今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

阿木城

2015年05月11日 | 城巡り

中津川の定宿に向ういつもの快適なハナノキ街道(国道363)沿いにある阿木という風光明媚な山村に、阿木城という戦国期の城跡があるのを知った。

山城は戦国期にあちこちに造られたので、山城巡りを趣味にすると、旅で立寄る先がぐっと増える。

ただ、観光名所にはなっている所は少なく、多くが地元の人しか知らない判りにくい場所にあり、ここ阿木城も中津川市の史跡には指定されているが、観光案内の対象にはなっていない(なっている城は苗木城だけ)。
なのでネット情報を頼りに、事前に登り口までの道を確かめておいた。

ところが最近の山城ブームを反映してか、ネット情報にはなかった案内板が道路に面してつけられていたので、迷うことなく、登り口に達した。

そしてそこには、阿木城の説明パンフと手作りの地図、そして訪問者ノートが置かれている。
城へ上がる道も階段状に整備され、周囲の木も切り倒されて、眺めもよくなっている。

縄張り内に入ると、手製の案内板で「竪堀」「腰曲輪」などあり、チェックポイントを見落とさずにすむ。

そして頂上の主曲輪に達する。

主曲輪は、直径50mほどの完全な円形で、この城の特徴となっている。
180度挟んで大手口と搦手口の虎口がある。
他の曲輪はすべて腰曲輪で、主曲輪の特異性を高めている。
主曲輪に立派な建造物があったとしてもおかしくない。 

登る途中に礎石のような石が気になっていたので、そこに戻ると、初老の男性が立っていた。

直観でこの城跡の案内資料を作っている地元のN氏と分かり、城について色々話を伺った。
この石は礎石のようだが、ここには1つしかなく、このような石は縄張り内では数ヶ所に散在しているだけだという。
N氏は案内板だけでなく、道も整備している。
さらに縄張りを見やすくするために、植林されていた木々も3月に切ってもらったという。
かように、着々と整備が進んでいるようだ。 

さらに、麓の阿弥陀堂の焼けた本尊を拝観させてもらい、写真まで撮らせてもらった。

訪問者ノートに書いてくれを言われたので、お礼を記しておいた。
ノートには、東京など遠方からも訪問者もいる。
ローカル線明知鉄道の阿木駅から徒歩で来れるので、 新しい名所として期待したい。