今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ファッションのジェンダーレス化を歓迎

2023年03月28日 | 時事

あちこちで制服がジェンダーレスになりつつある。
それはLGBTQに対する配慮からだろうが、もとも世界中の文化はジェンダー(社会的性別)を過剰に峻別してきたきらいがある。

男である私(自称詞にジェンダーは不要で、”僕”を使わない)も、
生物学的な性別はそのまま受容するも、過剰なジェンダー化には辟易してきた。

それを一番感じるのはファッション。
若い頃、同世代の女性たちの夏の7部丈パンツが涼しそうで見た目もスッキリして羨ましかった
(男物は長ズボンか膝上の半ズボンしかなかった)。
冬は、彼女(他称詞も本来は”彼”一択でいいと思う)たちのレッグ・ウォーマーが暖かそうで羨ましかった
(男物はモモヒキきしかなく、下腿だけの物がなかった)。
服の本来の機能は、身体気候の調整である。
ところが男の服装は、固定的で種類が少なく、
このように身体気候の微妙な調整ができない(特に暑さに対して)。
もちろん機能以外に、デザインとしての楽しさがない。

時計や靴も同様。
男物の腕時計は、腕の細い私には、デカすぎで不恰好にしか見えないので、
より小柄のユニセックスタイブしかつける気がしない。
革靴も、定番を買うとあとは買うものがない。
デザイン的に惹かれるのは、いずれもレディース。
ファッション(服装)に関して、ほんと男は選択肢が乏しくつまらない。
服装のデザインにジェンダーを外して、サイズだけで選べるようにしてほしい。

面白いことに、日本の伝統的な着物は、世界的に珍しく男女で同じ作り。
なので、今でも旅館の浴衣はジェンダーレスで、サイズの違いだけで選べる。
着物の柄や帯にはジェンダーがあったが、
室町時代の”バサラ”といわれたぶっ飛んだ男たちは、女物の着物を着て街を闊歩していたという。
※:女性の着物は丈が身長以上に長かった(裾を地面に広げていた)ため、男が着ても短くならない。江戸時代になると、おはしょりをして裾を上げるようになった。
一方、江戸時代の男子の正装を構成する袴は、幕末に日本に来た欧米人にはスカートに見え、
スカートをはいた男たちとして奇異の目で見られたという。
でも袴の末広がりのシルエットは、見た目に安定感があって悪くない
(私は着物で外出する時は必ず袴を着ける)。
なのでジェンダー意識をはずせば、男のスカート姿も見た目に悪くないはず
(すね毛の関係でミニはちょっと…)。


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