週末ならいつでも旅行できる身なので、GWにあえて混雑して割高な旅はしない。
ただ陽気がいいので、一日くらいは青空の下で羽根を伸ばしたい。
といっても山歩きは左脚の腸脛靭帯炎のため不可なので、ぐっと負荷を下げて山城巡り。
青梅の勝沼城趾が未訪なので、ここにしたいが、ここだけでは物足りない。
近くの塩船観音寺がツツジ祭りをやっていて、しかも3日は本尊ご開帳。
それに青梅市では「青梅大祭」のクライマックスで、町中の山車が出るとか。
2つの祭を追加しよう。
青梅線の河辺(カベ)で降りて、塩船観音入口行きのバス停に向うと、バス停から階段上の駅のベデストリアンまで行列。
でも臨時便を出してくれて、さほど待たずに西東京バスに乗れた(高尾駅でも同様な対応をしてくれる)。
バスを降り、駐車場が空くのを待っている自家用車の列を抜いて境内に入る。
つつじ祭の期間中だけ入山料300円払う(檀家のいない寺なのだ)。
阿弥陀堂に参拝し、次いで本堂に上って、木像の十一面観音を拝む。
周囲には二十八部衆の木像が並んで、阿修羅像もあり、奈良の興福寺を思いだす。
関東で二十八部衆がいるのは珍しいだろう。
つつじ山の麓では、護摩行が終わり、真言がスピーカから鳴り響く中、火渡りの行が始まる。
せっかくなので、自分も渡ろうと思ったら、それを待つ一般客の行列が、駅のバス停の比ではない(最低でも10倍)。
ここでは臨時便も期待できず、城跡に行く用事があるので、あきらめた。
別に御利益を求めて参詣している訳でないし。
好天というより炎天下の中、「城山街道」を西に向う。
妙光寺という曹洞宗の寺の左奥の山道に入り(案内はない)、ほどなく登ると、
見まごう事のない「虎口」が正面に現れる(写真中央)。
左の竹林には土塁と横堀がまっすぐ伸びている。
虎口に立つと、脇に勝沼城の解説板があった。
ここは、青梅一帯を支配していた三田氏の居城で、慶應大のある港区三田とも関係している。
平将門の末裔を自称した三田氏は、結局小田原北条氏に滅ぼされてしまう(北条の軍門に降った滝山城主の大石氏と命運が別れた)。
>勝沼城趾は滝山城ほどの規模ではないが、縄張りは複雑で、保存もよい(ただし郭3は妙光寺の墓地になっている)。
南麓には、三田氏の後に入城したという師岡(モロオカ)氏の師岡神社があり、大きなシイの木と雷電様の祠がある。
ここからは東青梅駅が近いが、青梅大祭を見物するため、あえて西に進み青梅駅に向う。
ほどなく、出店と山車が現われ、通りの人口密度がどんどん増していく。
青梅駅近くになると(=祭主催の住吉神社近く)、山車も出店も人もぎっしり。
山車の上では、若者が囃子を奏で、面をつけて舞っている(写真)。
<山車同士が向い合うと、囃子太鼓のバトルになり、若者たちがヒートアップする。
こんな多くの若者が祭りに参加しているとは、羨ましい限りだ。
若者、とりわけ祭に参加する若者が少ない東京区部では、外部から応援部隊をたのんでいる。
それに対し、周辺都市といえる青梅では、地元に根を張った、なんというか「マイルドヤンキー」的な若者たち(30代を含む)が、白けもせず、気負うこともなく、等身大で楽しんでいる。
もとより堅気から少々外れた彼らの外見(特に髪)は、粋でイナセな祭にぴったりはまってカッコいい。
そして地元、さらには地元中の町内との一体感を祭囃子にのせて、野外の”クラブ”化している。
ここだけでなく、祭って日ごろはおとなしい日本人の秘められたパワーが爆発する、貴重な数日間だ。
祭に参加できない部外者の私は、ただ写真を撮って歩きまわるだけなのが残念。