やっと梅雨明けを迎えたが、すでに痛ましい水の事故が続発している。
これらは災害によるものではなく、人間の方からあえて自然に接近(入り込んで)の結果だから、責めは人間側にある。
地球上の生物は本来、自然の中で生存している。
人間も自然の力と隣り合って生きている。
なので、隣の自然の力(恐ろしさ)をきちんと知ることが生存していく上で必須。
ところが、都市化されてむき出しの自然から隔離されて生活している人たちは、その生存知を身に付けないまま、隣の自然に入り込み、人間の命など一飲みの自然の力にさらされる(この失敗経験はやり直しが効かない)。
川だけでなく、高尾山いや富士山にもサンダルばきで登ろうとする人がいる始末。
川はプールの延長ではなく、山は公園の延長ではない。
すなわち、川で泳いではならない。
こういう事故に対する最も安直な対策は、隔離をさらに強固にして、生存知を必要としない生活を強要することだが、これは生物本来の在り方から外れていく(人間を脆弱にする)。
きちんとした安全教育をした上で、自分の実力に相応した自然と接するようにしていくことが理想だ。
川・海・山での安全な遊び方を、遠足や林間・臨海学校などで教られないか(学校の先生では無理か)。
例えば、山に行くには、最低限、頑丈な靴と現在地を確認する地図は必須。
それに加えて、道迷いや天気急変を想定して、携帯照明や雨具・防寒具・非常食などを装備する(私は高尾山でもこれらを装備する)。
実際には、最低限の装備(靴・地図)すらない人が山に入ってくる。
遭難して当然といえないか。
山に行きたいなら、装備についての知識(生存知)がまずは必要ということ。
私は「沢登り」という、川の上流・源流部を遡行して山頂に達する登山形式も楽しんできたが、その場合、ヘルメットと苔むした石に乗っても滑らない履き物(草鞋)、それに身体を支えるロープを持参する。
滝つぼの深い釜などは、泳いで渡る。
実は源流部だからこそ、流れの中をじゃぶじゃぶ歩いて進める。
これが中流部だと、沢登りの対象から外れる。
水圧・水深が人間の力を超えているから。
舟で航行する領域だ。