今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

半年ぶりの高尾山

2024年05月04日 | 山歩き

この4連休中に久しぶりに山に行く。
前回は昨年11月4日の高尾・城山だったから(→記事)、実に半年ぶり(しかも前回も8ヶ月ぶりだった)。
いつの間にかとんと山から遠のいてしまった。

かように久しぶりなので、弱った脚力に負担をかけないとなると、行き先はやはり最も手近な”高尾山”となる。

ルートは私の定番である琵琶滝道を上って薬王院を参拝して山頂に達し、下りは稲荷山コース。


自然な目覚めで7:30に起き、昨日買っておいておにぎりを2個食べて出発。
いつもよりやや早い時刻のためか、 JRも京王線も空いている。

終点の高尾山口駅からは高尾山に登る人たちの行列状態となるが、清滝登山口からケーブルでも1号路でもない谷沿いの道(6号路)に入ると人はまばらに。

6号路と分かれて高尾病院前を通って山道に入る。

山道に入ると都会から一番近い山ながら、平地の公園と比べて、木々の密度が格段に濃い。
しかも高尾山は奥多摩の山と違って自然林なので、多様な木々が混在して森の表情が豊か。
もう空気(雰囲気)が全然異なる。
やはり高尾山は、東京からもっとも近く”山”を味わえるいい所。

山道に入ってすぐ脇の道から離れた所に石碑があるのに今更ながら気づいた(幾度も通っている道なのに)。
よく見ると「中里介山妙音谷草庵跡」とある(写真)。
奇しくも今読んでいる『大菩薩峠』(往きの京王線車内でも読んでいた)の作者が結んだ庵(いおり)の跡だ。
介山は38歳の時、この庵で執筆活動に励もうとしたが、ケーブルカーの敷設工事の騒音に悩まされ、一悶着起こして奥多摩に去っていった。
実は『大菩薩峠』内にも、高尾山観光開発の件(くだり)があって、介山の思いが反映されている。
その庵跡を知りたいと思っていたのだが、ここにあったとは…

山道は琵琶滝(昨年、滝行をした)からの本道と合流し、尾根を直登して、やがて舗装道路の1号路との合流に達するが、まだ静かな山道を歩きたいので、その手前の分岐で2号路に進む。
2号路からさらに3号路を進むとずっと静かな山道が山頂まで続くが、中腹の薬王院に参拝したいので、参道入り口で1号路に合流し、ここからはケーブルに乗って来た観光客と一緒に舗装道路を進み、薬王院を経由して山頂まで達する。

人がぎっしりの山頂で、茶屋が空いていたらそばを食べようと思っていたのだが、すでに長い行列なので諦める。
山頂からは残雪の富士と対面できるが、私は立ち止まらずに、山頂を後にする。
一旦下って、鞍部から先は奥高尾という登山対象の山域で観光客はここから先には入らない。
そこを進んで「もみじ台」という高台に登ると、「細田屋」という茶店があり、ここでもそばを食せる。

この店で並ばずに冷やし山菜そば(1000円)を注文し、富士を正面に眺めながら(写真)、そばを食べる(山頂をすぐ後にしたのは、ここを目指したから)。


復路は、高尾山頂を巻いて、稲荷山道に出る。
この長い山道は、以前は露岩や木の根が出て凹凸が激しかったが、板が敷き詰められて歩きやすくなった。
その代わり、稲荷山山頂にあった東屋は解体された。

長い下りをスタスタ降りても、懸念した左脚の腸脛靭帯が痛むことなく、無事、清滝登山口に降り立った。
その広場では仮設された舞台の上でチャイナドレス姿の女性が日本語で歌っている。
雑沓の中、私は一人高尾山に振り返り合掌し、無事下山を感謝すべく光明真言を三唱した。

時刻は13時をまわっているのだが、山麓に軒を連ねる蕎麦屋は「高橋屋」をはじめとしてどこも行列(もみじ台で食べてきてよかった)。
高尾山口駅前から川に沿った一帯が親水公園に整備されていて、子どもたちが水遊びをしている。
その付近には木製のベンチも置かれているが、日差しを遮るものがない。
無事下山を祝して(精進落しの)ビールを飲みたいのだが、座って飲める場所はここしかない。
幸い、つば広の帽子をかぶっているので、駅のコンビニで缶ビールとつまみを買って、川べりの広場に座って缶ビールのタブを開けた。
大腿四頭筋の疲労感さえも、やり遂げた感を満たす要素として味わう。