サッカー日本代表の森保監督の試合後のお辞儀が世界中で話題になっている。
日本人のお辞儀は、その角度の深さと頻度の高さから、昔から日本人的動作として知られている。
ただし相手に対して頭部(こうべ)を下げる動作は、人類に普遍的であるため、日本人のお辞儀姿勢そのものは、違和感なく理解される。
お辞儀は「礼」とも言われるように、礼(作法)を代表する動作で、私が教えている小笠原流礼法では、坐礼だけでも6種ある。
さらに坐礼の前後の扇の扱いなどを含め、礼の一連の動作は、作法の基本として最も重視されている。
その礼とは何を意味する動作か。
ズバリ”敬意”である。
『礼記』によれば、礼とは敬意の表現(可視化)であるからだ。
ということは、日本人は敬意の表現を頻繁にするわけで、それは日本人にとって敬意の対象がとても多いことを意味する。
何より外国人が驚くのは、他者以外に、場所に対しても日本人が礼をする姿。
武道者が道場に礼をするように、力士は土俵に、ボクサーはリングに、球技選手はグラウンドに礼をする。
日本人ファンが、スタジアムをきれいにして帰るのも、場に対する敬意があるからだ。
私は先日、長年使って捨てることになった財布に礼をした。
日本人は、他者だけでなく、世界(この世)を構成するさまざまな”他”に敬意を持ち、表現することが普通にできる。
言い換えれば、日本人は敬に値するものに囲まれて生きている、幸福な人たちなのだ。
その姿に他国の人たちも感動し、今度は日本人が彼らの敬意の対象となる。
それを可能にしたのは、日本で独自に発達した礼法の伝統だといえる。