今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大地震に季節傾向はあるか:記事更新

2012年03月10日 | 防災・安全

この記事(2012年3月10日配信)、地震があるたびに、アクセスが集中することもあり、グラフを追加するなど情報の一部を更新する(2021.2.14)。本文の記事はそのままにしてある。


東北地方太平洋沖地震(M9.0)が起きた3月11日は、
今を共に生きるわれわれにとって忘れられない日となったが、
過去の地震を思い出すと、
兵庫県南部地震(M7.3)は1/17、関東大地震(M7.8)は9/1、中越地震(M6.8)は10/23、
それに愛知県民として忘れてならない戦時中の三河地震(M7.1)が1/13、
昭和東南海地震(M8.0)が12/7、昭和南海地震(M8.0)が12/21と、
なんか寒候期(10-3月)が多い気がする。

そこで、過去の地震のおきた日などをきちんと調べてみた。
といってもすでにデータをまとめてくれた本と気象庁の情報サイトにあたっただけだが。
M7.0以上、もしくはそれ未満でも人的被害が大きかった地震(以下、大地震)を、
7世紀から21世紀まで(西暦679年から2016年まで)抽出してパソコンソフトでデータベース化した。
該当した地震は計215件(2021年2月現在:ただし東日本大震災をもたらした地震は1回としてカウント)。
平均すると6~7年に1回は起きている計算となるが、実際は静穏期と活動期に別れる。


1.まず一番気になった、季節差の有無を確認した(グラフ)。
発生した月日がわかっている213件の月分布からは、12の月にランダムに分散していた
(江戸期以前の記録はグレゴリオ暦に変換)。
しいて言えば1位は8月(25回)、2位は3月(24回,内3.11関連の地震が3つ)、3位が6月(22回)、4位は11月(21回)で、あとは団子状態。
これらを寒候期・暖候期でまとめると、寒候期は105回、暖候期は107回と差がない(暖候期の方が2回多い)。
以上から、「大地震は寒候期に多い」という仮説は支持されなかった。

すなわち、年間でみる限り、地震は確率(ランダム)現象とみたほうがいい。
主観的印象と客観的事実はかくも乖離しているのだ。
あらためて、統計をとることの重要さを痛感した次第。 

ただ、東海・東南海・南海の南海トラフの地震に絞ると、
暖候期(4-9月)5、寒候期12と大きな差があった。
トラフ続きの日向灘も暖候期3、寒候期5で同じ傾向。

また、M8.0以上の巨大地震に絞ると、上の南海トラフの影響もあって、
暖候期9、寒候期19と寒候期が多かった。
この差に科学的意味があるかは不明だが…。


2.集計ついでに、大地震の回数が多かった震源域はというと。
多い順に、宮城・金華山沖13、三陸沖11、紀伊半島沖11、青森沖11、
釧路・十勝沖10、根室沖9、日向灘8、相模(湾)7、房総沖7
といずれもプレート境界であった(空間的な差は明瞭にある)。
プレート境界では同じ場所で繰り返し地震が起きるわけである(北日本の太平洋側が多い)。
ただし東海地震の震源域(駿河湾~遠州灘)での大地震の回数は5で、
南海トラフの他の震源域(紀伊・日向)より少ないことも示された
(来る来ると言われてなかなか来ない東海地震は単独では来ないかも)。


3.逆に、大地震の震源から遠い県は、
山梨、富山、奈良、香川、岡山、山口、佐賀、大分、熊本※、鹿児島と、
東北・関東は0で、西日本、とりわけ九州が多かった。
これらの県は長い目て見て巨大地震に対しては安全といえる
(ただしM7未満の震源にはなっているし、
考古学・地質学レベルでの大地震の痕跡はあったかもしれない)

※追記:2016年4月16日の熊本の地震(M7.3)は、ここでの「大地震」の条件(M7以上)を満たしたため(しかも2回発生、だたし1回でカウント)、このリストから削除する。熊本の例のように、過去(歴史記録)に大地震がなかったからといって安全とはいえないことが身にしみた。

プレート境界から遠いのに、ここに入っていない県(日本海側や内陸など)は、
別種の地震である「プレート内(活断層)」の地震の震源に近いのである。


4.大地震の”特異日”というのはあるのか(あまり意味のない集計だが)。
過去に大地震が3回あったのは以下の日である(4回以上はなかった)。
3/11、8/2、8/12、9/5 、11/26、12/7
これらの日の前後も2回あった日が並んでいたりするので、
比較的発生確率の高い日として留意するにこしたことはない(客観的には偶然とみなせるが)。


5.東日本大震災より人的被害(死者・不明者)の大きかった地震。
過去の地震で今回の地震(19263人)より人的被害の大きかった地震は以下のとおり
(ただし明治以前のは正確な人数は不明)。

1341年 青森での地震? 26000?人
1498年 明応地震 (M8.4 南海トラフ) 40000?
1662年 琵琶湖付近の地震 (M7.6 活断層) 22300?
1828年 新潟での地震(M6.9 活断層) 30000?
1854年 安政東海地震(M8.4 南海トラフ) 30000?
1896年 明治三陸地震 (M8.5) 26404
1923年 関東大震災 (M7.8)  142807 
※:死者の9割は地震後数日間の大規模火災による。言い換えれば倒壊等による死者はこの1/10

