拓哉 2006年)
これらに描かれる、政治権力的使命感ではなく、情(愛情)に流されずに情を生きる武士の姿、
私風に言わせてもらえば「純情武士物」が気に入った。

『藤沢周平という生き方』(PHP新書)の著者、高橋敏夫氏によれば、
時代小説ファンが求める生き方のひとつは「かっこよく生きて、かっこよく死ぬ」だという。
上杉謙信や土方歳三が好きな私が時代小説に求めていたのは、ひたすらこれで、
戦国や幕末のように時代そのものが激動で、その激動に果敢に飛び込む人たちの生きざまにあこがれる(謙信なら海音寺潮五郎の『天と地と』、歳三なら司馬遼太郎の『燃えよ剣』)。
だから司馬遼太郎の時代小説は読んでも、太平の世の江戸時代物は読書の対象外だった。

でも武士の在り方・生き方には関心あったので、映画での武士物として上の映画を観て、やっと藤沢周平の世界に出あえたわけだ。

彼の描く主人公(典型的には、雪の月山を望む庄内の海坂(うなさか)藩の下級藩士)は、時代小説におけるもう一つの生き方、「かっこ悪くても、なんでも、辛抱強く生きる」を表現している(高橋氏が同書で『三屋清左衛門残日録』について論じた章)
藩政をめぐる権力争いの権謀術数に翻弄されながらも、武士として品格を保った生き方を貫こうとする。
この藤沢作品における「品格」は、湯川豊氏(東海大学教授)によると、凛とした自己抑制だけはなく、他者や社会への想像力、思いやり、ゆとりが必要だという(『ラジオ版学問ノススメ』より)。
すなわち、単純に主君のための武士道に殉じるのではないのだ。
偏狭な武士道を越えた、人間として自然で成熟した姿がそこにある。
それがあるから、私にも魅力に映るのだろう。
しかも、必ず最後あたりに決着をつけるような意味合いで、激しい剣戟のシーンが登場する(主人公は基本的に剣の腕がたつ)。
やはり、武士は弱くてはダメだ。

私が最初に読んだのは長編の『風の果て』。
短編より長編の方が読みごたえがあると思ったので、春の銚子旅行用として買った。
でやはり、ハマった。
彼の時代考証は歴史学者からも太鼓判を押されていて、その文章から江戸時代のリアルな風景がきちんと浮かんでくる。
ただ個人的には、代表作とされる『蝉しぐれ』は映画の感動が強かったので(岩代太郎の音楽がまたいい!)、原作はそれほどでもなかった。
(私にとって、この作品は、「結ばれ得ぬも真実の大人の愛」の映画『カサブランカ』・『マディソン郡の橋』に列せられる)

今は『用心棒日月抄』(NHKのドラマになった)を読んでいる。
ファンになった作家の作品数が多いと、楽しみが長続きしてありがたい。



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