今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

日進の社寺巡り

2023年10月17日 | 名古屋周辺

本日は勤務先の大学で会議があったが、すぐに終わったので、ここ連日の「名古屋周辺日帰り旅」の第四弾として、大学から近い日進市の社寺巡りをする。

日進市は、長久手市とともに名古屋の東隣に位置し、名古屋近郊の新興住宅地として人口増加中で、市の北部には本学を含めて大学が集中している。


日進市で最も有名な社寺といえば、白山宮だ。
もちろん本社ではないが、摂社に「足王社」という足腰の神が祀られ、それがスポーツをする若者たちに支持され、今では「サッカー神社」とも呼ばれている(という)。

大学から車で数分で白山宮に着く。

まずは本殿を参拝して、その右にある現代的な造りの足王社に行く。
この造りは足が悪い人のためのバリアフリーを実現している。
まずは正面で参拝し、社殿内の裏側に回ると「痛みとり石」が鎮座している(写真)。
この石は、この地の祠の下の地面から頭だけを出していたが、ある老女がこの石をさすって、自分の痛む足をさすったところ、痛みが消えたという。
そのご利益を得ようと人が集まるようになり、今ではこの石を取り出してこうして飾っている。
ただし手で触ることはご法度で、500円で販売している「撫で布」で石を撫でるようにと指示されている。
私は幸い足は痛くないので、撫でる必要はない(私が参拝するのは、ご利益を求めてではない)
社殿の傍にはここオリジナルの絵馬が多数掛けられており、やはりサッカー部生徒などの祈願が多い。


白山宮の参道脇には、白山古墳という円墳があり、行ってみると中央の石室が露出していた。
白山宮の隣に、龍谷寺という禅宗の寺があり、仁王の立つ山門の他、如意輪観音や七福神の木造を拝める。
これらはいずれも素人的作りだが、八角堂前の龍谷観音は最近の作りながら、ふくよかな美しい顔立ち(写真)。


ここから岩崎城の方向に車を走らせ、岩崎川を越えて慈眼寺に車を止める。
小牧長久手の戦いに関係する城で、城址には天守が建っている。訪問済みなので今回は省略。
ここの本尊は千手観音という。
観音堂入口に西国33観音の模像があり、小さい本尊が見える堂内で住職が檀家の女性たちと話し込んでいた。
境内には石仏がたくさんあるが、やはりいずれも作りは素人風。
同じ石仏でも尾張一宮の妙興寺の洗練された作りとはかなり違う。
はっきり言って、ここらは最近まで田舎だった。

向かいの妙仙寺の立派な臥龍の松を見て、車で丘の上の大応寺に向かう。
大応寺は、真新しい白い石仏があちこちに立っていて、それらの奥に岩崎の御嶽(おんたけ)山を開山した明寛行者を祀った堂がある(ここが目的)。


その御嶽山は、岩崎の地にそびえる残丘(標高300m)で、この残丘はなんと古生代からずっと丘で、(愛知で唯一)この数億年の間一度も海に沈んだことがないという(地球科学的には日進市で最も貴重)。

その御嶽山に車で急登する。
山上の展望台に車を止めると、周囲は御嶽信仰ならではの霊神の石碑が立ち並ぶ。
霊神名にいずれも「覚」の字が使われていることから、地元尾張出身の覚明行者系であることがわかる。

ただしここの御嶽講は明らかに真言宗系で、大きな弘法大師像があり、あちこちに不動明王の石像もある(写真:後列左から龍神(倶利伽羅神)、大黒天、不動明王)。
階段を登って御嶽神社に参拝し(かように神仏習合)、お助け穴不動の幟に導かれて、洞窟内の穴不動(洞窟入口に照明の電源がある)を拝む(不動明王の印を結んで真言を三唱)。

この御嶽神社周囲の独特な雰囲気は、木曽の御嶽山に行かないと見られないだけに貴重だ。
というわけで、4日続いた「名古屋周辺日帰り旅」はこれで尾張(←勝手に変換)



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