三陸沿岸は今回以上の被害を過去に経験していたのだ。


書評:『FUKUSHIMAレポート:原発事故の本質』

2012年03月10日 | 東日本大震災関連

原発をどうするか。
原発事故が実質的にはちっとも収束していないのに、なにやら”再稼働”の動きが出始めている。
どうやら、われわれ国民一人一人が原発の是非についてきちんとした態度をとる必要に迫られている。
ならば、今回の原発事故をきちんと理解し、更には原発というモノにかかわる諸問題をきちんと理解しておきたい。

特定の問題だけを特定の視点から論じる本が多い中、私が読んだ中でイチ押しなのは、
『FUKUSHIMAレポート:原発事故の本質』(日経BP社 900円+税)

著者となるFUKUSHIMAプロジェクト委員会は、同志社大学を中心とする学者グループで、
あくまで第三者の立場で論じるために、活動資金を寄付で募り、
出版後も印税を受け取らず、活動費と寄付に充てられるという。
500ページに達する量だが、字が大きめなので、読みやすくページもどんどんすすむ。
なにより、値段が(儲けを求めないため)良心的なのがうれしい。

本書を勧める1番の理由は、原発問題を包括的、
すなわち技術的、政治的、経済的、社会的(文化的、集団心理的)に客観的データを元に論じている点にある。
なのでまずは本書で原発問題の概観を理解できる。
言い換えると、原発というシロモノはどれか単一の視点だけで判断できる問題ではないのだ。

本書を評価する第2の点は、副題に謳っているように、”原発の本質”をずばり指摘している点。
一種のタブーに触れる問題なので、マスコミを含め他書(とりわけ技術系)ではなかなか触れられていない。
原発の本質は政治的価値にある(あった)。
だから原発は国策だった。
それは経済的価値ではない。
原発が低コストだというのは詭弁であることが本書でも曝露されている。

それは、「核開発能力の保持」と「エネルギーの自給」である。
すなわち原発は安全保障のため。
ならば原発の是非の判断は、まずは安全保障の観点が必要となる。

タブーに触れる前者は、潜在的核武装能力を保持することで、
核武装に匹敵する抑止力をもつことである。
原発技術と核兵器開発とが密接なのは、今騒がれているイランと北朝鮮での問題をみれば分かる。
日本の安全保障そのものに反対する左翼が、反核・憲法9条と抱き合わせで反原発なのもこの理由。
ただし、核保有国となるためのプルトニウムはすでに充分な量を蓄積しているので、
今後も(危険な)原発を稼働させる必要はないという。

エネルギーの自給の問題はどうか。
まず基本的に、日本は人口減少フェーズがしばらくつづくので、
エネルギーの受給問題は今後は深刻でなくなるという(これはちょっと楽観的かな)。
すなわち需要的にも原発をこれ以上作る必要がないわけだ。

ただし、国際的には、開発途上国で原発ブームになる。
脱原発を進める日本は、ビジネスチャンスを失うことにはなる。

ちなみにエネルギー問題に関して、CO2削減の問題についても、
”温暖化”には罪だけでなく功の部分もあること述べ、削減にあくせくする必要はないと述べている
(これも一種のタブーになっている)。
私も同感で、地球規模では功の方が大きいとさえ思っている
(人口爆発している現状では、寒冷化の方がはるかに恐ろしい)。

さらにこの本が警告している事がある。
まず本書第1章で検証しているのは、地震と津波に襲われた後、適切な対応をしていれば、
東日本に放射能をまき散らした爆発事故は防げたということ。
それに対し東電は、津波直後、
早々にメルトダウンが起きたという事に”事実”を書き換えようとする動きが昨年の5月に始まったという。
その目的は、上の事実を隠ぺいするためらしい。
東電が自ら主張してきた原発の”安全神話”を捨ててまで守りたいのは、
自分たちへの責任追及の矛先なのだという。

個人的に興味深く読んだのは5章の原発事故の風評被害の話。
国内ではなく、海外でのそれを扱っている。
海外メディアは、直接取材する人間が脱出していなくなったので、
いいかげんな情報をもとに記事を書いたことを検証している。
たとえばアメリカの一流メディアほど危険を煽る記事を載せていた。

それで思い出すのは、日本のマスコミが信用できなかったネットユーザーたちが、
海外メディアの情報を信用して、実は日本がたいへんなことになっていると大騒ぎしていた事。
計測主義者の私は、東京での実測線量を知っている当時は数少ない人間として、
むしろ”火消し”を担当していた(内心では放射能汚染の”可能性”に怯えていたのだが)。

ただ本書に足りないと部分も感じる。
たとえば事故後の政府の対応への論評がほとんどない。
東電に対する批判はあっても、政府や官僚機関の対応の部分が少ない。
12日に発売されるという民間事故調の報告書を併せて読みたい。