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山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(石平)を読んで

2019年04月21日 | 作品・作家評

私は、いわゆる儒教経典の四書の1つの『論語』は学生時代に読んで以来ご無沙汰だが、
五経のうちの『易経』と『礼記』は研究にも関係しているため精読しているので(『大学』『中庸』も読んでいる)、
”儒教”について少しは理解していると思っていた。

私自身、儒教は”孔子の教え”だと思いながら、いつのまにか後々の(孔子ではない)儒家による経典に基づくものであることを当然視してきた。
つまり儒教全体あるいは孔子と儒教との関係を見渡す視点をもっていなかった。

そんな中、目に止まったのが2019年3月に出たばかりの石平(せきへい)氏による本書。

テレビでおなじみの石平氏は、日本に帰化してからは中国共産党政府を厳しく批判しているので、
政治学者かと思っていたら、もともと哲学専攻なので、このよう思想批判の書を書く理由も理解できた。

まず孔子に直結した資料である『論語』から、
孔子は思想家や哲学者でも、ましてや聖人ではなく、常識知に長(た)けた一知識人である(にすぎない)ことを示す。
そして孔子以後の孟子・荀子によって思想的に体系化されて儒学となり、
前漢の董仲舒に至って、儒教という皇帝統治のための御用教学となる。
そこで制定された儒教経典の”五経”は、上の2つをふくめていずれも孔子の著作ではない(この時点で孔子と無関係)。 

さらに儒教は、南宋の朱子によって人間性(人欲)を否定する抑圧的なものとなり、
その朱子学が明・清の5百年間、中国人民を苦しめ、
とりわけ清朝では夫を失った女性に殉死を強要する、すなわち”殺”を奨励するようになり、
その犠牲者は260年間で500万人に達したという。
これを「悪」と言わずにおれようか、と怒るのが氏。
要するに、孔子の教えと、その孔子を始祖にまつり上げている儒教とは、
内容的にも価値的にもまったく異なるということを主張している。

孔子の教えが儒教に発展したという系譜づけは、董仲舒や朱子が捏造したもので、
それを最初に見破ったのが、なんと日本近世の儒学者・伊藤仁斎だという。
仁斎は、人心とは無縁の天の理を第一義とする朱子学が、孔子の教え(=論語)、すなわち第一義とするのが人の愛(仁ではなく”愛”と記した)であるそれとはまったく接点のないものであることを看破した。

私は恥ずかしながら、江戸時代の儒学者たちにはほとんど関心がなかったため(例外は中江藤樹と山鹿素行)、
仁斎の名前だけは知っていたがその功績は知らなかった。

そして仁斎以降、日本の知識人たちは、幕府によって”異学の禁”まで出された官学の朱子学の欺瞞性に気づいて、
ことごとく朱子学から離れていった。
このように脱朱子学を達成した日本と、朱子学支配に屈した明・清そして李氏朝鮮との違いが、
近代以降の両者の”道徳の格差”につながっていると氏はいう(これが本書の副題—日本と中韓「道徳格差」の核心—になっている)。
そして氏は自らを仁斎の後継として(仁斎は孔子と儒教とを分けるには至らず)、孔子の血の通った『論語』を愛し、孔子を騙る偽物の儒教を断罪する。

私自身は、董仲舒の悪影響、すなわち陰陽に迷信的五行を合体させ、また本来対等な陰陽を”陽尊陰卑”に序列化し、それが”男尊女卑”の論拠となったことは実感しているが、
朱子学(宋学)については、むしろ宇宙論的で面白いと能天気に思っていたのだが、これは日本で朱子学の悪影響が軽微だったためかもしれない。

そして何より、儒教への関心の割りに、孔子その人を軽視していた自分に気付かされた(諸星大二郎の『孔子暗黒伝』は大好き)。
孔子その人の情報は『論語』においてほかはない。

朱子学から脱した江戸期の日本人は正しくも『論語』に回帰をしたという。
そういえば、新一万円札になる渋沢栄一も『論語と算盤』という本を書いていた(明治以降も日本の道徳は『論語』に準拠した)。 

実はその本、王子の渋沢栄一記念館で数年前に買ったまま読んでいなかった。
私の中に『論語』を軽視する心があったためだ。
『論語』は儒教の入門書で、『易経』や『礼記』のような専門書ではないと位置づけていたから。 
それでも孔子の教え(『論語』)にこそ、私が求める「礼」があることはわかっている。
初心に立ち返って、『論語』 を座右に置くとしようか。

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