今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

慈光寺の観音を観に行く

2019年04月14日 | 東京周辺

今日は、埼玉の”ときがわ町”にある天台宗の古刹(白鳳二年、673年創建)都幾(とき)山慈光寺の本尊・千手観音の開帳日。

寺のある場所は、天文台のある堂平山(876m)から東に延びる都幾山(463m)の8合目、すなわち山の上にあり、
しかもアクセスに本数の少ないバスを2本乗り継いでいかなくてはならない。
つまり、人里離れた山に行く覚悟が必要なので、気軽に足を運べない。
どうせこういう所に行くなら、普段は秘仏の本尊を拝める日にしたい。

というわけで、帰京しているこの機を逃すまいと、天気は下り坂ながら昼はもちそうなので、
前日にバスとそれに合う電車の便をネットでチェックし、
幸い遠方ではないので、当日は、ゆっくり9時に家を出た。

休日だと乗り継ぎ後のバスは山上の慈光寺まで行ってくれ、
急坂を登りきった山の中の駐車場で下車。
バスの乗客は私を含めて2人だったが、駐車場はぎっしり満車で、皆車で来るようだ。

山門をくぐり、人の流れに合せて境内の道を進む。
”申八梵王”という珍しい猿の石造(江戸時代作)の奥に心経堂というお堂がある。
靴を脱いで入ると、「慈光寺経」と名のついた国宝の法華経(のレプリカ)や伝・空海筆の般若心経などが展示されている。
これだけでも由緒ある寺だとわかる。

宝物殿を横に見て、さらに石段を登っていくと本尊がいる観音堂に達する。
堂の前は、人でぎっしりで、地元の人たちによる出店が並び、たぬきそばや焼きそばを良心的な価格で売っている。
丁度昼時でもあり食指が動いたが、本尊の参拝を優先して、”ちんどん屋”の演奏を聞き入る人々の中を通り抜け、本堂に達する。
本堂では地元高校のブラバンが次の演奏の準備をしており、その間を通り抜けて、
本日御開帳の黒光りする千手観音様とご対面(写真)。

像の高さは265cmもあるのだが、 堂内の奥にいるので遠くから拝むだけとなる。
県指定文化財だけあって、黒い身体からの眼光が鋭い。
といっても厳しさではななく優しさが滲み出ていて、いいお顔だ。
そもそもちゃんとした千手観音像自体が東国では貴重な存在。 

堂内は制服姿の高校生たちが楽器の設置をしているので、居続けるわけにいかず、すばやく写真を撮って堂から降りる(急いで撮ったので、他の写真は手前の房にピントが合ってしまった)。

堂の裏手に山道が上っているのを見つけた。
寺の背後に聳える都幾山への登山道と確信して、焼そばより山を優先する。
なにしろ、せっかく来たので山内を歩き回りたく、同時に少ないバスの便に合せるには、立ち止まって食べる暇がないのだ。
ゆるい登りで最奥にある霊山院への道を分けて、あとは傾斜がきつくなった登山道を登る。

一汗かいて着いた山頂には、モトクロスのグループが降りたバイクで山頂を囲んでいる。
木の根の出た山道をタイヤで削り、山の中に騒音と排気ガスを撒き散らす彼らは、
我らにとっては山中で同席したくない者たちであるが、
そのような態度を隠しながらも、彼らのせいで山頂を踏めないので、
「ちょっと山頂を通らせてください」と言いながら、彼らの囲みに割り込んで、山頂を踏んだ。
彼らも私にそう言われて「あ、山頂だったのか」と気づいたようだ。

こちらも時間との戦いの最中なので、山頂に立ち止まることなく通過し、そのまま来た道を下る。
分岐まで戻って霊山院への道に入り、すぐに舗装道路に降り立って、平坦な道路に沿って霊山院に向う。

そこは慈光寺の塔頭(たっちゅう)の1つで、奥の院に相当するのだが、宗旨は臨済宗で、東国最古の禅寺だという。
山の上にある慈光寺自体が、東国における比叡山延暦寺に相当する感じなので、 ならば禅や浄土も包含できる。
実際には、明治政府によって慈光寺から分離させられたらしい。
山奥ながら坐禅教室もやっている霊山院は山桜が満開だった。

それにしても、なんでこんな山の上に古くからそれなりの規模の寺があるんだろう(不便ではないのか)と疑問に思ったが、
比叡山や高野山に倣ってのことともいえるが、実はこの”奥武蔵”の山地には、当たり前のように山の上に集落がある。
昔の人にとっては、危険な川沿いより山の上の方が生活するのに適していて、まさにその生活圏に居を構えるのは当然だったのかもしれない(実際、奥武蔵には山上の寺が他にも幾つかある)。

さて、最奥のここが折り返し地点となり、これから往路を戻って帰路につく。
目指すバス停は、山の下の「慈光寺入口」。
すなわち、慈光寺の山を降りた先にある(乗ってきた便とは違う便ということ)。
バスの時刻は30分後。

山上の車道を歩いて慈光寺まで戻ると、往きに素通りした宝物殿に出た。
今後来ることのなさそうな寺に来て、その寺の”宝物”を見ないわけにはいかない。 
拝観料300円を取るということは、それだけ見るに値するものがあるはずだ。
受付で、山の下まで徒歩での所要時間を尋ねると15分程度だというので、
それなら観る時間はとれるとふんで、300円支払った。

「金蓮蔵」という名の蔵内には、慶派の流れをくむという阿弥陀像や、元型をとどめない天平時代の仏像、家康の肖像画などがあり、見るに値した。
また多数の山王神像群があることから、やはりここは東国における比叡山上の延暦寺とその麓の三井寺を兼ねた位置にあったようだ。
明治政府が霊山院を分離させたのも、山王神道につながる慈光寺の勢力を削ぎたかったためかも。
もっとじっくり見たかったが、先を急ぐので、本尊の千手観音についての説明書(20円)だけを購入し、
宝物殿を後にした。

ここからは山を下る。
つづら折りの車道をショートカットする旧参道があればそちらに入り、スタスタ小走りに下る。
あちこちにシャガの花が咲いているが、盛りにはちょっと早い感じ。
後ろから、トレイルランニング(山の中を走る)のグループが近づいてきたが、
いよいよバスの時刻が迫ってきたので、こちらも走り出して、彼らに差をつけた。

山を下りきった所にある女人堂は、スルーすることなくきちんと参拝し(こんな低山でも女人禁制だったのか)、
やっと「慈光寺入口」のバス停に着いた。
ほどなくして、時刻どおりにバスがやってきた。

あとは往きと同じようにバスを乗り継ぎ(乗り継ぎの連絡がよくて、数分待つだけ)、
往きに降りた東武東上線の武蔵嵐山駅に着いた。
途中、都幾川沿いに延々と続く桜並木が見事だった(大きな自然風景の中の桜並木は都内では観れない壮観)。

都幾川流域を含んだ埼玉の比企郡は、歴史(山城)と自然に囲まれたウォーキング向きの所で、
とても気に入っており、これまで幾度か記事にしてきた。
でもそろそろ行き先に尽きてきたようだ。 



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