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山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

作法・礼法講座4:作法学

2020年10月09日 | 作法

小笠原流礼法を学ぶことで、作法は論理的に整合した構造体であることがわかってきた。

そうなると、学究の徒としては、作法を学問的に分析したくなる。
作法研究は従来は歴史民俗学の1つで、固有の学問対象ではなかった。

小笠原流礼法を習っていた心理学研究科の大学院生の当時、心の定量的分析ではなく、意味分析を志向して記号論にハマっていた私は、記号論の祖であるソシュールの構造言語学およびその応用であるバルトの『モードの体系』(ファッションについて言説の記号論的分析)をベースに、グレマスの『構造意味論』を応用して、作法を学問的に構造分析をする「作法学」を構想した。

作法学は、個別言語に対する言語学、個別の法律に対する法律学の位置にあり、個々の作法を客観的に記述し、相互に比較し、またその構造的欠陥や矛盾を指摘する、すなわち作法を客観中立的視点から構造批判する学問である。

そもそも作法自体が、日常の行為に対する”批判”として誕生した。
なら「そうではなく、こうするのが作法(マナー)です」と断じられると、その批判的言辞に対して文句はいえないのか。
単なる感情的反発ではなく、その作法はおかしい、と客観的視点(根拠)から作法を批判する装置がわれわれに必要である。
さらには、個々の作法は特定の時代・文化的価値観に束縛されており、それを抽出して明らかにすることで、絶対視されそうな作法を相対化し、すべての作法を批判的かつ統一的に眺めることで、現代の視点(価値観)でベストな作法を構築することを可能にする。
そういう目的をもって個々の作法を分析する作法学をここに紹介し、今後は、この視点に基づいて作法を記述していく。

まずは作法学の基本概念を紹介する。
作法とは、所作についての評価の命題からなっている。
その個別の作法的命題、すなわち1個の作法を「作法素」という。
作法素はさらに、それを構成する、4つの要素からなる。
たとえばいま、お母さんが子どもに、「人前で、鼻をほじるのは、みっともないから、やめなさい」と叱ったとする。
これを作法についてのしつけとみなすと、この言説は1つの作法素とみなせる。
その作法素は、「人前で」、「鼻をほじる」、「みっともない」、「やめなさい」の4要素に分解できる。
それらを条件素、行為素、機能素、評価素という(〜素という名称は、『構造意味論』の影響)

この4要素が作法素を構成する文法的単位であり、作法素の集合体から条件素を集約すれば作法とされる場面の構造がわかり、行為素を集約すれば作法とされる所作の構造がわかり、機能素を集約すれば作法とされる理由・根拠の構造がわかり、評価素を集約すれば作法としての評価(良い/悪い)構造がわかる。
そしてそれらから、作法素の集合体の文法構造が把握できる(言語学的手法)。

これら4要素が揃ったのが完全な作法素だが、世に出回っている作法素の多くは、機能素が省略されていて、いわば理由なしの押し付けとなっている。

私がこの機能素の重要性を実感したのは、小笠原流礼法を習ったからで、小笠原流礼法は作法を制定した側なので、個々の作法(作法素)について、ことごとく理由(機能素)が存在していることだった。
考えれば当たり前だが、ある行為は、ある理由があって、作法とされたのだ。
だから作法素に理由(機能素)は必須のはず。

機能素は、行為素と評価素とを結びつけるもので、そこに価値観が内包されている。
作法とは、ある価値観にもとづく行為の評価体系であり、その価値観の実現を行為によって求めるものだ。
だから、ある作法に従うことは、その作法が求める価値観を受け入れ、実現に手を貸すことなのだ。
「作法(マナー)だから従え」という問答無用の言説の思想的危険性がここにある。

ところが、この大事な機能素が欠落された作法が拡がっている。
それは価値観が隠蔽された状態で、人々にそれを従わせることになる。
作法学は、機能素を抽出することで、隠蔽された価値観をあぶり出す(言説からの価値観の抽出は『モードの体系』の影響)
そしてその価値観自体を、現代の視点で批判の対象とする。

次に、個々の作法素の集合体を「作法体」という。
「小笠原流礼法」は1つの作法体である。
作法学は作法体における個々の作法素を構造化することで、その作法体の価値観を含む特徴を析出する。
作法体を構成する作法素は、相互に矛盾があってはおかしい。
これが作法体批判の客観的(論理的)基準となる。

現実の作法体、たとえば小笠原流礼法のような構造化が進んだ作法体は、作法素の単なる寄せ集めではなく、作法素の高次化、メタ作法素といえる抽象的な概念がテキストの中に存在している。
「礼」「躾」という用語だ。
これらは個々の作法素産出の源泉になるので「原作法素」と名づけている。
原作法素は、単語なので、単語=その意味 という単純構造で、テキスト内にその意味が表現されている。

以上の作法学の基本概念そのものが、小笠原流礼法のテキスト(礼書)からヒントを得たのだが、その作法学の視点で小笠原流礼法を眺めると、構造的矛盾のない、機能素が豊富で、原作法素と適合している、ひじょうに洗練された作法体であることがわかる。
世間に出回っている由来の不明な作法素は、そもそも機能素がなく、あっても後付けのインチキなもの(疑似機能素と命名)が多い。

もちろん、作法学は小笠原流礼法も作法体の1つとして、相対化し、分析・批判の対象とする。
私は、小笠原流礼法の一員としてではなく(特定の作法体を絶対視せず)、只一人の作法学者として、作法を客観的に分析した視点での理想の作法の構築を目指している。
なぜなら、作法とは”所作の最適性の追究”であるから、現生人類の身体構造と地球上の重力を前提とすれば、”動作工学”として科学化が可能といえる※。

※これからの作法は、小笠原流などの過去の権威に依存せず、最適性にもとづく科学的根拠に準拠すべきだ。そのためには現行の作法素における機能素の批判的再検討が重要となる。作法学はまずは作法批判の学である。

次回はこの作法学の視点で、小笠原流礼法を分析してみる。

ちなみに作法学については以下の文献を発表済である。
書籍 山根一郎 『作法学の誕生』 春風社
論文 山根一郎「中世ヨーロッパ作法書の通時態分析※1:テキストマイニング分析の試み」
   山根一郎「小笠原流礼書による作法体分析※2:『三議一統』系のテキストから」
   など

※1:原テキストはラテン語なので、中城進氏の翻訳をテキストにしている。テキストからの作法素抽出は、テキスト固有の文学的ニュアンスを削除するので、翻訳でも可能。4要素からなる作法素をデータとした統計分析として、テキストマイニングが適している。

※2:作法学での分析には、テキストから作法素を抽出する作法素分析(※1の論文が該当)と、既存の作法素あるいはより高次の原作法素から作法体の特徴を(価値観)を抽出する作法体分析とがある。基本的に後者は前者を前提とするが、小笠原流の礼書は高次の原作法素が豊富なので、すべての作法素を抽出しきらなくても、作法体分析が可能である。

作法・礼法講座5:小笠原流礼法の価値観に進む

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